表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/37

23 速視聴術の普及

23 速視聴術の普及


 設立から1年も経つと、タイパ協会の会員は1000万人を超えるまでに増加した。みんなが高速で動画を視聴できるようになるために日々励んでいた。

 小学生は私立中学への進学を目指し、中学生は進学校への入学を目指し、高校生は一流大学への進学を目指し、大学生は一流企業への就職を目指し、会社員は出世を目指して、日夜速視聴術の特訓に明け暮れていた。

 日本が戦後の高度経済成長やバブル期を終えて、人々の意欲がなくなり、のぺっとした空気に覆われて日本に、一時やる気が戻ったみたいだった。キミコさん流に言えば、あたかも日本にスイッチが入ったかのように見えた。これがミタゾノさんの描いた社会革命の第一段階なのだろうか? 高度経済成長期のテレビ、洗濯機、冷蔵庫のいわゆる電化製品の三種の神器、バブル期の車やマイホーム、こうした一連の物欲が日本の活気をけん引してきた。庶民の狂乱の舞台も、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万国博覧会、1990年代のディスコ「マハラジャ」が準備されてきた。

 今回の日本の活気も、かれらは社会で成功するために頑張っている。それはまるでキミコさんがぼくに勉強して、良い学校に行って、少しでもいいところに就職しろと言っているようなものだ。それで、日本人は何を手に入れようとしているのだろうか? いまさらどのような物欲があると言うのだろうか? タワーマンションの最上階? そんなに高いところに行きたければ、たまにスカイツリーに上ればいいだけじゃないか。最上階を買いたいなんて、それは独占欲のなせる業だ。ぼくには欲がないから、向上心がないのだろうか? いったいどんな欲を持てと言うんだ・・・。


 ある小学校では、昼休みの会話に「昨日、5倍速で5本の映画を観た」とか「サッカーの試合を10倍速で観て、それからお笑い番組を3本観て、アニメを7本観た」という自慢話が頻繁に交わされるようになった。同級生は、誰もそんなのはみんな嘘であることくらい見抜いていたが、それはある程度お互い様なので、よほどのことがない限り誰も目くじらを立てて非難したりはしない。

 それでも、「昨日ウクライナからの実況中継を観たよ」という同級生は、「それはノーマルスピードだろ。生放送を観るなんて信じられないよ。なんてタイパが悪いんだ。録画して、後から倍速再生に切り替えて観ればいいじゃないか。それとも、君の家には倍速再生できるビデオデッキがないとでも言うのかい?」と、寄ってたかって責められた。小学生の間では、生放送をリアルタイムで観ることは、タブーとされる風潮になってきたのだ。時として、子供は極端に走るし、全体主義者になる。


 大学生が生協の食堂で次のような会話をしていた。

「きみ、いま何段?」

「柔道は初段だけど」

「またまたボケかましちゃって。タイパ協会の段位に決まっているだろう」

「そりゃあ、そうだよな。柔道が何段でも就職には役立たないからね。警察官になるわけじゃないんだから。タイパは二段だ」

「エントリーシートを提出するまでには、最低でも三段を取っておかないと、書類選考で落とされるよ。まさかきみは二段しか課していないような二流会社を受けるんじゃないだろうね。そんなのやめておいた方がいいよ。将来やばいと思うよ」

「もちろんおれだって一流企業志望だよ。三段を取ることだっておろそかにしているわけじゃないんだ。おれ、タイパ協会への入会が遅れたせいで、まだ二段止まりなんだ。確かに就職へのとっかかりが遅かったのは反省しているよ。だから遅まきながら、タイパ協会への入会とは別に、大学でもタイパサークルに入部して、週2回部活に出て頑張っているんだ。次の昇段試験では三段に受かるように必死で努力しているよ。おれ、ここのところ毎日5時間3倍速で動画を観ているんだ。それも過去問ばっかりだよ。過去問とタイパ協会で出されている動画を覚えればいいんだよな」

「それで昇段試験対策はばっちりだね。3倍速の動画をちらっと観たら、全部の内容を言えるようにしておきなよ。競技会じゃないんだから、一番を狙わなくてもいいけどね。昇段試験の会場には、一番になろうとして色めき立っている奴もいるから、そんな奴にペースをかき乱されちゃあいけないよ。落ち着いて事に当たれば、合格間違いなしだからね。頑張ってね。三段取れるかどうかで将来が決まってしまうんだから。それで、昇段試験の会場はどこなの?」

「今回、三段の受験者が全国に五十万人以上いるらしくって、東京会場は武道館で行われるんだ」

「そりゃあ、凄いね。巨大モニター画面に3倍速の動画が流されて、音声はイヤフォンで聴くシステムになっているんでしょう?」

「コンサートじゃあるまいしね。ところで、おまえはいま何段だよ?」

「ぼく? ぼくは三段。でも、ぼくはこの前の都大会の三段の部で準優勝したから、この賞状を持っていけば、ほとんどの会社の就職試験の一次は免除されることになってんだ。採用試験までには四段を取っておこうと思っているけどな」

「おまえは凄いな。おれも頑張らなくっちゃあな」


 かれらの斜め向かいのテーブルでは女子学生2人が話をしていた。

「メグはアナウンサー志望だっけ」

「そうなのよ。アナウンサーの採用試験を受けるには、どこの局も四段を義務付けているのよね」

「テレビ局志望なんでしょ。仕方ないわよね。映像を配信する方だものね。他の人たちよりたくさんの番組を観なくっちゃあいけないんでしょ」

「そうなのよ。だから必死で講習会受けて、なんとか四段を取ったのよ。採用試験では実際に4倍速で視聴する試験もあるのよ」

「そりゃあ、大変じゃない」

「そうなのよ。タイパ協会の問題から出題されるという噂もあるんだけど、初見の動画を観せられるという話も飛び交っているの。正直なところ、初めての動画を4倍で観せられても、何を言っているのか、ちんぷんかんぷんだと思うわ。今必死でトレーニングしているんだけど、集中力が半端じゃなくて、毎日ぐったりよ。デートする時間もとれないくらい」

「そうか。それで毎日疲れているんだ。アナウンサーになるのも大変だね」

「そうよ。以前は容姿と声と愛想でよかったのに、速視聴能力まで見られるようになったのよ。ディレクターはともかくアナウンサーにそんな能力が必要なのかしらね。漢字や英語、一般常識の問題を勉強した方が、よっぽど充実感があるんだけど」

「しょうがないじゃないの。試験問題に課されてしまったんだから」

「そうね。弱音を吐いちゃあだめね。今日は二重瞼のプチ整形をしてくるの。速視聴術もこのくらい簡単だったらいいのにね」

「メグがNHKの7時のニュースのメインキャスターになるのを楽しみしているから。頑張って」

「よし、頑張るか」


 焼き鳥屋での会話。

「おい、今日のなんちゃら研修会、くだらなかったよな」

「おまえもそう思ったか。あんなに速い動画を観せられて、おれたちの仕事になんか役に立つのかね」

「おまえもそう思うだろう。だけど、人事の奴らマジだったよな」

「そう、そう。タイパ協会の講師の方です、とか紹介しちゃってさ。研修会を受けないと査定されるから仕方なく受けたけどさ。あんなの1時間も観せられて、拷問だったよな」

「だけど、他の奴ら真剣に観てたよな。そしてあんなに速いの観せられて、内容を分かっていた奴もいたものな」

「そうなんだよ。不思議だよな。噂によると、分かった奴らみんなタイパ協会に入っているらしいんだ。二段とか三段とか話していたよ。タイパ協会の段を取っているらしいんだ」

「世の中、あっちもこっちも速視聴術だものな。おれのかみさんも小4の息子に学習塾だけじゃなく、タイパ協会に入会させて、速視聴術を身につけさせようとしてんだ」

「うちも一緒。うちの娘は小6なんだけど、お受験のためには初段が必要なんだってよ」

「うちも初段を目指してんだ。息子も友だちと話を合わせるために速視聴術を身につけなくちゃあと言って、毎日、倍速で録画したテレビを観ているよ」

「ああ、最近じゃあ、リアルタイムでノーマルスピードのテレビを観せてはくれないものな。全部録画したものばかりだぜ。それも倍速でさ。可愛い俳優がアヒルのように口尖らせて早口で喋っても、全然魅力的じゃないよな。こんなのどこか変だよな」

「うちのかみさんがおれにもタイパ協会に入れって勧めるんだ。速視聴術を身に着けないと出世できないって、口うるさいんだ」

「出世なんてどうでもいいんだけどな。そういうつもりで会社に入っていないものな。昭和じゃないっつうの」

「そうなんだけど、これもご時世かな。速視聴術は、パソコンやプログラミングと並んで、現代の重要なスキルの一つなんだってさ」

「ああ、仕方がないから、今度タイパ協会に入会するか」

「そうだな。時流だものな。意識高い系のふりをしておかないと、会社の中で並に生きていけないものな」

「お互いに人並み程度にやっていこうや」

「ビールと焼き鳥適当に見繕って」


     つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ