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22 段位性

22 段位性


 しばらくして、協会は柔道と同じような段位性を敷いて、昇段試験制度を設けることになった。日本人は勤勉で向上心が強いので、日本の習い事には段位性がつきものだ。柔道や空手、剣道などの武道だけでなく、茶道や華道だって上達を確認する意味で段位性に類するものがある。同時に、この段位性は金儲けのためのシステムでもある。自分の団体に留めておくために、上達したことがわかる昇段システムを採用するのが、日本の伝統的なビジネスモデルとして確立しているのだ。英語検定や漢字検定もこのビジネスモデルを採用している。ミタゾノさんは、速視聴術にこのモデルを踏襲したまでで、目新しい発想ではない。

 最初の位は、段に入る前の上級である。上級には柔道のように白帯を与えたらという意見も出たが、白帯を締めてビデオを見たりしないだろうとなって、白地に協会のロゴを入れた缶バッジを与えることになった。この缶バッジのために、協会のロゴを考えることになり、ロゴを公募したが、結果はチカがデザインした「時間の矢」と称するマークが採用された。これはチカの強い圧力が反映されたのではないか、とぼくは邪推したが、ミタゾノさんはあくまで公明正大に行った、と言い張った。男と女の関係はなくなったとしても、ミタゾノさんはチカには以前にも増して逆らえなくっているようだ。まあ、確かにこのバッジのデザインは洗練されているけれど・・・。

 バッジは有段者になると段ごとに黒地に色違いの矢のマーク付けられていた。バッジをスーツの襟や帽子、あるいはバッグに付け、このバッジを付けていることが、協会に入会している証になった。付けている人たちは巷では意識高い系として見られ、本人たちもどこか誇らし気だった。バッジをこれ見よがしにつけているのは、圧倒的に男が多かった。男はいつまでも少年だ。

 初段は1.6倍速で10分の簡単なドラマを観て内容を説明できることが昇段の基準となった。二段は2倍速、三段は3倍速、四段は4倍速、五段は5倍速となって、十段が10倍速である。現時点では、四段を合格した者は出てきていない。音声の壁に阻まれているのだ。

 最近、ミタゾノさんは試験内容を少し簡単にすることを考えているようだ。みんなが三段止まりでそれ以上昇段できないとすれば、やる気がなくなって脱会する者が多数出てくる恐れがあるからだ。これまで1年に1度実施するとしてきた昇段試験を、半年に一度に短縮した。この半年間に、協会で用意した講習会を最低10回は受講することを義務付けた。この講習会で観せた動画を試験に出せば、必然的に昇段試験の合格率は上がる。実際は4倍速の動画を観ることや聴こえることはできなくても、覚えてさえしまえばなんとかなる試験問題だからだ。

 かれらは四段になっても4倍速を観ることができないことを他人に白状したりはしないだろう。いつの間にかかれらの目的は4倍速を観ることができることではなく、昇段することが自己目的化するようになっていたからだ。実際、昇段試験を受ける協会員の誰からも不平不満が出ることはなかった。四段の会員の中には、時々自宅で子供から4倍速の映像を観せられてテストされることがあるそうだが、適当なことを言ってテストを逃れたり、たとえテストを受けたとしても、今日は不調だと誤魔化しているそうだ。

 四段以上の講習会は、高速の動画を観てすぐにノーマルスピードの動画を思い出せるかどうかの訓練と化していった。これは視聴覚の訓練ではなく、記憶力の訓練に過ぎない。もちろん興味もない動画を観続けるのだから忍耐力も必要だ。もはや、高速の動画を視聴できるかどうかという問題ではなくなっていた。だが、講習を受けている者たちからは、不満の声は漏れてこなかった。誰も高速動画を観れないとは口に出して言う勇気がないからだ。そして、もっとも重要なことは昇段試験に合格することだ。

 ミタゾノさんは、どんな試験でもそれに受かるための必勝法が開発されるのだから、これもその一つの方法なんだ、と言った。そしてこうも付け加えた。

 「受験生が満足しているならば、それはそれでいいんじゃない。昇段試験に合格した者は、印可状を渡す時にみんな心の底から喜んでいるんだから」


 なんと、『公益財団法人 タイパ推進速視聴術協会』認定の段位を入社試験に採用する、超一流企業が登場した。そうすると、他の会社も右に倣えと追従するようになった。こうして、多くの企業が二段以上を有することを入社試験の必須条件とするようになった。これに伴って、多くの大学生が協会に入会し、積極的に講習会に参加し、昇段試験を受けるようになった。協会は一挙に巨大化の道を歩むことになった。もちろん『Spee』も売れて行った。

 嘘か真か、日本の民間企業は、高速視聴できることがこれからのビジネスマンの必須要件だと考えているようだ。本当のところは、他の会社に高速視聴できる人材が集まり、自分のところにどんくさい若者が集まるのが嫌なだけなのだろう。高速視聴がビジネスマンにどんな役に立つか言えるような会社役員はいないのではなかろうか。

 ミタゾノさんがここまで協会を発展させるために行ってきたことは、段位性を設けたことだけではない。協会の前身の同好会時代に本を出版したこと以外にも、マスコミにたくさんの広告を打ち、アナハイムにあるエンゼルスの球場にも協会の巨大な看板が立てられ、大谷選手の活躍によって、日本のテレビに毎日大きく映し出された。政治家や財界人に対しても様々なロビー活動が展開された。会社が段位性を義務付けたのはこうしたことの成果だったのだ。

 協会のロゴである「時間の矢」の付いたTシャツや、ボールペンなどの文具が売り出された。そうしたものはデザインもよかったのだろう、大ヒット商品になった。六本木の街を「時間の矢Tシャツ」を着て歩くカップルがいる。霞が関のスターバックスでさりげなく「時間の矢ボールペン」を取り出す若き女性官僚がいる。

 さらに、協会は飲食業界にも進出し、これを飲んだら眼が良くなるというキャッチフレーズでドリンクバーを経営し、ブルーベリー、ブラックベリー、ジューンベリー、クランベリー、ハスカップ、マルベリー等のジュースやカクテルの発売も始めた。ミタゾノさんはなかなか商魂逞しい。これがかれの言っていた革命なのだろうか? 違うだろう。これはどこにでも転がっている、ただの金儲けだ。

 近頃、倍速で動画を観ることができるようになったら頭が良くなった、というテレビコマーシャルが流されるようになった。84歳のお婆さんがコマーシャルに出演し、以前はよぼよぼで友だちの顔を見ても思い出せなくなっていたが、協会に入って、オンラインで3倍速の動画を観るトレーニングを受けるようになってからは、小学校の頃の友だちの顔も思い出すようになって、小学生の孫にも算数の勉強を教えることができるようになったそうだ。そして、最近は友だちと泊まり込みで旅行できるまでになったと明るく言った。「これはあくまで個人の感想です」と取って付けたようなテロップが小さな文字で流された。こんなテロップですべての責任が免除されるのだろうか?

 「高速視聴ができるようになったら、頭が良くなる」なんてことが喧伝されては、ぼくはもう表に出られない。ぼくを知っている人間は、ぼくが賢くないことをよく知っているからだ。もしかすると、誰かがぼくの学歴を聞いてくるだろうか? ぼくは一流大学卒というように学歴詐称をしなければならないのだろうか?

 ミタゾノさんは、引きこもりという肩書は若干ではあるが神秘のベールを被っているから、引きこもりで十分だと言った。ぼくは引きこもりでなく「自遊人」です。

 ミタゾノさんが言うには、協会としては、タイパの学習効果は、ミタゾノさんの学歴と頭脳を前面に押し出せばそれで十分だということだった。チカは陰に隠れたままなので、このままじゃあ協会の広告塔にはならない。そう言えば、最近チカと顔をあわせていない。どうしたのだろう? 大学が忙しいのか、それともプロレスで地方巡業に行っているのだろうか?

 速視聴術は頭が良くなるということで、小中学生の親たちにも人気となり、街には子供を対象とした倍速をトレーニングする教室が開講されていった。

 倍速で観れるようになると、人生が2倍豊かになると宣伝されたが、ぼくは人生が百倍豊かになったわけではない。

 テレビのワイドショーにミタゾノさんが出演して、タイパが進むと労働時間が短くなり、余暇にたくさんの時間を費やせるようになって、人生が豊かになると主張した。しかし、今のところ勤務時間が短縮された会社があるとの報告を受けてはいない。生産性が上がったという会社の話も聞いてはいない。ぼくも自分のことを考えれば倍速視聴で知識が増えたり、頭がよくなったという実感はどこにもない。協会の仕事をしていて、何か社会に役に立ったりするのだろうか? たしかに、ぼくは引きこもりから色々な人たちと出会うようになった。みんなぼくのことを慕ってくれている。役員報酬や講演会などの収入で、十分なほどのお金も入ってくるようになったはずだ。こうしたことは単純に嬉しい。


   つづく

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