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27 味噌汁の味

27 味噌汁の味


 スナックのママと客の会話。

「さっきから聞いていると、タイパ、タイパってうるさいわね。あんたの時間は、なんて安いのよ。だから、どのように時間を使おうかばっかり考えているのよ。しょせんセコイ男のやることね。あたしたちが生まれた時に持っている時間は、とっても豊かなんだ。巨大な樹の幹なんだ。それをタイパという言葉でやせ細らせてどうしようって言うんだい」

「そうだよね。ぼくもママの意見に賛成ですよ」

「いつもタイパばかりを考えている男がスマートだって? そんなのはゆとりのないちんけな男のやることね。男は泰然自若と構えていなくっちゃあ。なっ、そうだろう。ほらほら、グラスが空いてるだろう。ロックでよかったね」

「ママ、良いこと言いますね。タイパを追及している周りの奴を見渡しても、誰も賢い奴はいませんからね。タイパ、タイパって言ってさえいれば一日が過ぎて行くって思っているんですよ。まるで現代の念仏ですね。そんなに友達と共通の話題が欲しいのかな? 男はすぐに群れたがりますからね」

「タイパを上げて、他人に優秀そうに見せる。できる男に見せる。かっこをつけているだけじゃないのかい。他人に自慢するためにタイムパフォーマンスをやっているんじゃないの? パフォーマンス、そうよ大道芸よ」

「そうです、その通りです」

「男は仕事だけじゃないだろう。女も好きにならなくっちゃあね」

「そうだ、男は仕事だけじゃないぞ。恋もするぞ」

「どんなに女に尽くしたって、振られるときは振られるのさ。わかるかい?」

「わかっています。重々わかっています」

「恋愛にタイパなんてあるのかい? タイパなんて考えていたら恋愛なんてできないよ。酒を飲んで、女と遊んで、それって一番無駄なことじゃあないの? でも、それって人生で一番大切なことなんだよね」

「そうですよね。ぼくも雨の中で何時間も彼女が現れるのを待ちました」

「それで彼女は現れたのかい?」

「来ませんでした」

「そんなものよ。青春だねえ」

「青春ですよ。高校3年生の時でした」

「高校3年生の頃の話かい。それじゃあ、受験勉強にも手が付かなかっただろう」

「はい。失恋して、浪人しました」

「そうだろう。そんなものよ。いくら尽くしても実らぬ恋があるものよ。それも懐かしい思い出だよな」

「ああ、今も心がチクチクするんです」

「仕方がないじゃないか。振ったり振られたり、それが男と女さ」

「切ないですね」

「でも、失恋の一つもしたことがない人間なんて寂しい人生だと思わないかい」

「思います。思いますよ。ぼくなんかこれまでに5回は失恋していますからね」

「それだけすりゃあ、立派なもんだ。あんたの人生は失恋なくしては語れないんだね」

「いくら失恋をしても、心に耐性ができることはありませんでした」

「そりゃあ、そうだろう。10回の失恋には10回の物語があるんだから」

「10回じゃあありません。5回です」

「言葉の綾というものだろう。小さな男だね。このフキノトウ、美味しいから食べてみて」

「すみません。いただきます」

「それにしても、どうしてみんなは無駄な時間を過ごしたくないんだろうね。まるで無駄に怯えているようだ」

「無駄な時間を過ごしたら、上司に叱責されるからじゃあないですか」

「叱られるくらいいいじゃないか。でも、その上司だって昔は先輩に叱られたんだろう。時間を大切に使えって」

「いつの時代も同じことやっているんですね」

「無駄な時間を使うなって国からお達しが来たら、こんなスナックはすぐに潰れてしまうね」

「いえ、そんなことはありませんよ。ぼくたちの心を癒してくれるオアシスですから」

「だけど、心の癒しなんか測れないだろう。アルコールを飲んで心が癒されるならば、なんパーセントのアルコールをどのくらいの量飲めば一番手っ取り早く癒されるか、という研究成果がそのうち出てくるだろうね。そうしたら、こんな場末のスナックに来なくても家で飲んでいればいいのさ。アルコールの量を測りながらね」

「いや、ママと話しているから心が安らぐんであって」

「じゃあ、あんた好みの癒しの女をコンピュータで調べれば、その女とアルコールを飲んだ方がずっと癒やされるというものさ」

「そんなこと面白くもなんともないじゃありませんか。機械みたいで面白くありませんよ。ぼくたちロボットじゃないんだから」

「そうだろう。だけど、世の中、その面白くもないことをやっているんじゃないか。コスパ、タイパ。全部、効率に結び付けてるじゃないか。「我不合理に生きる」ってね、誰か言ってたんじゃない? 誰も言ってないか」

「それぼくも賛成、賛成です」

「恋愛、特に失恋は不合理そのものだからね。あんたの生き方そのものだよ」

「失恋ばかりしていたわけじゃないんですが」

「テレビを速く観ようが、遅く観ようが、その人の勝手と言うもんだい」

「その通り」

「本だって、速く読む人もいて、遅く読む人もいる。一冊の本の中を、飛ばして読んだり、じっくり読み直したりするもんだ。この頃、本を読んだり、映画を観たりするのに、味わうということがなくなってしまったんだね。

私はもう百回も『ひまわり』を観たね。ソフィア・ローレンには何度も泣かされたね。高速で映画を観てる奴らには、こんな感動はないだろう」

「『ひまわり』、ぼくも観ました。一回ですけどね。よかったですね。一面に広がるひまわり畑はきれいでした」

「そうだろう。それがわかりゃあ、いいんだよ。さあ、さあ、グラスが空いてるよ。もう一杯飲みなよ」

「周りの奴ら、みんな映画を何本観たかばかり自慢しているんですよ」

「だから、そんな男たちは相手にしないことだね。そんな奴らは世界中の女と寝てみるまで、自分の女房を決められない奴らだ。最善を求めていたって、どこにもそんなものはいないのにね。子供の頃にメーテルリンクの童話『青い鳥』を読んだことがないのかね」

「幸せは意外と近くにあるものですよね」

「幸せは近くにもないの。幸せになるように努力することだけさ」

「あっ、そうですね。耳が痛いです」

「望むと望まないとに関わらず、時間は流れて行くんだよ。あたしたち人間には自分の意志で選べないことだってたくさんあるんだ。そういう状況に置かれて生まれてくるじゃないのかい」

「良いこと言いますね」

「人生は自分の望むことだけじゃない、いろいろなことが降りかかってくる。それが人生というものじゃないか。人生なんて大なり小なり望まないことだらけだと思うね。自分の意志や能力、努力だけでは打開できないものがあるんだよ。その中でもがくのが人生だ。私は、80年生きてきて、つくづくそう思うよ」

「わかっちゃあいるけど、辛いんですよね。一週間前に、母ちゃんが子供をおいて出て行ったんですよ」

「どうせあんたが浮気でもしたんだろう。あんたが土下座して戻って来てもらうことだね」

「違いますよ。かみさんが浮気したんですよ。若い男のところに行ったんです」

「あんたに愛想が尽きたのかい。でも、そのうち若い男があんたのかみさんを捨てるかもしれないよ。それまで待てるかい」

「わかりませんね。わかりません」

「泣くな。泣くんじゃない。酔い覚ましに、味噌汁でも飲むかい」

「あっ、いいですね」

「味噌汁は子供の頃に食べたおふくろが作ってくれた味噌汁が一番美味しかったね。そう思わないかい」

「最近のユーチューブには、味噌は赤味噌に少量の白味噌をブレンドして、だしは昆布と花かつおの組み合わせが、味噌汁至上最高の味だとコメントされていましたね。いや、これはノーマルスピードで観たのですけど」

「ノーマルでもアブノーマルでもどっちでもいいけど、いちいちそんなこと言わないの」

「つい癖になっていて」

「でも、ユーチューブとかで、そんなこと言っているの。私に言わせれば、余計なお世話だね。味なんてその人の好き嫌いだよ。何が一番よ。確かに、これまでいろんな料理屋で美味しい味噌汁を口にしてきたけど、全部忘れちゃったよ。覚えているのは、母親が作ってくれた味噌汁だけよ」

「一番と言ったとたんに嘘になりますよね。一番と言った人だって全部を体験していませんからね。それに料理は、料理だけの味だけではなく、その場の雰囲気や誰と食べたかにもよりますよね」

「あんた、良い事言うじゃない。その通りよ」

「それにしても、ぼく以外誰も客が来ませんね」

「そう言う日もあるわよ。時間には濃い薄いがあるの。そのうちわかるようになるから」

「それにしれも、この味噌汁、本当に美味しいですね」


     つづく

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