周波数編
コップを指先で掴む。
怖い顔をしながら、ゆっくりと歩く。
そこに自分はなぜか、作家性を感じる。
自分は作家である。
自分は周囲の周波数を感じている。
いろんな経験をして周波数を獲得してやるぜ。
そんなことを思う。
だが。
なにか苦しい。
なにか嫌な感じだ。
昼寝をしていただけで、看護婦には、
「ワタナベさんっ! 何寝てるのっ!」
とブちぎれられる。
夜寝れなくなるからというくだらない理由で怒られてしまう。
俺はそれに心底腹が立つ。
なんでそんな糞みたいな理由で怒られて、睡眠を阻まれなきゃいけないんだ。
看護婦も、ここにいる男性看護師も、もう全員敵だ。
敵なんだ。
そういう風に脳内で勝手に敵対意識を持つ。
ああムカつく。
眠たい。
寝たい。
寝たいのに寝てはいけない時間帯。
怒りの感情を抑えるのが苦しく、いてもたってもいられなくなる。
そんなとき。
この閉鎖病棟に入院していた友貞さんという方が、
「こんな丸くて硬いちんこいうんこしかでなかった。便秘だ」
そんなことを言ってくる。
俺はこの友貞さんという方--60代くらいのおじさんを何か不思議に思う。
どうやら聞く話によると、俺たち一族の遠い親戚にあたるらしい。
あと姉ちゃんの元彼の親戚であるとか。
何か懐かしい気持ちをこの友貞さんに抱くが、どうやらこの人は、バスの中で女子高生に陰部を露出し、警察に捕まりここに入れられた認知がかったおじさんであるようだ。
そんなおじさんは、何度か好意的に自分に話かけてくれる。
このおじさんは敵ではなく、何か自分と同じようなもの、あるいは自分の身代わりをしている感覚に囚われて。
それでも俺は、職員にイライラする。
この閉鎖病棟の息苦しい空間にイライラする。
いても立ってもいられないストレスで全てを破壊したい気持ちになる。
そういうときに限って。
壊れていると思わしき、洗濯機を一生懸命力強く叩く友貞さんの姿があったりして。
それに職員が。
「洗濯機を叩かないで」
友貞さんは怒られその行為を辞めさせられる。
俺はその姿を見て、何か落ち着く気持ちになる。
自分の怒りをこの人が身代わりに発散してくれているようで。
何か感謝の気持ちが少しだけ沸いてくる。
だがそのあとも俺の怒りの気持ちは収まらない。
ムカつく。
ムカつく。
叫びたくなる。
壊したくなる。
この病院にある全てを。
破壊したくなる。
檻に閉じ込められ自由を失った自分はそんな風に思う。
今となっては、もろに病気の状態であるというのがわかるが。
この当時はわからず。
爆発寸前だった。
周波数が欲しかった。
何か騒ぎとなる周波数が。
作家性とかそういうのではない。
物書きのためとかそういうのではない。
自分が安全安心穏やかに生きていくための周波数が。
すると廊下から友貞さんの叫び声が聞こえた。
叫び声は、怒りの声ともとれた。
とてつもない怒りで男性職員となにやらやりやっている。
俺はすぐさま現場へ駆けつける。
俺も怒り爆発の寸前である。
俺より先に友貞さんがぶちぎれた。
どうやら新聞をあちこちに持っていき放置していることを怒られたらしく、それに友貞さんが逆ギレしたようだ。
どっちが悪いとか。
誰が悪いとか。
そんなことはこの空間においてどうでも良く意味をなさない。
ただこの瞬間感情をぶつけたい自分がいる。
そこにそうだという意味が存在する。
友貞さんが叫ぶ。
「殴れよぉぉぉぉぉ」
先に手を出した方が悪くて負けだということを友貞さんは知っているのか。
そんなことを大声で叫ぶ。
だが職員は手を出さない。
怒りの感情を抑えながら冷静に友貞さんを見つめる。
怒り爆発寸前だった俺の感情はと言うと。
なぜか。
本当になぜか。
この一幕のやり取りでなぜか落ち着く。
すぅーっと、魔法のように怒りの感情が再び友貞さんが発散してくれたかのように感じて。
そのことに、自分は友貞さんに感謝の気持ちを感じる。
それと同時になにか父親的なものを感じる。
この人は自分の変わりに、職員に感情をぶつけてくれたんじゃないかって。
俺の感情のはけ口として、俺を助けるために怒ってくれたんじゃないかって。
そういう周波数を感じて自分は父親のように感じる友貞さんに、ありがとうって心の中で呟く。
その一幕はそれ以上ヒートアップすることなく、殴り合いにも発展することなくなんとか無事終わる。
この閉鎖病棟には、こういう感情障害が出てしまう人たちが多くいる。
逆に全く感情が出ない人も多くいる。
何もしゃべらず、奇妙なスローモーションに動く人や。
すぐ愚痴をこぼし、しかりつけてくる爺。
気さくに日ハムの話をしてくる爺。
人それぞれ様々だ。
そんな人が集まる中。
作業療法のカラオケの時間を迎えた。
その場にいた周囲のおばさん達が古い70年代や80年代の曲を歌う。
レトロな空間。
もちろん新しい曲もあるみたいだが。
俺は登録された曲で、このレトロな雰囲気に合わせて古い曲を歌う。
石川ひとみのまちぶぜや、太田裕美の木綿のハンカチーフなどを歌う。
捕まるまえにコスモを感じてロックに歌っていた一人カラオケとは違う、このレトロな懐かしい健気な空間。
このカラオケはなんとなく懐かしくて楽しい。
そういう気持ちになる。
そして友貞さんが歌う番になり。
友貞さんがかけた曲は。
ザ・ブルーハーツの青空という曲。
「ブラウン管の向こう側 かっこつけた騎兵隊が~」
歌い始める。
その歌は実にへたくそで音痴だ。
死ぬほど音痴だ。
音痴だが。
とても一生懸命だ。
俺はなぜかそこで自分の胸をえぐられたくらいの気持ちになり。
考える。
自分の父親を感じる。
この友貞さんからは。
実の父親ではないのだが。
その歌がへたくそに歌えば歌うほど。
めちゃくちゃその歌が心に刺さり、込み上げてくるものがある。
そこでも自分は勝手な妄想をする。
こんなへたくそに歌っているこの人も。
ここまできっと立派に社会と闘ってきて。
子供を育ててきて。
俺も子供として親に育てれてきて。
そんなお父さんが。
こんな無残な認知症の姿になってしまって。
それでも一生懸命に、この一瞬を、音痴ながらもありのままに歌っている。
自分の父親の姿がもし、こうなってしまったら。
こうなってしまった父親でも、立派にこの瞬間を歌っていたら。
自分は悲しくも、嬉しく、生命の力強さ、儚さ、弱さ、それらいろんな周波数を感じずにはいられない。
その時だった。
何故かでもない。
これは必然だ。
このへたくそな歌を一生懸命歌う友貞さんの曲を聞いて、涙がこぼれてくる。
あのゲームセンターで泣いたときに迫る勢いで。
時速の速い涙がこぼれてくる。
この気持ち。
この悲しい気持ち。
この儚い気持ち。
この拙い気持ちに。
自分はなぜか嬉しくなる。
込み上げてくる思いに、しみじみと感じるああよかったという思い。
人は弱い。
でも人は強くなろうと一生懸命で。
その思いは、人にこれだけの勇気と感動を与えてくれるんだって。
そのことが本当に嬉しかった。
周囲にいた50代、60代のおばさん達も。
「泣きたいときに泣いていいんだよ」
そういう優しい言葉をかけてくれる。
みんなどこかが悪くてここに入院している。
ここに来たくて来たわけじゃない。
何か問題を抱えてきたんだ。
この時間を自分は一生忘れることはないだろう。
問題を抱えてきた人たちも、この友貞さんの熱唱をきっと忘れないだろう。
そして俺はその後。
この後。
この嬉しい涙を。
面会に来たお父さんとお母さんに伝えたのであった。