第五十話 車いすに乗った美少女は……
知佳の言葉に込められている感情に圧倒される。
知佳は、障碍者である兄に両親が時間を割くのを当然だと思ったのだろう。
文句を言うのはお門違い。
彼女は優しいから、そう考えたっておかしくない。
「お兄ちゃんが死んでもそれは変わらなかった。ようやくいなくなったって思っちゃった自分が嫌いだった。お兄ちゃんのこと考えないでなんて言えなかった。だから私はこの方法しか知らなかった!」
嗚咽した知佳の背中を、姉ちゃんが優しくさする。
「私の足が動かなくなれば、私にお兄ちゃんの姿を重ねてくれるかもしれない。実際にお父さんもお母さんも私を見てくれるようになった」
でも! と知佳が喉を締めつけるようにして叫ぶ。
「すぐにそれは、私を通してお兄ちゃんを見てるだけだって気づいて、悲しくなって」
知佳の身体が震えだす。
涙が太ももの上に落ちていく。
「だからやめようって、やっぱり動かそうって思ったら今度は怖くなって。歩けるようになったらまたみんな離れていくんじゃないかって、怖くて怖くて、辰馬や愛奈萌も離れていくって、あのころの私に戻ったら誰も私を見てくれなくなるって、一度そう思いだしたら怖くてたまらなくなって」
――辰馬がこんな風に優しくしてくれるなんて、足が動かないおかげだね。
知佳はそうつぶやきながら、自分の足をさすっていた。
それが癖なんだと思わせるくらい、何度も何度も。
「そんなことない。俺が知佳の前から離れるわけないよ」
「私もだよ」
「そんなことわかってる!」
知佳は胸の辺りを掻きむしりながら叫んだ。
「この怖さは、理屈じゃないの。騙してるけど、騙すしかなかった。私もどうしていいかわからなかった。ごめんなさいって思い続けてた!」
知佳は涙を手で拭いながら、首を左右に振り続ける。
「死ぬとか思い出とか、ずるすぎるよ。死んだ人には勝てない。思い出にはどうやったって敵わない。お兄ちゃんのことを恨めしく思っちゃう自分が許せなくて……私、言っちゃったの。お兄ちゃんのせいで私がいじめられるんだって!」
知佳は肩で息をしている。
すごく苦しそうだが、話すのだけはやめなかった。
「でも、そしたらお兄ちゃん笑ったの。私はその笑顔から逃げたの。その後すぐに交通事故で死んじゃった。私を探してたって。なんで? 嫌だよそんなの。なんでほんとにいなくなるんだよ!」
悔恨だけが詰め込まれた声は、聞いていて本当に切なかった。
知佳は俺と同じだったのだ。
謝罪することができぬまま、大切な人を失っていた。
「辰馬も愛奈萌も、みんな本心で会話してて辛かった。羨ましかった。苦しかった。私だけ歩けないって嘘いて、隠して、ばれて、逃げて、だからそんな資格ないって思って、醜くて、嘘つきで、人のこと考えなくて、そういう人で、だから、私は、ずっとずっと!」
――歩けないふりしかできなくて。
その言葉を最後に、知佳は子供のように声をあげて泣き始めた。その涙の一粒一粒に、これまで知佳が感じてきた苦しみが詰まっているのだと思う。
「そんなわけあるかよ」
俺は小さく息を吐きながら、知佳の話を聞いて感じたことを頭の中で整理していく。
これで知佳の過去をすべて知ることができた。
いや、これがすべてではないのかもしれないけど、知佳が自分から、梓川知佳のことを語ってくれた。
「なぁ、知佳」
惚れた相手の名前を呼びながら、そっと歩み寄っていく。
示し合わせてなかったのに、愛奈萌も一緒に歩き出していた。
「本当にありがとう。知佳のこと、知佳の言葉で教えてくれて」
知佳は俺の方を見ていないけれど、俺は知佳に微笑みかけた。
「知佳は不安なんだよな。歩けるようになったら見捨てられるかもしれないって。嘘をついてることが苦しいって」
泣きじゃくっている知佳が、わずかに顎を引く。
俺はそんな彼女に向けて真っすぐ手を伸ばす。
「だったら、別にそのままでいいじゃん」
「…………え?」
知佳がすっと顔を上げた。
口をぽかんと開けている。
なにを言われたのかまだ理解できていないっていう、そんな顔だ。
「車椅子に乗ったままでいいじゃん。別に俺は知佳が歩けようが歩けまいが関係ない。だって俺は知佳が好きなんだ。知佳が知佳だから一緒に居たいし、遊びたいし、好きになったし。知佳がいたい知佳のままでいればいいんだよ。俺はそれで嬉しい」
歩ける人の方が幸せだなんて誰が決めたんだ。
俺の母さんは、歩けなくたっていつも笑っていた。
楽しそうだった。
幸せそうだった。
最高のお母さんだった。
「私が、私のまま?」
「辰馬の言うとおりだよ」
隣の愛奈萌も笑顔でうなずく。
「知佳が歩くなら私は知佳と腕を組んで歩くし、知佳が車椅子に乗るなら私は知佳の車椅子を押す。ただそれだけのこと。それに、私たちだけが知佳が本当は歩けるってことを知ってるわけでしょ? なんかここだけの秘密って感じで、特殊ミッションを行ってるスパイみたいで、すごい楽しそうじゃん!」
力強く言い切った愛奈萌も、俺と同じように知佳に向けて手を伸ばす。
「教えてくれて、話してくれて、信頼してくれてありがとう。私いま、知佳のおかげですごく幸せ」
「辰馬……愛奈萌…………」
知佳は、俺と愛奈萌の手をじっと見つめている。
何度も瞬きを繰り返している。
「……私は、私のままで、いていいの?」
「ああ!」
「もち!」
「嘘ついたままでいいの?」
「俺たちは全部知ってるからもう嘘じゃないだろ?」
「でも私、お兄ちゃんのこと逆恨みするくらい性格悪いよ」
「だったら私の方が性格悪いよ。二人をはめようとしたんだから」
「辰馬、愛奈萌…………。私、は」
そう呟いて、唇をもにょもにょと動かし始める知佳。
「あ、私、は……」
彼女は胸をこぶしで二度たたく。右の耳たぶを引っ張り、鼻水を三回すすってから――大きな声で叫び始めた。
「お兄ちゃんのことが好きだったのっ! お兄ちゃんだけは、知佳っていつも私の名前を呼んでくれた。嬉しくなっちゃった自分が許せなくて! お兄ちゃんに謝りたくて! ごめんなさい! ごめんなさいお兄ちゃん! ごめんなさい!」
ああ、これが知佳の本当の思いなんだ。
すぐにわかった。
ずっと吐き出したかった知佳の本心が一気にあふれ出ている。
知佳はずっとお兄ちゃんに謝りたかったのだ。
「私! お兄ちゃんのこと大好きっ! お兄ちゃんの妹でよかった!」
叫び終えると、知佳は歯を食いしばって俺たちを交互に見た。すぅ、はぁ、と呼吸を落ち着かせ、涙をこらえながら笑う。
それは、可愛い知佳にお似合いの最高の笑顔だった。
いったい何度俺を惚れさせたら気が済むんだよ!
「私、二人と、ずっと一緒にいたいです」
「望むところだ。知佳が離れようとしたって俺が離れてやらねぇから」
「私だって。今度一緒にBL本買いに行こうね」
「うん。ありがとう。辰馬、愛奈萌」
知佳の目からまた涙が零れ落ちる。
でも、それは先ほど流していたくすんだ涙ではない。
清らかでキラキラと輝いている、クリスタルのように澄んだ涙だ。
「私、二人と会えて本当によかった」
それから知佳は俺たちの手をしっかりと握りしめ、ゆっくりと立ち上がった。




