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第四十二話 真実と知佳と車椅子

 ごめんなさい……。


 知佳は確かにそう言った。


 つまりこれは、告白を断られたってことですか?


「本当にごめんなさい」


 正直言って、フラれないだろうという気持ちはどこかにあった。


 成功するだろうと思っていた。


 だから、断られたことが本当にショックで、信じられなくて、


「なん、で?」


 未練がましすぎるセリフを吐いていた。


 情けない。


 本当に情けない。


「違うの」


 肩をびくっとさせた知佳は苦しそうにフッた理由を話してくれた。


「辰馬が悪いんじゃないし、ましてや嫌いとかじゃなくて、ただ、その、私が悪くて、ごめんなさい」

「私が悪いって、どういうことだよ?」


 ショックからか、声がきつくなってしまった。


 知佳はうつむいたままなにも答えない。


 先ほどまで心地よく感じていたはずの人々のざわめきや風にそよぐイチョウの音が、ひどく耳障りなものとして聞こえ始めていた。


「おっまたせー! 買ってきたよー!」


 背中にぶつかった愛奈萌の明るい声で、少しばかり冷静さが身体の中に戻ってきた。フラれただけ、フラれただけ、と自分に言い聞かせながら、普通の顔で振り返る。


 普通の顔ってどういう顔だ?


 と振り返る途中で気がついたが、動きを止めることはできなかった。


 笑顔の愛奈萌と目が合う。


「あれれー、お二人さんもしかして私、邪魔だ……ったか…………な」


 ニヤニヤしていた愛奈萌の表情が、えっ、嘘? という顔に変わる。俺の目の前で立ち止まって、俺の後ろにいる知佳の方を見てから、再度俺の目を見て、『ふられたの?』と唇の動きだけで問うてきた。


 俺は小さくうなずく。


 すると愛奈萌は、やはり信じられないのか、目を見開いた。


「え、なんで。だって……」


 彼女が持っていた缶コーヒー三つが、連続して離れ小島の上に落下した。そのうちの一つが、愛奈萌の後ろにころころと転がって、黒いスニーカーに当たって止まった。


「あ」


 その缶コーヒーを、黒いスニーカーがぷしゅりと踏みつぶした。


 茶色い液体が裂けた缶の隙間から飛び出す。


 俺が顔を上げると、愛奈萌の背後に立っている灰色のパーカーを着た小太りのおじさんが右手を振りかざしたところだった。


 彼の手には、銀色に光るナイフが握られている。


「昔の愛奈萌ちゃんを返せ」


 そいつの目がナイフと同じようにギラリと光る。


「愛奈萌! 後ろ!」


 俺は咄嗟に叫んだ。


「え?」


 愛奈萌が振り返って肩を震わせたその瞬間、ナイフが愛奈萌に向かって振り下ろされ――



「――危ない愛奈萌っ!」



 俺の後ろから鬼気迫る声がして、誰かが俺の肩にぶつかりながら横を通り過ぎた。


 ふわりと俺の大好きな匂いが漂う。


 ……え?


 知佳が愛奈萌の元まで駆け寄って、飛びついて、一緒にイチョウの葉の絨毯の上へ倒れ込んだ。


 そのおかげで、愛奈萌は間一髪のところでナイフをかわすことに成功する。


 …………ん?


 困惑してるのは俺だけなのか?


 周囲から悲鳴が上がっている


 だって愛奈萌がナイフを持った男に襲われたのだから。


 でも――――――――え?


 知佳が愛奈萌の元まで駆け寄っ……た?


「歩、けて」


 愛奈萌が襲われたというのに、俺は一歩も動けない。


 現実が追いつかない。


 知佳が歩いた?


 愛奈萌が殺されそう?


 フラれたよ俺さっき?


 知佳がいま、自分の足で歩いたんだよ?


「歩い、た?」


 後ろを向くと、そこには取り残されている車椅子があった。


「知佳が、歩いて……」


 もう一度、胃腸の絨毯の上に倒れている知佳と愛奈萌を見下ろす。愛奈萌も恐怖というより驚愕の顔で、自分の上に覆いかぶさっている知佳を見ていた。


「この野郎っ! 愛奈萌ちゃんを返せっ!」

「君たち逃げろ!」


 パーカーを着た男が知佳に向けて蹴りを入れようとしたとき、その男の後ろから別の男がタックルをかました。さっき見かけた家族ずれの旦那だ。パーカーを着た男の手からナイフがこぼれ落ちる。すぐにパーカー男は、勇敢な男性に押さえ込まれた。



 ――そんなのいまは、どうでもよかった。



 愛奈萌もそれは同じようで、自分が殺されそうになったにもかかわらず、


「知佳、歩いた、の?」


 と、生き返った死人を見るような目をしたままつぶやいた。


「あ、これは違っ……て」


 知佳が愛奈萌から飛び退くようにして立ち上がる。


「これは、その」

「知佳っ!」


 俺は彼女の名前を興奮ぎみに呼んだ。


「立って、立てて、立てるように」


 もはや自分がなにを言っているのか、自分でもよくわからなかった。


 知佳が、歩いた。


 歩けるようになった。


 身体の奥底から湧き上がるこの震えはなんだ? 


 ああ、これが驚愕という感情なのか?


 それとも欣喜雀躍か?


「知佳、ようやく、歩けるように」

「違うの!」


 俺の声を遮った知佳の顔は絶望に歪んでいた。


 え、どうしてまたそんな顔をするんだ!


 俺の知らない、俺に怯えているような、そんな顔を。


「私は、ふ、二人にっ……ごめんなさいっ!」


 知佳は続けてそう叫んで、その場から走り去った。


 …………は?


 なにが起こったのか全くわからず、俺は知佳の小さくなっていく背中をじっと見つめることしかできなかった。


 視界の端にいる愛奈萌も同じだ。


 ぞろぞろと野次馬が集まってきても、知佳の背中が見えなくなっても、俺はまだ目線を動かすことができない。


 ――違うの!


 ――ごめんなさい!


 彼女の悲痛な叫びが、頭の中をぐるぐると回り続けている。


「辰馬。知佳が……いま」


 俺のそばにいる愛奈萌の声は、死ぬ直前の人が出す声かのように震えていた。


「歩いたよね。歩いたんだよね」


 愛奈萌は自己完結してから、下唇をかみしめる。


「なのに、なんであんな顔して逃げるの?」

「もう、わかんねぇよ。なにも」


 俺は知佳が残していった車椅子と、そのそばに落ちている鞄を見て、鋭く舌打ちした。


 怒涛のように押し寄せてきた感情の波に心が押しつぶされていく。


 困惑と驚愕が沈殿している両足は重すぎて、しばらくまともに歩けそうにない。


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