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16 FBI

16 FBI


 また警視庁から呼び出されたが、今回は警視庁の仕事ではなく、FBIに協力するためにニューヨークに出向して欲しいという依頼だった。チカはFBIの具体的な仕事の内容を聞く前に「はい、よろしいですよ」とあっさりと引き受けてしまった。担当者も彼女の方を向いて「そう言っていただくと助かります。日本の警察もFBIとはうまくやっていかなければならないもので」と言った。チカは「わかっています。大人の事情もいろいろとおありでしょう」とわかった風な口をきいた。警察官はチカに感謝し、二人は固い握手を交わした。

 ぼくは今まで外国に行ったことがない。英語も話せない。チカだって海外旅行をしたという話を聞いたことがない。我家の食卓に海外旅行の話題が上ったことは、これまで一度もなかったはずだ。でも、チカの事だから人知れず一度や二度海外旅行に行ったことがあっても驚くにはあたらない。東大生だから英語を話すことくらい楽勝のはずだ。それにプロレスラーなんだから、ボディガードの役も果たしてくれるだろう。警察官にプロレス技を教えているくらいだから。チカはなんでもありだ。

 ぼくの記憶では、チカはこれまで長期間家を空けたことがない。高校2年生の時、三泊四日で沖縄に修学旅行に行った以外、大学生になってたまに数日外泊することがあるようだが、それだってプロレスの地方大会にスポット参戦したのだろう。

 彼女のことだから、これがたとえ初めての海外旅行だったとしても、不安に思うことはないはずだ。おそらく明日から宇宙旅行に行けと言われても、ビビらないはずだ。すぐにどこかで宇宙服を買ってきて(?)、リビングルームで試着してぼくたちに天真爛漫に見せてくれることだろう。楽しいことには目がないんだから。

 ぼくの方は、FBIと聞いて、映画で観たダーティ・ハリーのように拳銃で撃ちあうシーンが頭に浮かんできて、嫌な予感がしたが、それでもその場では「行きません」という言葉を口に出すことはできなかった。そもそも、ぼくが何かを言う前に結論は出ていたからね。

 後でチカにダーティ・ハリーの話をすると、よくそんな古い映画のことを知っているね、さすがに10倍速で手当たり次第に映画を観ているだけはある、と珍しく感心された。だけど、ダーティ・ハリーの舞台は同じアメリカでも西海岸のサンフランシスコだと教えられた。アメリカの都市の違いなんてわからない。でも、チカが付いていってくれるなら、サンフランシスコだろうがニューヨークだろうが、それがたとえライオンがうようよいるアフリカの大草原だろうが、灼熱のサハラ砂漠だろうが、極寒の南極だろうが、どこでも大丈夫なような気がする。そう言う意味では、チカが頼もしいことは間違いない。兄と妹の立場が逆転していると思われるかも知れないが、現代はそういうことに拘る時代ではない。もし一抹の不安があるとすれば、ぼくをニューヨークのど真ん中に置いてきぼりにする可能性がなきにしもあらずという点である。彼女はどこか気まぐれなのだから。

 仕事の内容については警察官がすべてチカに説明していたが、それでも警察官はぼくに少しは気を遣っているようで、傍にいるぼくにもわかるように平明な言葉で説明してくれた。FBIの仕事の内容は、警視庁でやっている監視カメラの映像を観ることと基本的に同じだという。ぼくはスパイのようなことをさせられるのかと心臓がドキドキしていたが、スパイのようなことをするのはCIAだから、それとは違うと教えられた。その言葉を聞いて少し安心したが、同時に残念な気もした。

 ぼくが映像を観るだけなら日本でもできるだろうと言うと、日本の警察でも同じだが、外部に情報を持ち出せない決まりになっているので、現地に向かわなければならないとのことだった。

 ぼくにとっては初の海外旅行である。キミコさんがスーパーの仕事を休んで付いて行きたいと言ったが、観光旅行ではないのだから、と丁重に断った。もちろんチカが同行することは既定路線である。FBIからも二人分の飛行機のチケットが、チカ宛に送られて来た。日本の警察がFBIにチカをぼくのマネージャーとして紹介したのではないだろうか? まあ、今度ばかりは、英語が堪能で度胸があって、少なくともぼくよりは腕力のあるチカが付いていってくれるのは、ぼくにとっても心強いことだ。マフィアと銃撃戦になったら、彼女はクリンスト・イーストウッド演じるキャラハン刑事のようにマグナムで応戦してくれるだろうか? 多分、その気迫はあっても、手元にマグナムはない。あったら困る。

 飛行機はビジネスクラスで、想像していた以上に豪華なことに感激した。機内でぼくは映画を観ることにして、キャビンアテンダントに倍速で映画を観れないかと訊いてみると、それはできないとあっさり断られた。しかたがないので、テレビゲームを片っ端から攻略していった。そう言えば、ぼくはスピードを求められるゲームにも強くなっていることが、この時わかった。もしかするとゲーマーとして食っていけるのかもしれないと一瞬頭をよぎったが、ぼくは生来運動神経が鈍いので、これ以上上達することはないだろうから、プロとしては成功しないだろう。動体視力や聴力はよくても、手足の運動能力は平均以下なのだ。思うように指が動いてくれない。

 ぼくは豪華な機内食を残さず食べ、出されるアルコールを手当たり次第に飲んで、酔っぱらった。ぼくがこんなにアルコールを飲んだのは初めてだ。意外とアルコールに強いのかもしれない。

 チカは飛行機に乗り込むとすぐにイヤフォンを付けアイマスクをし、リクライニングシートを倒してぐっすり寝たようだった。もしかすると、飛行機に乗り慣れているのかもしれない。それとも、意外と飛行機が怖いのかもしれない。そう思うと、完全無欠のチカの弱点を発見したようでうれしくなった。だけどこんなことを指摘して図星だったら、チカから倍返しされるから触れないことにしておこう。

 ぼくたちがJFK国際空港に到着すると、すでに背の高い白人の刑事と背が低く太った黒人の刑事の二人が、ぼくたちの名前を書いたプラカードを掲げて待っていてくれて、チカが親しそうに二人の名前を呼び英語で挨拶をし、ハグをした。二人も妹をチカと呼んだ。彼女は日本にいる時から二人とテレビ電話で連絡を取り合っていたので、二人はチカの名前を知っているのだろう。ぼくはと言えば、とりあえずニコニコ笑って、二人に愛想を振りまくことにした。

 パトカーでFBIに送ってくれた。パトカーの中でチカは二人と流暢な英語で会話を楽しんでいたが、ぼくには何が何だかさっぱりわからなかった。それでもぼくは車中でニコニコ微笑んでいた。これがぼくの国際外交だ。

 チカの英語力をもってすれば、ニューヨークの滞在も何不自由なさそうだ。ぼくは英語がさっぱりわからないが、英会話自体は日本語の会話よりもスピード感があって心地いい。パトカーの中から見る、ニューヨークの街は人も車も日本よりもずっと忙しそうに動いている。ぼくにとってはそれが心地よかった。ああ、早く超高速ビデオが観たい。この喉の渇きは超高速ビデオの禁断症状かもしれない。そう言えば、FBIにも100倍速のビデオデッキはあるのだろうか? 警視庁の人に聞いてくればよかった。そんなことをパトカーの中で考えていた。

 あとでチカに、パトカーの中で警察官と何を話していたのかと尋ねてみると、「凄く流暢な英語だけど、アメリカで暮らしたことがあるのかと訊かれたので、アメリカにはちょくちょく来ているけど、長期間滞在したことはないと答えた。すると、どこで英語を習得したのかと訊くので、学校とユーチューブだと教えてやった」。へえ、彼女はぼくの知らないうちにアメリカに何度も来ていたんだ。だから飛行機の中でも機内サービスに浮かれていなかったんだ。飛行機が怖いんじゃなくて、飛行機慣れしていたんだ。飛行機が怖いんだろう、って言わなくてよかった。倍返しされていたところだ。

 そう言えば、チカはアメリカのユーチューブも観ているので、ニューヨークの景色にも随分なじみがあるようだ。ぼくは10倍速で日本のユーチューブばかり観ているけど、チカはたまに2倍速で海外のユーチューブを観ているそうだ。なんだかぼくがバカみたいじゃないか。チカよりも5倍の速度でユーチューブを観ることができても、ぼくの世界はいつまでも日本国内限定だった。これは永遠に打破できないかもしれない。ぼくは質より量、その量も国内限定と、いじましいものだ。少し世間を拡げなければならないかもしれない。そのためにも、今回のアメリカ滞在を良いきっかけにしなければいけない。ぼくにも少しスイッチが入ったのかもしれない。


     つづく

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