19 ミタゾノ
19 ミタゾノ
ぼくたちが日本に帰国して一週間が経った頃、ミタゾノマコトと名乗る男が、ぼくは電話番号を公開していないのにどこでぼくの電話番号を知ったのだろうか、ぼくのユーチューブチャンネルを観たと言って、ぼくにテレビ電話でコンタクトを取ってきた。ぼくはこの時どうしたわけか不用意に電話に出てしまった。普段はこんなことはないのに。
ぼくの10倍速で動画を観る能力に、とても興味があるという。電話のミタゾノさんは、話声から察するに、ぼくを神と崇めている軽薄なおたくたちとは違う人種であることは間違いない。おたくたちは他者や他物に過剰に依存して生きている、どこか頼りない人種だ。かれらにとっては、スターのオーラを浴び続けることが、最良の喜びなのだ。
テレビ電話の画面を見ると、ミタゾノさんはジャニーズのタレントのように爽やかでカッコいい。これまでこんな爽やかそうな男に会ったことがない。話をしていると、ウィットに富んで理知的だ。ミタゾノさんは東大の理学部物理学科を卒業後、経済産業省に入り、そこに3年間勤めた後に辞めて、いまはぼくと同じフリーターということだ。
ぼくはいつの頃からか浪人生ではなく、引きこもりでもなく、たまにユーチューバーになったり、警視庁やFBIでパートタイムで働いたりしたが、他人に誇るとまではいかなくても、履歴書に書けるほどの職歴があるわけではない。進んでフリーターと呼ぶような勤労意識も皆無だ。今からでも遅くないので、近くのコンビニでバイトをしようかと思う。コンビニでバイトをすれば、それがぼくのささやかな経歴になるように思える。経産省に勤めた経歴とは雲泥の差があることはわかっているが、コンビニのバイトの方が世間ではリアリティがある。少なくとも、ぼくはそうした世界の住人だ。
ミタゾノさんは、ぼくのユーチューブを観て、10倍速が観れるように随分訓練したけれど、どうしても10倍速の動画を観ることができなかったそうだ。大学時代や官僚時代の友人や知り合いに訊いても、10倍速でビデオを観れる人は誰もいないという。本当は、10倍速どころか5倍速だって誰も観れないのだ。そこで、ミタゾノさんはぼくが10倍速で動画を観ることができることが嘘じゃないかと疑い始めたらしいのだ。それから、ぼくのユーチューブをすべて丁寧に観たそうだ。もちろん、ぼくの10倍速を観る力を実証したライブ配信も詳細に観たとのことだ。さらには、経産省の知り合いの力で、ぼくの家のことやぼくの小・中・高の学校時代のこともすべて調べたそうだ。ユーチューブで公開していないぼくが警視庁やFBIで働いたことも知っていた。こうした一連の調査の結果、ミタゾノさんはぼくの能力に対する疑念を完全に払拭できたらしい。それにしても、ぼくの身辺調査までするとは、恐るべし前高級官僚、嫌ったらしい前高級官僚。爽やかなのは顔だけなのかもしれない。
ミタゾノさんの話の序論は終わり、本論に入った。
国民みんなが10倍速で動画を観ることができるようになれば、タイパが飛躍的に向上し、国の生産性が今よりもはるかに向上することになる、と前官僚らしく天下国家を論じる気宇壮大な説明を始めた。
これは産業革命以来の社会革命である、と言う。ぼくにはかれが言っている話がさっぱりわからなかった。ミタゾノさんは誇大妄想のいかれた奴ではないかとさえ思うようになった。勉強し過ぎで壊れてしまったのだろうか? ぼくはこれまで国民や国家という言葉を使って物事を考えたことがなかったし、こうした単語が口から出たこともない。そもそも、ぼくの10倍速で動画を観れる能力が、産業革命のような革命を引き起こす力になるなんて想像すらしたことはない。蒸気機関の産業革命の次はコンピュータによる情報革命でしょう。そのくらいぼくにだって知っている。ぼくの10倍速が蒸気機関やコンピュータに匹敵するわけがない。
会話の中でミタゾノさんが何度も使っている「タイパ」という言葉をぼくはこれまで一度も耳にしたことがない。ぼくは10分間の休憩を取ろうと言って、テレビ電話を切り、ぼくのマネージャーであり頭脳でもあるチカを呼びに隣の部屋をノックしたが、何の反応もなかった。ドアを黙って開けて室内を覗いても彼女は寝ているわけではなかった。ぼくの部屋の前の廊下からキミコさんに「チカはどこかに出かけたの?」と大きな声で訊くと、台所の方から大きな声で「知らないわよ」という返事が返ってきた。小さな家なので、チカがリビングルームに居ないということは、ジムにでも出かけたのだろうか。それとも大学に行ったのだろうか?
しかたがないので、ぼくはミタゾノさんと二人でテレビ電話を再開することにした。かれに「タイパってなんですか」と素直に質問すると、かれはぼくを馬鹿にした風でもなく、タイパについて優しく教えてくれた。
「タイパはですね、タイムパフォーマンスの略です。コストパフォーマンスという言葉を聞いたことがありませんか?」
「ああ、コストパフォーマンスは聞いたことがあります。たしか、3万円のテレビが5万円のテレビと同じくらいの性能があってお買い得の場合、それをコストパフォーマンスが良いと言いますよね」
「そうです。その通りです。コストパフォーマンスは日本語では費用対効果と呼びます。コストパフォーマンスを略してコスパです。タイパはコストパフォーマンスの範疇に入るのですが、与えられた1時間の間に普通よりたくさんの仕事をしたり、より質の高い仕事をしたりすることを指します。コストパフォーマンスの時間版だと考えればいいですね」
「ふうん。結局頭がよかったり、要領のいい奴の話ですね」
「まあ、そうですね。そう思っていただいて結構です。会議をしても普通1時間かけて結論を導くところを30分で同じことができれば、タイパが2倍になるわけです」
「時間の節約ですか。頭も悪く、要領も悪いぼくは一生タイパが低いことになりますね」
「いえ、そんなことはありません。10倍速で動画を観ることができるあなたならば、通常の2時間の映画を12分で観ることができるじゃあありませんか。これだけで、他人よりも10倍もタイパが良いことになります。12分で映画を観た後は、残った1時間48分を何に使っていますか?」
「別の映画をもう9本観るだけです」
「それでもいいのですが、その時間を趣味の絵を描いたり、英会話の勉強に使ったり、仕事仲間と打ち合わせをしたりして、違うことに有効活用できるじゃありませんか。英会話だってビデオ教材を10倍速で観ることができれば、10倍も速く英会話を習得できるのですよ。これは学習の革命になります」
「ぼくもそのことを試した時期がありますが、英会話は10倍速で勉強しても、全く頭に入ってきませんでした。10倍速は、頭が悪い人間には何の役にも立たないんですよ」
「それはあなたが英会話に興味がなかったからじゃありませんか? 英会話に興味がある人が10倍速で勉強すれば、10分の1の時間で英語が身に付くかもしれないのです」
「言われてみれば、そうかもしれませんね」
そう簡単に納得していいのだろうかとも思ったけれど、理屈は通っているように思えた。
「10倍速で観ることができれば、世界に教育革命が起こることが期待できるのです」
「ぼくは10倍速で観ることができても、全然賢くなっていないのですが」
「私は一人の人間にすべてのことを期待するのは間違っていると思っています。それが現代社会の良くないところです。ピカソが大谷翔平のように野球が上手かったかと言われたら、決してそうではなかったでしょう。ベートーベンもアインシュタインの相対性理論のことは何も理解できないはずです。大谷だって作曲のことはおそらく何もわからないと思いますよ。万能の天才と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチだってスポーツが得意だったかどうかあやしいものです。現代に生きていたとして、いくら努力しても「ACミラン」の選手にはなれなかったんじゃありませんか。
アキラさんは10倍速の動画を観ることができるだけで、ベートーベンやピカソたちの歴史上の偉人に並ぶことができるのです」
歴史上の偉人は、いくら何でも言い過ぎだろう。それにあのピカソやベートーベン、アインシュタイン、大谷翔平、それと誰だっけ、そうそうレオナルド・ダ・ヴィンチと同列に並べては、かれらに大変失礼というものだ。ぼくは恥ずかしくって外を歩くこともできない。これはまともな会話ではない。
ミタゾノさんにぼくと同じように高速ビデオを観る能力があるかと訊くと、それはないけど、ぼくと違った方法で一般人よりも10倍速く動画を理解することはできると答えた。その方法とは、動画の後ろを観て、それから前に戻ってそこから飛び飛びに観る方法だという。しかし、ミタゾノさんが言うには、こんなことは誰でもでき、すでに誰でもやっていることで、ぼくのような特殊な能力ではないと言って、ぼくの能力を絶賛した。そして、ぼくの能力を広めることによって、現代人のタイパの能力を飛躍的に高めて行きたいと繰り返した。
昔はタイパという言葉は使われなかったけれど、今で言うタイパを上げるために、様々な試みがなされて来たことは確かだ。その中で倍速ビデオ再生に類することと言えば、多くの人たちは本の速読術を思い出すのではないだろうか。小学生の頃、漫画本の広告に載っていた通信販売の速読術の教材を買った者もそれなりにいたはずだ。ほとんどの子供が途中でそれを投げ出したことだろう。何しろ子供は熱しやすく冷めやすいのだ。速読術は今でも細々とではあるが一定のニーズがあるそうだ。そりゃあ、一冊の本を数分で読むことができれば、たとえ受験に役立たなくても、少なくとも友だちには自慢できる。でも、そこに行きつくまでの訓練は、単調で辛いものがあるはずだ。最後までやり通す子供は、数少ない根性のある者だ。だが、そうした根性のある子供が成長して、今でも速読術を利用しているかどうかわからない。速読術ができる人が、世の中で成功しているかわからないが、成功者がすべて速読術を身に付けているわけではないことは明らかなようだ。だって、どのノーベル賞受賞者からも速読術を自慢する話を聞いたことがない。速読術が社会革命をもたらしていないことは確かなようだ。
半信半疑のぼくに対して、現代の情報は本や新聞などの文字情報だけでなく、映像や音声からの情報が飛躍的に増大している。これを高速で手に入れる能力が現代人には求められるようになっている、とミタゾノさんは強調する。
ここでは一応「速読術」に対して、仮に「速視聴術」と名乗っておくことにしようと、ミタゾノさんは言った。この「速視聴術」を二人で確立しようではないか、と熱く説いた。ミタゾノさんは、あたかもぼくを催眠術にかけるように、「社会のため」、「国のため」、「世界のため」という言葉を繰り返した。ぼくは警視庁、FBI、そして今回と、他人に頼られることが嬉しい性分らしく、段々その気になっていった。
「どうか私に力を貸していただけないでしょうか」
ミタゾノさんの声に力が込められた。
人に力を貸すほど、ぼくに力はない。一人で生きて行くのが、やっとなのだ。いや、一人で生きて行くと言うのも言い過ぎで、家族の力を借りて生きていくのでやっとなのだ。
ぼくの中の臆病なブレーキが働いた。もしかしたらこれは犯罪に絡む話かもしれない。そう考えると、手に汗が滲んで来た。こういう時は、そうだチカだ。チカが間に入ってくれれば安心だ。
「そういうことでしたら、私のマネージャーである妹のチカにまず話を通していただけませんか」
さて、相手はどう出るかだ。すると拍子が抜けるような返事が返ってきた。
「ああ、チカちゃんですね。チカちゃんにはすでに話を通してあります。ぼくの隣にチカちゃんがいますよ」
「はーい、兄貴。何をグダグダ言っているのよ。マコト君と組んでFBIよりももっと楽しい事をしましょうよ」
(チカちゃん、マコト君、おまえらできてんのかよ)
「えっ、チカ、いつの間にそこにいるんだよ」
「初めからよ。今時、タイパも知らないなんて兄貴らしいな。ニューヨークから帰って退屈しているんだから、そろそろ刺激のあることにチャレンジしなくっちゃあね。ラーメンやカレーばかり食べ歩いているんじゃないわよ」
「わかったよ。では何をしたらいいんだい。また、何かのビデオを観るのかい」
「そんなことはしません。我々でタイパ革命を起こすのです。詳しいことはチカちゃんに話しておきますので、これからよろしくお願いします。あっ、お母さんも電話に出たいそうです」
(お母さん?)
「アキラ、マコト君いい人だからね。母さんもタイパってよくわからないけど、3人で楽しくやってね」
(キミコさん? どうしてキミコさんがそこにいるの? そこって、背景のテレビって、うちのテレビじゃないか)
「えっ、みんなでそろって、ずっとリビングルームにいたの? ぼくを騙してたんだ」
「スマホの画面をテレビに拡大して観ていたんだけど、アキラの緊張した顔もなかなか良いわね。やっぱり刺激って必要ね」
「えっ、みんなでぼくをからかうのはやめてよ」
「でも、テレビ電話でお話ししたタイパ革命の話はすべて本当ですから。アキラさんの力がなければ何もできませんので、よろしくお願いします」。ミタゾノさんが頭を下げた。
その日、ミタゾノさんは我家で夕飯を食べていった。キミコさんは奮発してすき焼きにした。まだ残暑が厳しかったのだけど、ガンガンにエアコンを効かせて食べた。
つづく




