9 三者面談
9 三者面談
ぼくは麦山中学校の3年生になって、夏休みが終わると担任のカワハラ先生、通称カワちゃんとキミコさんとぼくの三者面談が学校であった。
カワちゃんは面談の冒頭、にこやかに「アキラ君は素直でいいお子さんですね。クラスのみんなとも仲良くやっています」と口を開いた。これはカワちゃんだけでなくほとんどの先生が親から信頼を得るための三者面談の初っ端の決まり文句なんだろうが、キミコさんは素直に嬉しそうだった。キミコさんはどこでも屈託がない。
「進路の方はご家族でよくお話になっていますか? 先日提出していただいた進路希望については、アキラ君が第一志望を聖俊高校にし、第二志望を英信高校と記入されておられることは、お母様もご承知ですよね」
「はい。アキラはおっとりした性格なので、まだ受験勉強にエンジンがかかっていなくて。夏休みも塾には真面目に通っていたんですが、家にいる時は宿題をすませると、テレビばかり観ていたんです。これからよっぽど頑張らないと聖俊高校に入れないことは、重々わかっています。アキラ、これから頑張るわよね」
ぼくは黙ってうなずいた。頷く以外、取る態度をぼくは知らない。
カワちゃんは机の上にぼくの成績表や模試の結果、その横に県内の高校の偏差値の一覧表を置いて、感情を込めずに機械的に説明していった。
「アキラ君はこれからもっと頑張ることでしょう。私も大いに期待しているところです。やればできる生徒さんであることは間違いありません。私が担当している英語の授業でも、とっても流暢な発音をしていました。英会話の塾に通っていらっしゃるのですか?」
「いえ、英会話の塾には行かせていません」
「そうですか。とっても英語の発音がいいですね」
「でも、恥ずかしながら、英語の成績は悪いですよね」
「まあ、そのうち英語の成績も上昇してくると思います。英語の発音が良い子は、間違いなく英語の成績が伸びてきますから。さて、ここに示してあるように、聖俊高校に合格するためには偏差値が60以上は必要でして、アキラ君は先日の模試では偏差値が47でした。これでは第二志望の英信高校にも合格が難しい現状です。英信高校の偏差値は50です。そこはご理解頂けていますでしょうか?」
「はい。十分に理解しております。でも、本人がいまから頑張って勉強すると言っていますので。いままで勉強しなかった分、一挙に成績が伸びるんじゃないかと、親ばかですが、そう信じているのですが?」
(ぼくはこれから頑張って勉強するって言った覚えはないんだけど・・・)
「例年そうなのですが、ほかの生徒さんもこれから必死で勉強していきますので、この時期みんな成績が伸びてくるんです。もちろん、アキラ君はそれ以上に飛躍的に成績が伸びてくるかもしれませんから、現時点では、第一志望と第二志望はこのままにしておいていいかと思います。やはり目標は高くないと、勉強に身が入りませんからね。子供というのは一度スイッチが入ったら、その時から我々教師も信じられないくらい大きく伸びて行きますからね」
「スイッチですか? そろそろうちのアキラにもそのスイッチが入ってくれればいいのですが」
「こればかりは人様々ですから、いつやる気スイッチが入るかわからないのですよ。教師である我々も生徒一人ひとりのスイッチを探しているのですが、正直難しいですね」
「私の方もスイッチのありかを探してみます。アキラ、スイッチはここらにあるの?」と先生の前にいることを忘れたかのように、キミコさんは冗談めかしてぼくの頸椎を右手の人差し指で押した。ぼくはこそばゆかったので、笑いながら体をくねらせた。
「仲がよろしいですね」
「いつまでも子供なもので」。ぼくはキミコさんの方がよっぽど子供のように思っているのだが、カワちゃんに二人して子供だと思われたらいけないので、黙っておくことにした。
「話を戻しますと、滑り止めとして一応第三志望も考えておいてください。偏差値はそこそこですが、月影高校は生徒の個性を伸ばす良い学校と評判が高いです。先生方も熱心に指導されているそうです。月影高校のこと、頭の片隅でいいですので、考えておいていただけませんか」
「わかりました。アキラは毎日テレビばかり観ているので、二学期からはあまりテレビを観せないようにします」
「そう言えば、アキラ君は凄く速いテレビを観ることができる、とクラスの間で評判ですが、お母様はこのことをご存知ですか?」
「もちろんです。アキラが観ている高速ビデオデッキ『スピー』はうちの主人が作ったんですよ」
「そりゃあ凄いですね。エンジニアでいらっしゃるのですか?」
「はい。会社でどんな仕事をしているか、私も詳しくは存じませんが、我家の冷蔵庫などの家電品が壊れたら、すぐに修理をしてくれるので助かっています」
「そうですか。わたしなんか電気は苦手でして、何も修理ができないんですよ。それでアキラ君、普段は何倍の速度で観ているんだい」
「10倍」
「10倍です、でしょう。言葉遣いがなっていなくてすみません」
ぼくがぶっきら棒に答えたのは、それが三者面談の子供の取る態度だと思っていたからだ。ぼくら中学生は、小学生のような子供じゃないんだから、子供のように爽やかに返事するのは気恥ずかしい。斜に構えて反抗期のような態度を取らなければ中学3年生らしくないんだ。特に、親の前ではね。それが友だちの間での暗黙の了解だ。それかと言って、普段は先生やキミコさんには素直なやり取りをしている。こんな態度は三者面談の時くらいだ。このことくらいカワちゃんもキミコさんもわかってくれているはずだ。
「いえ、いいんですよ。それにしても10倍というのは凄く速いんじゃないか。先生にも観ることができるかな?」
「無理でしょう」
「先生になんてことを言うの。生意気ですみません」
「音声が聴き取れる市販のビデオデッキは、普通1.5倍くらいだろう」
「先生、少しは知っているね。1.2から1.6倍くらいかな」
「かな、じゃなく、です、でしょう。先生、本当に躾けがなっていなくて申し訳ありません。普段はこんなことはないんですが」
「いえ、いえ。三者面談ですから。生徒はみんなこんなものですよ」
「そうですか。うちではこんな言葉遣いはしていないのですが」
「学校でもしていませんよ。三者面談用なのです。お母様も気になさらないでください。ところで、10倍の速度の動画を観て内容がわかるのか?」
「うん」
「はい、でしょう」
「はい」
「それじゃあ、音声も10倍速なの?」
「うん」
「アキラは10倍の音声を聴き取ることができるんだ」
カワちゃんはアキラの君付けを忘れてしまうくらい、話に乗って来た。
「音声が聴き取れないと、内容なんてわからないよ。先生も音を消してテレビを観たりしないでしょう。音のないテレビなんて本当に面白くないよ」
「そりゃあ、そうだ。普段はいったい何を観ているんだ」
「何でもだよ」
「なんでも10倍速で観ているのか? 毎日?」
「毎日は観ないよ。週末だけだよ」
「じゃあ、平日は何をしているんだ。勉強か?」
「まさか。平日は父さんと一緒にテレビを観ているんだ」
「テレビばかりですみません。主人に似てテレビっ子なもので」とキミコさんが口を挟んだ。
「テレビっ子ですか・・・。懐かしい言葉ですね。それじゃあ、お父さんも10倍速のテレビを観ているの?」
「平日は普通の速度でテレビを観ているよ。かったるいけどね。我家で10倍速でテレビを観ることができるのはぼくだけだよ」
「いったい10倍速の動画は、どんなものなんだい?」
「興味おありですか?」とキミコさんが訊いた。
「あります」
「先生、ちなみに私のスマホの中に10倍速でテレビ番組を入れているのですが、観てみます?」
キミコさんは、ぼくの知らないうちにスマホの中に10倍速の映像を保存していたのだ。これを使って、キミコさんは知り合いに会った時に、ぼくのことを自慢しているのかもしれない。キミコさんならやりかねない。
「スマホでは画面が小さくてわかりづらいでしょう」
「おそらく大きな画面でもわからなかったと思います。音声なんて、何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした」
「雑音にしか聴こえませんよね。アキラ、先生にこの番組の説明をしてあげて」
「ニュース番組でしょう。北朝鮮がミサイルを3発発射したんだって。最近よくやっているやつだよ」
「この番組は以前に観て覚えているの?」
「観たかもしれないけど、そんなのすぐに忘れるじゃん。今観てわかったんだよ」
「他の番組はありませんか?」
「ありますよ。これはコントのはずです」
「一瞬ですね。この会話を聴き取ることできるの?」
「うん」
「この映像と音声を理解できるんだ。アキラは天才かもしれないな」
キミコさんが嬉しそうに身を乗り出した。
「でしょう、でしょう、そうでしょう。これまでアキラの他にテレビを10倍速で観ることができる人の話を聞いたことがありませんの。ですから、これから他人よりも10倍速く勉強するようになるんじゃないか、と密かに期待しているんですよ」
それは親ばかです、とぼくは口に出して言いたかったが、母の手前黙っておいた。
「お母さん、その可能性は大ですね。アキラはこれから他の生徒よりも10倍の速度で成績が上がっていくかもしれませんよ。いえ、間違いありません。私もこれからのアキラに期待することにします。受験まであと5ヶ月ちょっとですから、同級生の5ヶ月はアキラにしてみたら、50か月分に相当します。50ヶ月ということは、4年と2ヶ月ということです。ということは、小学校にまで遡って復習できることになります。10倍速のビデオ教材を観ることができる能力を最大限に活かせば、第一志望の聖俊高校も決して夢ではありません。いえ、アキラならもっと上の超有名進学校に合格できるかもしれません」
いつも冷静なカワちゃんが興奮していた。ぼくは内心可笑しくなったが、ここで笑ってはいけないことくらいはわかっている。
「先生、そうでしょう。アキラの能力は凄いでしょう。やればできる子なんですよ」
「間違いなくできます。学年で一番の子も10倍速のテレビなんか観れっこありません。いや、我校だけでなく、全国の中学生の中でも10倍速の動画を観れる生徒はいませんよ。アキラ、10倍速で勉強しろよ。そして、おまえを馬鹿にした奴らを見返してやれ」とカワちゃんは力を込めていった。別にぼくは同級生の誰からも成績が悪いからといって馬鹿にされた覚えはない。もしかしてカワちゃんは内心でぼくを馬鹿にしていたのだろうか?
「そろそろスイッチを入れろ、アキラ」
「そうですね。今がスイッチを入れるタイミングですよね。アキラ、スイッチを入れて頂戴」。そう言われたからといって、突然スイッチが入るわけがない。そもそもぼくにスイッチがあるのだろうか?
ぼくたちの次の三者面談の順番を待っていたサトミさんの母親が、あまりに長く待たされていたので扉を少し開けて「すみません」と顔を覗かせてきた。ノックした音はぼくたちには聞こえなかった。多分、カワちゃんとキミコさんの興奮した声でかき消されたのだ。カワちゃんはにべもなく「もう少しお待ちください」とサトミさんの母親の方を向いて言った。
「お母さん、アキラには期待していますからね。大器晩成とはアキラのためにある言葉です」
「大器晩成だなんて、アキラはまだ子供ですよ」
「失礼しました。私たち中学校の教師は、生徒と中学校時代にしか接することができないので、中学校を卒業してからは”その後”ということになるのです。とにかく、アキラ、頑張れよ。これからが楽しみだな。勉強でわからないことがあったら、何でもおれのところに聞きに来てくれ。遠慮はいらないからな」
「先生、これからもアキラのことをよろしくお願いします」
「お母様も、何かありましたら気軽に私にご連絡ください。二人でLINEをしますか?」
キミコさんとカワちゃんはLINEを交換した。こんなに軽くていいのだろうか、とぼくは心配になってきた。カワちゃんは満足したように「今日はご苦労さまでした」とキミコさんに言った。
キミコさんは上機嫌で教室を後にした。ぼくは帰宅すると、すぐに自室に入り、『スピー』を観始めた。今日は水曜日だけど、まあいいじゃん。
つづく




