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第三十六話 知佳のために

 俺と姉ちゃんは、ソファに隣同士で座る。


 俺がなにから話そうか俺が迷っている間、姉ちゃんはずっと待ってくれていた。


「なんていうかさ、これは俺の気のせいかもしれないんだけど」


 そんな前置きをしてから、俺は知佳が見せた顔のことを姉ちゃんに話した。ひどく冷たい、笑っているのに笑っていないように見える、恐怖すら覚えた感情のない笑顔のことを。


「あんな知佳の顔を見たの初めてで、どうしていいかわからなくて、それ以上触れちゃいけないんだなって、聞かずじまいで」


 言っていて、違うと思った。


「いや、本当は聞くのが怖かったんだ。あの顔を見た瞬間、知佳がすごく遠く感じた。これまでずっと一緒に過ごしてきたのに、赤の他人みたいな、知佳のことなにも知らないんだって思い知らされたっていうか、知佳のことが怖くなったんだ」


 俺は気が付けば泣いていた。


 どうして?


 知佳のことを知ろうともしていなかったのに、知った気になっていた自分が恥ずかしくて?


 知佳に逆切れして、逃げかえってしまった自分が情けなくて?


「姉ちゃん。俺……自分が憎いよ」


 そっか。


 俺は知佳に腹を立てていたのではなく、知佳の心の中に足を踏み入れられなかった自分に腹を立てていたのだ。


 それに、もしかしたら俺は知佳が言った通り、知佳をどこかで母さんの代わりとして見ていたのかもしれない。


 その感情が完全になかったか、と言われれば自信がない。


 俺から知らぬ間ににじみ出ていた感情が知佳を不安にさせていたのだ。


「自分が憎い、か」


 しんみりとそうつぶやいた姉ちゃんが俺の身体を抱き寄せ、頭を優しく撫でてくれる。


「大丈夫。辰馬は強い子だから……いまは存分に泣きな。誰にも言わないから」

「姉ちゃん……」


 姉ちゃんの声も身体もすごく暖かかった。


 頼っていい人がいることが、甘えていい人がいることがこんなにも嬉しいなんて、知らなかった。


「いまは情けなくてもいい。泣いてもいい。それでこの涙が止まったら、知佳ちゃんのためにできること、ひとつひとつやってけばいいんだよ」

「うん」

「自分の情けなさ、弱さを知った。ようやく辰馬は真の男になったんだよ」


 俺の頭を撫でてくれる姉ちゃんの優しさに、今日くらい甘え続けてもいいよな。


「だから、辰馬が次に目指すのは、真の強い男だ」


 その男になればきっと、知佳のことを真の意味で救えるのだろう。俺はまだまだ、その高みには到達していない。


 それから、いったいどれくらい泣いていたかはわからない。


 わからないけど、姉ちゃんは、俺が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。


「ありがとう。姉ちゃん。ようやく落ち着いたよ」

「だから感謝されるようなことじゃないって」


 自慢げに胸を張った姉ちゃんがソファから立ち上がり、


「さて、晩ごはんの準備再開っと」


 とつぶやいた後、なにかを思い出したように、くるりと振り返った。


「真の男になった祝いが赤飯だから、真の強い男になったときのお祝いは、お姉ちゃんの女体盛りかしらね」

「バカ言うなよ。真の強い男が求めるのは、好きな女の笑顔だけだ」


 調子に乗ってかなりキザなことを言ってしまった。


 ああ、穴があったら入りたい。


 いまこの『入りたい』を『入れたい』って誤読したやつ、真の強い男には程遠いですよ!


「ヒュー、かっこいいー」


 姉ちゃんは口笛で囃し立ててから、キッチンへ歩き出した。


「姉ちゃん。ありがと」


 もう一度つぶやく。


 俺の中の迷いは完全に消えていた。


 俺は、歩けなくなったという現実を受け止め、前向きに、健気に生きる知佳のことが好きなのだ。


 俺が知佳のためにできることを、どんな些細なことでもいいから、ひとつひとつやるしかないんだ。

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