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第四十八話 マリアナ海溝よりも

「うん。すぐ行くから待ってて」


 力強い言葉で宣言する。


 心が、その内側も外側も、とても暖かい。


 この暖かいを、早く知佳に伝えたい。


「こういうときは早く、ベッドの上ではじれったくって、ようやく辰馬もわかってくれたか」

「ごめん。それはわからないなぁ」

「じゃあわかるまでお姉ちゃんで特訓する?」

「するかバカ! ……ありがとう」


 俺はそう伝えて電話を切った。


 迷いはもうない。


 本当になにやってたんだ俺は。


 俺は梓川知佳という女の子に惚れている。ただそれだけで行動理由は充分。彼女が車椅子に乗っていたからでもなく、歩けないからでもなく、知佳だったから惚れたのだ。


 そんな彼女がいま、苦しんでいる。


 それを救いに行かなくてどうするんだ。


「ってかそうだよな……」


 俺は知佳と一緒にいて、知佳に好奇の視線を向けるやつらに憤っていた。差別すんなよ、知佳だって俺たちと同じ人間だ、って思っていた。


 でも、それは違った。


 知佳が歩けないこと。


 それを一番意識して、気を遣って、差別していたのはこの俺だったんだ。


 なんとかして知佳を歩かせようとしていたのだから。


 告白の言葉に、『知佳の足になりたい』なんてプレッシャーのかかる言葉を選んでしまうくらいに。


「健常者とか障碍者とか、関係ないんだ」


 そんな区別の言葉があること自体おこがましい。


 俺は健常者、障碍者という言葉の近くで生活してきたのに、本質のすぐそばにいたのに、ずっと勘違いしていた。


 健常者だからなんだ!


 障碍者だからなんだ!


 知佳は紛れもなく知佳じゃないか!


 俺は本当に最悪なことばかり知佳にしていたのだ。


 歩けるふりをしていた知佳にとって、『知佳の足になりたい』なんて言葉は、自身の身勝手な嘘を責められているように聞こえる悪魔の言葉で。


 俺が歩かせよう歩かせようとしすぎたばかりに、歩けないことが悪いことだと思わせてしまったのかもしれない。


 俺のこれまでの行動によって、知佳は罪悪感に押しつぶされてしまっていたんだ。


 歩けようが歩けまいが歩けないふりをしていようが知佳は知佳なんだ!


 知佳がそこにいてくれたら、他の事なんてどうでもいいんだ!


「辰馬、いまの電話って」


 車椅子に座ったままの愛奈萌が、不安げな目でこちらを見上げる。


 俺はにっと笑って答えた。


「姉ちゃんから。知佳はいま俺の家にいるらしい」

「それ、ほんと?」

「ここで嘘をつくような男に見えるか? 俺は行くよ。知佳に会いに」

「そう……」


 愛奈萌は唇を噛みしめつつ、目線を下げていく。太ももの上に置かれている握りこぶしが小刻みに震えていた。


「じゃあ、知佳によろしくって言っておいて」


 そのこぶしがゆっくりと解かれると同時に、愛奈萌はどこか悔しそうにつぶやいた。


「え? 愛奈萌は行かないのかよ?」

「だって私がいたら、さっきみたいに二人を危険にさらすかもしれないから」


 愛奈萌はそのまま夜の闇に溶けてしまいそうに見えた。いまのは愛奈萌の本心じゃない。現実から目を背けるための作られた理由だ。


「あれは愛奈萌のせいじゃない。みんなわかってる」

「でもっ!」

「俺は会いたいから会いにいくんだ。知佳の気持ちなんて関係ない。自分に正直になるって決めたから――愛奈萌、一緒に行こうぜ!」


 俺が微笑みかけると、愛奈萌はうつむいてなにか考えるような仕草を見せる。


「…………私もっ!」


 車椅子からどばっと立ち上がってこちらを振り返った愛奈萌の目には、強い輝きが宿っていた。


「一緒に行きたい。だって知佳に伝えなきゃいけないこと、いっぱいあるから」

「だろ? そう思ったから聞いたんだよ」

「うわっ、いま不覚にも辰馬のことイケメンだって思っちゃった」

「普段からイケメンの間違いだろ?」

「ええー! って非難したいところだけど、よく考えるとそうだったのかもね」

「そこは非難するところだろ? 愛奈萌はお笑いを知ってる女の子だと思ってたのに」


 流れ的に褒められると思っていなかったので、少し頬が熱い。


「だってしょうがないじゃん。辰馬のおかげで私は変わったし、知佳もきっと変われるんだから」


 くしゃりと笑った知佳の頬も少しだけ赤くなっている。


 なんだ、愛奈萌も同じなら……ちょっといじってやるか。


 そう思って口を開こうとした直後、愛奈萌は大きく背伸びをしながら俺に背を向けた。


「よっしゃがんばろ。まだ知佳にはBLの魅力を十分の一も教えてないんだから」


 こいつ、俺からいじられると思って話題を逸らしやがったな。ま、俺は笑いをわかっているから、タイミングを逃したいじりに固執したりしない。ここでの最適なツッコみを披露してやろう…………やべ、全然思いつかない! とりあえずなんか言わなきゃ!


「嘘だろそれ! 勉強会したときなんか、万里の長城があくびするくらい長く語ってたじゃないか!」

「はぁ? 万里の長城って、なに言ってんの? BLはマリアナ海溝よりも奥深いのよ。私たちと同じでね」


 くそぉ、俺よりはるかに愛奈萌の方がうまいこと言えてやがる。いやどっちもどっちか。ってか万里の長城があくびするくらいってわけわからんな。ははは、悔しいぜ。


 でも。


 愛奈萌の言う通り。


 俺たちは、これからずっとずっと奥深くなるのだ。


「じゃあ、行くか」

「うん。女の子の逃げるは、追いかけてこいの意思表示だもんね」

「うわぁ、そんなのわかんねぇ」

「だから辰馬は童貞なのよ」

「今はそれ関係ねぇだろ」

「知佳のために取っといたのよね。童貞を」

「童貞童貞うるせぇなぁもう!」


 冗談を言い合ってから、愛奈萌と目を見合わせ、うなずき合う。


 俺たちは、知佳の心に近づくための第一歩を一緒に踏み出した。

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