13 高速視聴の利用
13 高速視聴の利用
ぼくは退屈していた。10倍の高速動画を観ていれば満足する男だったのに、どうしたわけかこの頃退屈するようになってきた。何が不満なのだろう。満たされない何かがぼくの中にある。
中学生の頃、友だちが倍速でテレビ番組を観ることができるなら、将来テレビ番組の批評家になればいい、と言ったことを思い出した。それかと言って、ぼくに何かを批評する力なぞあるはずないのだから、批評家などという高尚な者になることはできない。少しでも早く観た者勝ちに価値があるとするならば、新作映画を誰よりも早く観て、その内容をユーチューブで紹介することが今のぼくに思いつくことだ。ぼくには気の利いた批評や毒を含んだコメントはできないけれど、観る速さでは誰にも負けない自信がある。ぼくはネット配信された初日に新作映画をすぐに観て、その紹介記事を文章でユーチューブに載せることにしよう。だけど、ユーチューブで顔を晒すのは絶対に嫌だ。
反響はまったくなかった。紹介記事の内容が無味乾燥で薄っぺらなことは、すでにわかっている。それに久しぶりの文章だ。話し言葉の域を出ていなくて、しかもろれつが回っていなくて、同じことを繰り返しているような文章だ。一応、発表する前には一度読み返しているのだが、それでも後から読むと誤字脱字だらけだった。書きまくっていれば、徐々にうまくなるはずだ。とにかく、ぼくの取りえは、誰よりも速く映画を観ることができることだから、なりふり構わずいち早く発信しなくては、何も存在価値がない。コメントの中身なんかどうでもいい。北極点や南極点、月に一番に最初に立った人はそのコメントよりも、一番早く到達したそのこと自体が不滅の価値なんだ。ぼくが新作映画を一番に観ることは、そんな歴史上の出来事と比べては失礼に当ることくらい、ぼくにだってよくわかっている。少し興奮したみたいだ。
ぼくが誰よりも早く新作映画を観ていたと思い込んでいたけれど、実際は、ぼくよりもずっと早く観ている人が、それもそれなりにたくさんいることがわかった。かれらは映画のプロの批評家たちだ。かれらは作品が一般に公開される前に試写会に招待されて、一般人よりも早く観て、それでぼくなんか比べ物にならないくらい気の利いたコメントを出している。
そう言えば、この前たまたま見た新聞に、映画の試写会を観た人の感想が掲載されていた。試写会を観たという有名なタレントが「感動して涙が止まりませんでした」と、型にはまった性もないコメントを出しているのを思い出した。
最近、ぼくは新聞を読んでいないし、ネットから自分の好みの情報しか得ていないので、情報が偏っている。新聞を捲って自分に興味のない情報もそれとはなしに目の中に入れておく必要がある。
ぼくの新作映画の紹介記事は、試写会に参加したプロの映画評論家や芸能人よりも発表が遅いうえに、下手くそな日本語で、知性の欠片もない稚拙な文章であることは確かだ。速さが勝負だったのに、試写会というシステムがある限り、ぼくはかれらに到底太刀打ちできないことがわかった。
普段諦めの良いぼくだが、今回はあきらめずに考えた。試写会のないユーチューブの新作ならば、ぼくは10倍速で誰よりも早く観ることが可能だ。ぼくが観たものを100点満点で評価して、短いコメントを付ければいいんだ。自分の瞬間的に思いついたコメントを述べることを恐れてはいけない。そもそも何の変哲もないコメントを読んだって面白くないじゃないか。ぼくだってそんな無味無臭のコメントを読みたいとは思っていないし、読んだとしても記憶に残っていない。平凡で気の弱いぼくだから、いくら頑張ってもそんなに独創的で他人を傷つけるようなどぎついことを書けるはずがない。自分がもう一度観たいかどうかだけの判断基準で、新作の評価をユーチューブに載せて行けばいいんだ。
こうしてぼくはユーチューブの新作をどんどん観て、ユーチューブに短いコメントを載せていった。顔も声も出さないのだから、ユーチューブではなく他のSNSでもよかったのだが、ぼくは他のSNSのことをあまり知らなかった。
少し経って、やっぱりキーボードで文章を入力するのが面倒になってきた。それにぼく自身が文字しか出てこない自分のチャンネルを観たいとは思わなくて、いままで上げたぼく自身の無言のユーチューブを再生したことがなかった。やっぱりユーチューブは動画でなくては面白くないので、ぼくは自室で目と口のところに穴を開けた紙の袋を頭から被って、取り上げた動画のチャンネル名とその評価点をマジックで書いたボードを両手に持って、語ることにした。
普通に喋っているつもりだが、気恥ずかしいこともあって、随分早口になっているようだ。早口を指摘するコメントが載った。だが、この早口が視聴者にとっては、ぼくの動画の一つの個性になっているらしい。何が個性として評価されるかわからないものだ。
ぼくは自分の動画を10倍速で再生してみた。早口は指摘されるほどには気にならないのだが、映像が暗い。顔に紙袋を被っているので、中東のどこかの国の地下室で、テロリストに拉致されて喋らされている捕虜のように見える。早口だがおどおどしているのも捕虜らしさを醸し出している。これが独特の雰囲気があっていい、とコメントする人も結構いるが、こんな暗い映像はぼくの趣味ではない。照明を明るくして、紙袋ではなく、ひょっとこかパンダか、はたまた月光仮面のお面を付けることにしよう。月光仮面が好みだが、最近は売っていないかもしれないから、マジンガーZの面でもいい。すぐに買ってこよう。たしか百円ショップにも似たようなお面を売っていたはずだ。
ここでぼくの動画をいくつか紹介しておこう。もし気に入ってくれたら、チャンネル登録や「いいね」を押してくれたら嬉しい。
「このおならの動画、一見の価値あり。おならの音で作曲しようとする意気込みは評価できる。今のところ曲になってはいないが、期待とやる気に99点」
「このコント、理解できず。5回見たが理解できない。ぼくがお笑いのセンスがないのかもしれないが、0点。許せ」
「この漫才、シュール。今まで見たことがない。万人受けするとは思えないし、テレビには出演できないと思うけど、100点。応援してます」
「この元プロ野球選手の暴露話、聞き飽きました。0点」
「この元プロ野球選手、ぼくは野球に興味はありませんが、根性論ではなく、なにやらやたら理屈っぽい。この理屈でぼくもフォークボールが投げられる気になってきました。この理屈理解できる人は面白そう。75点」
「芸能界の裏情報。興味なし。0点」
「回転寿司屋の醤油差しを舐めるな。犯罪。要警察。誰もこんなチャンネルを観るな。眼が腐る。マイナス一万点」
「政治家の自己宣伝。興味なし0点」
「中国拳法の秘伝。渋い。90点」
「大地が割れる。加工動画。見飽きた。0点」
「子猫がミルクを飲んでいる。かわいいけど、ぼくはイヌ派。50点」
「この素人の女の子の歌は心に沁みる。一度聴いてみる価値あり。100点」
「喧嘩のシーン。血生臭いのぼくきらい。0点」
「ダンプに轢かれて宙に舞って、みごとに着地したって。これ加工動画でしょう。0点」
「アリの綱引き。糸で結ぶの大変だったね。80点」
「カマキリ対カメムシの戦い。これは面白い。恐るべしカマキリ。100点」
我ながら性もないユーチューブだと思ったが、それでも続けて行くうちに評判となり、知らないうちにチャンネル登録者が10万人も付いていた。
ぼくのユーチューブで高得点が付いたチャンネルは、たくさんの人が閲覧するようになった。こうなってくると、ぼくから高得点を得たい人が、ぼくに接近してくるようになった。ユーチューブに載せる前にぼくに作成した動画を観てもらいたい、という人まで現れてきた。こうなったら一人試写会である。こうしてぼくだけ発表される前に観ることができる動画が増えていったので、ぼくは一層誰よりも早くユーチューブの新作を観ることができるようになった。ぼくのコメントは短く、何の毒もないのだけれど、仮面を被って、速く喋るのが聴いている人たちには、小気味がいいらしい。それにどこにも受け狙いがなく、素直に批評しているのが好感を持たれているようだ。
ユーチューバーの中に、1時間物の新作をユーチューブに上げたのに、あげて10分も経たないうちにぼくのコメントが発表されることを不審に思う人が現れた。端から端まで全部観ていないんじゃないかとクレームをつけてきたのだ。いくら2倍速で見たとしても30分はかかるのだから、スライドバーを使って飛び飛びで観ているだけじゃないか、と文句を言ってきた。そのうち、そうした非難の声が無視できない数になった。口汚く罵って来るコメントも増えてきた。もしかしたら、これを炎上というのかもしれない。
ぼくはインチキではないことを証明するために、初めてのライブ中継を行った。フォロワーは1万人を超えた。ライブは、クレームをつけた人に2時間物の新作をユーチューブに上げてもらって、15分後に彼から質問をしてもらい、質問に答えることにした。これをライブ中に手を上げた3名で繰り返した。ぼくはほとんどすべての質問に答えることができた。視聴者はコメントで、ぼくをマジシャンとか天才とか超能力者とか、絶賛した。ぼくは、ライブの最後に、10倍速で動画を観ていることを白状した。
このライブ以降、ぼくは他人のユーチューブの新作を観て、自分の動画を作成することに忙しくなっていった。もはや、そこに浪人生の姿は微塵もなかった。ぼくはその筋では有名なユーチューバー「サンダー仮面Z」になっていた。チカはぼくがユーチューブでチャンネルを持っていることを当然知っているはずだが、夕食の席で話題にのせることはなかった。
「サンダー仮面Z」は、毎日手当たり次第にユーチューブを観て、自分のチャンネルにコメントを載せる日々を送った。初めこそくだらないチャンネルでも初見なので、それなりに新鮮で面白かった。ぼくは子供の頃からソファに寝そべって興味もないテレビ番組を観ていた生活が長かったので、ながらで興味もない番組をボーと観続ける力は他の誰よりもあると自負していた。そんなぼくでも、何万ものユーチューブを観ていると、くだらないものを最後まで観るのは辛くなっていった。
一つのコンテンツを観るのは、平均すると1分程度なのだから、くだらないコンテンツであってもほんのわずかな時間我慢すればいいだろうと言う人がいるかもしれないが、ぼくにとってはその1分がとても長く感じられるのだ。あなた方の10分に相当すると言ったらわかってもらえるだろうか。
テレビと違ってユーチューブのコンテンツの質は低い。それに情報の信ぴょう性はほとんどと言っていいほどない。当人が自分のことを暴露しているからといっても、昔話は誇張と自己肯定が多いので、たとえ本人が本当のことを言っているつもりでも、眉に唾付けて聴いたほうがいい。それにどの話も視聴者の好みとも合致するように面白く脚色されているので、ユーチューブから真実を得ようとするには無理がある。テレビのように映像の質が高ければ我慢することもできるが、質が悪いと、ながらでも視聴に耐えられない。ぼくはだんだんユーチューブを観るのに飽きてきた。こんなことに時間を割いていては駄目だと思い始めた。それかと言って、ぼくには他にやることが思いつかない。
つづく




