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第四十六話 甘えてもいい相手

「……え? どういうこと?」


 尋ね返してきたときの愛奈萌の声はひどく震えていた。


「言葉通りだよ。歩けるのに歩けないふりをしてたんじゃないかなってこと」

「……歩けない、ふり」

「ああ。だから知佳は逃げた。歩いてしまったから、『ごめん、違う』って言葉が出てきた。俺たちをずっと騙してたから」

「どうして?」


 目を見開いた愛奈萌が一歩だけ俺に詰め寄る。


「どうしてそんなことする必要があるの?」

「それは……そんなの知佳じゃないからわからないよ。ってか確定じゃないから。歩けないふりをしてたっていうのは」


 慌ててそう弁明したが、俺には確信めいたものがあった。だって、そうじゃなければあんな風に逃げないと思う。


「そうだよね。ごめん」


 つま先立ちになっていた愛奈萌が踵を落とす。


「でも、歩けない、ふり………………ミュンヒハウゼン症候群」

「みゅんはう?」


 上手く聞き取れなかったので聞き返すと、愛奈萌は、


「みゅんはうって、売れない動画配信者の名前みたいじゃん」


 と笑ってから、


「ミュンヒハウゼン症候群。周囲の関心や同情を引き出すために、自分を傷つけたり、病気を装ったりする精神疾患。イソップ寓話のオオカミ少年を思い出してもらえるとわかりやすいかも」

「ミュンヒハウゼン症候群…………」


 ――辰馬がこんな風に優しくしてくれるなんて、この足のおかげだね。


 下駄箱でそう言いながら、動かない足を愛おしそうに撫でる知佳の姿が脳裏に浮かんだ。


 ――私がこうなったおかげで、この家もまた、俺は必要とされてるんだって喜んでると思うの。


 という言葉もあわせて。


「ま、これだって確定じゃないから気にしないで。私たちは知佳じゃないから」


 そう。


 俺たちは知佳ではない。


 愛奈萌の冷たい言葉は紛れもない真実だった。


「私たちって、知佳に、信じてもらえてなかったのかなって思うと、なんか悲しいよね」


 愛奈萌が力なく吐露した言葉が、とりもちのように耳の中にはりつく。


 知佳は俺たちにずっと嘘をついていた。


 歩けるのに、歩けないふりをして。


 どうしてそんなことをする必要があるのだろう。


「嘘を見抜けなかった俺に、知佳と付き合う資格なんて、ないよ」


 悔しさが、情けなさが、ふつふつと湧き上がってくる。


「こんなの断られて当然だ。俺は知佳のことをなにもわかっちゃいなかった」


 知佳に嘘をつかれていたことが腹立たしい。


 知佳に嘘をつかせていたことも腹立たしい。


 もう心がぐちゃぐちゃだ!


「私だって……それは」


 愛奈萌がふらふらと歩いて、知佳の車椅子に座り、


「知佳っていつも、こんな景色を見てたんだね」


 そうつぶやいてから、今度はボロボロと泣き始めた。


「こうしたら知佳の気持ちがわかるかもって思ったけど、だめだ。役者だったのに。知佳が私たちの前から逃げたってのが全てなんだ」


 その言葉だけは言ってほしくなかった。


 これまで知佳と積み上げてきた時間が全て無意味だったのだと思わざるを得ない。俺は知佳を助けているつもりだったが、本当はなにもできていなかった。心の扉にすら触れられていなかった。


「ふざけんな。ちくしょう……ちくしょう……」


 俺も泣いていた。腕で目をこすっても、次から次に涙が溢れてくる。太ももを何度も殴る。どうして。なんで。悔しい。腹が立つ。その堂々巡りだ。知佳の小さくなっていく背中が瞼の裏に張り付いている。


「知佳。俺たちは、いったい……」


 隣の線路を、また電車が轟音とともに通り過ぎて、それによって発生した突風で俺は後ろによろめいた。その電車が消え去ると、刺すような静けさがあたりを包み込む。電車の音があった分、前より静寂が重く切なくなっている。


「……ねぇ、なんか鳴ってない?」


 愛奈萌が突然そんなことを言う。


「鳴って……って、なにも聞こえな――」


 そう言いかけたが、確かに音が鳴っていた。


 俺のポケットだ。


 マナーモードにしていたスマホが震えている。


「誰だよ……」


 ポケットから取り出して画面を見ると、そこには俺を唯一甘やかしてくれる人の名前が表示されていた。


「姉ちゃん……?」


 こんなときになんだよ、と思ったが無視するのも悪いと思って電話に出る。帰りも遅くなってしまったし、心配しているのだろうか。


「なに? 姉ちゃん?」

『辰馬? いまどこにいるの?』


 その声を聞いた瞬間、心の中で張りつめていたものが崩れていく。姉ちゃんの前で俺は、自分の弱さをいつだって見せてきたのだ。甘えてきたのだ。頼ってきたのだ。


「姉ちゃん。俺、強い男にすらなれなかった」


 言葉が、後悔が、懺悔が、とめどなくあふれてくる。


「俺、もうどうしていいかわからないよ。知佳の扉の前に、俺は立ってすらなかったんだ」

『辰馬』


 姉ちゃんの鋭い声が、ずんと腹の奥底にまで響いた。


『なにあんた。もう諦めてんの?』

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