2 テレビっ子
2 テレビっ子
以前ジロウさんに、テレビを観ずに将棋をしたり、囲碁をしたり、コンピュータで仕事をしたりしないのかと訊いたことがあるが、ジロウさんは子供の頃から「テレビっ子」として育ってきたので、今更その習慣を変えるつもりはない、と言った。ジロウさんはよく「テレビっ子」という言葉を口にするが、学校の友だちからこの言葉を聞いたことがない。「テレビっ子」という言葉は友だちの家では使われていなくて、我家だけで使われているようだ。それとも、友だちのお父さんたちはテレビっ子ではないのだろうか?
ジロウさんに「テレビっ子」という言葉の由来を訊くと、テレビが一般家庭に普及するようになって使われ始めた言葉だと教えてくれた。塾もなかった当時の子供たちは、学校が終わったらみんなで遊んで、夕方になったら家に帰り、それからはテレビにくぎ付けになって、寝るまでずっとテレビを観ていたので、マスコミで「テレビっ子」という言葉が使われるようになったという。
当時は、四畳半の狭い部屋の中央に置かれた丸いちゃぶ台の周りに家族全員が正座して食事をしながら、テレビに齧りついていたとのことだ。正座するとは、昔の人たちはなんて行儀が良かったのだろう。ソファの上に寝転がってテレビを観ている我々は何て行儀が悪いんだろう。そう言えば、たまにジロウさんはソファの上で正座してテレビを観ることがある。昔の名残なんだろうか?
家族全員でテレビを観ていたのだから、正確に言えば、「テレビっ子」ではなく「テレビ家族」だったわけだ。「テレビ家族」の中で「テレビっ子」として育った子供たちは、一生テレビを観続けるように魔法をかけられたんだ、と訳の分からないことを、ジロウさんはぼくに話して聞かせてくれたことがある。勝手に魔法のせいにしていいのだろうか? ただ自分の意志の弱さを正当化しているだけではないのだろうか。でも、いくら言い訳でも、魔法にかけられたとする方が面白い。ジロウさんは意外とロマンチストなのかもしれない。
ジロウさんから話を聞くと、おじいちゃんの家はテレビが一台しかなく、チャンネルの権利はおじいちゃんが持っていたとのことだ。だから、ジロウさんはチャンネル権は、一家の長である父親が持つものだと何気に信じ込んでいるふしがある。もう家父長制の時代ではなく民主主義の時代なのだから、時代錯誤も甚だしいとぼくは思うんだ。だけど、そんなことをジロウさんに言っても、「賢くなったな」と頭を撫でられてそれで終わってしまう。いつまでも子ども扱いされたくないんだけど。
キミコさんに聞くと、テレビが日本の一般家庭に普及して、「テレビっ子」という言葉が広まったのはジロウさんの時代ではなく、1960年代つまりおじいちゃんが子供だった頃の話だという。そうすると、「テレビっ子」は我家では男系で三代続いていることになる。ぼくも父親になったらきっとチャンネル権を行使することになるんだろうか? えっ、それまで待たなくっちゃいけないの? ぼくにもテレビを買ってよ。そんなに大きなサイズでなくていいんだから。32インチもあれば十分だからさ。友だちの家にはテレビが一人一台あるんだよ。知らないの?
ぼくも6年生なんだから、自室でゲームでもしたらと忠告してくれる人もいるかもしれないし、もしかするとぼくに部屋がないことを心配してくれる人がいるかもしれない。心配しなくても、ぼくには狭いながらも自分専用の部屋がある。だけど、ゲームと言ったら小学校低学年の頃に買ってもらった片手で出来るゲーム専用機があるだけだ。だけど、ぼくはどうしたわけかそんなにゲームにのめり込むことはなかった。全然面白いとは思わなかったんだ。友だちの中にはスマホを買ってもらって、スマホでゲームをしている人もいるけれど、ぼくはいまだにスマホを買ってもらっていない。そもそも欲しいとも思わないんだ。友だちの家に遊びに行くと、大きなテレビ画面を使ってゲームをしている人もいるけれど、ぼくの家のテレビは50インチあって、画面はそれなりに大きいのだけれど、ジロウさんが独占していて、テレビを使ってゲームをできる時間はない。
コンピュータは欲しいとも言っていないのに、小学校4年生の時にジロウさんが買ってきてくれた。ジロウさんがいろいろと使い方を教えてくれたけど、インターネットをしても漢字が読めなかったので、全然面白くなかった。ゲームの仕方も教えてくれたけれど、ぼくはそれほど興味を示さなかった。
パソコンを放っておいたら、ぼくの部屋に遊びに来ていた妹のチカがコンピュータに興味を示すようになって、ずっとぼくの部屋でコンピュータで遊ぶようになった。それからチカはジロウさんの勧めで街のプログラミング教室に通うようになった。帰宅してからは、ぼくのパソコンでずっとプログラミングをした。チカはプログラミングにはまったんだ。
チカはプログラミングでゲームを作成した。できたゲームをぼくに見せてくれるようになった。ぼくは気が進まなかったけれど、チカが是非やってみてくれと懇願するので、仕方がないのでやってみた。なかなかよくできていたのだが、そもそもゲームに興味のないぼくは真剣に打ち込まなかった。そうすると、チカは自作したゲームを何度も改良し、そのたびにぼくのところに持ってきて、今度のは面白いからと勧めた。そのうちぼくが乗り気でないのがわかって、チカはぼくに自作のゲームを見せてくれなくなった。
チカはほとんどリビングルームにいることはなくなった。ぼくのパソコンをチカの部屋に持って行き、自室でパソコンをいじくるようになったのだ。ぼくはパソコンを持って行かれても何の不満もなかった。なぜなら、それまでぼくが寝ようとしても、チカがパソコンのキーボードを激しく打って、うるさくて寝られなかったことがあるからだ。チカは集中したら時間が経つのも忘れてしまう。
チカが部屋に閉じこもるようになったからと言って、チカの性格が暗くなったわけではない。兄のぼくが言うのもなんだけど、性格は明るくてとてもチャーミングだ。学校の成績はぼくと違ってずば抜けて良い。小さいけれど、スポーツは万能だ。そんなチカだけど、両親はぼくとチカを比べたりはしない。キミコさんは少しはぼくに気を遣っているのかもしれないけれど、ジロウさんは学校の成績なんか無関心のようだ。ぼくはこんなことで卑屈になったりはしないよ。
そう言えば、リビングルームにずっといて両親と一緒にテレビを観ているぼくだけど、その間特段両親と会話をするわけではない。でも、リビングルームに両親と一緒にいたら、それだけで両親も安心すると思うので、兄としてはチカもたまにでいいからリビングルームでぼくたちと一緒にテレビを観て欲しい。それが親孝行の一つの姿なのだろうと思う。ぼくはそれなりに気を遣っているんだ。
ジロウさんはぼくにテレビを観ずに勉強をしろと一度も言ったことがない。ぼくやチカに勉強だけでなく他の何も押し付けたことがない。いわゆる自由放任主義だ。こんなことで子供は立派に育つのだろうか、とぼくは心配になることがあるけれど、ぼくはともかくとしてチカは立派に育っている。
ぼくは少しは自分の好きなテレビ番組を見たい。同級生とはゲームの話が多いけれど、かれらとだってたまにテレビ番組の話をすることがある。ぼくはそのほとんどを観ていないから、なかなか口を挟むことができないでいる。このままぼくに好きな番組を観せてくれければ、友だちからいじめに合うかもしれない、とそれとなくジロウさんを脅したこともあるのだけど、ジロウさんは心配してくれる風じゃないんだよね。
最近、両親にぼく専用のテレビを買ってくれとねだっているのだが、いつも無視されている。しかたがないので、好きな番組をビデオに録画して土・日に観るようになった。我家にも人並にビデオがあるんだ。
我家では、ぼくの中学受験が茶の間の話題に上ったことがない。今の成績で名門私立中学校に受かるわけがないし、そのための努力もしようとは思わない。チカは成績優秀なので名門私立中学校を受ければ合格すること間違いないのだが、その気はさらさらないらしい。ぼくと同じ公立中学校に進学する気らしい。親もチカがそれを望むのならそれでいいと思っているようだ。チカの友だちの中にはお受験をする者もいるようだが、ぼくの友だちには一人もいない。類は類を呼ぶのだ。
つづく