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療養編

餌を床に置く。


おぼんの上には、牛乳や、味噌汁や、おかずや、白いご飯。


犬のような俺は、首輪が繋がっていないことをいいことに、この隔離室という犬小屋から、逃亡をはかろうと考える。


普段は鍵がかかっているが、今なら脱獄出来る。


俺の足と職員の足。


そしてこのセキュリティ。


だめだ。


全てを勘案してもここから脱獄し、外へ出て平和な日常生活に戻るのはまず不可能。


そもそもこの閉鎖病棟から地上へと戻るのは不可能だ。


仮に地上へ戻れたとしても、町中に大きな紙が張り出されて、


「ワトソンを探しています」


という張り紙が町中にでるだろう。


内容は、今朝8時半ごろ、鶴居村養成病院から脱獄し、村のどこかに暗躍しています。


見つけ次第連絡をください。


特徴、26歳、童貞、統合失調症。


街中で奇怪な行動をとっていたら、それはこの人物の可能性が高いです。


そんな迷い犬を探すような、張り紙がされすぐ捕まるのが目に見えている。


だから俺は脱獄を諦めた。


そして、数日が立ち程なくして隔離室から普通の病室へ移動となった。


最初の数日は一人の病室だったが。


すぐにまた移動となり、今度は複数人の囚人ともいえるだろうか、訳アリの患者さんたちと一緒の部屋に。


その部屋にいた一人が、いきなり俺に話しかけてくる。


今にして思えば、何か企んでいるような。


何か企画があらかじめ用意されていたかのような。


そんな狙いがあったかのような、同じ病室の隣のベッドの一人の男が俺に話しかけてくる。


「すいません。ペン貸していただけますか?」


偶然俺は一本のボールペンを持っていたようだ。


正直何故自分がボールペンを持っていたかは覚えていない。


しかし、この閉鎖病棟ではこの「たった一本のボールペン」ですら、鋭利な凶器とも解釈され、使用や所持の制限がかかるものだ。


その時の俺は、『ボールペンは持ってよい』と判断されていたようで、すぐにその男の人に、


「はい」


とボールペンを手渡した。


名前も。


聞いてもいないし、名乗ってもいない。


同部屋の患者との初めての会話が、


「ボールペンの貸し借り」


それから数分後だった。


その男は、すぐにボールペンを返してきた。


一枚の紙を片手に。


「ありがとうございました」


お礼を言われ、ペンを受け取った時だった。


「僕、美術部で、絵を描いたんですけど……見てください」


その人が見せてきた絵に俺は言葉失った。


失ったと同時に、脳内に妄想の声が聞こえた。


確かに感じるその声。


「ワトソン君、美術部の人にボールペンを貸しだすと……」


その声を感じ、絵を見て驚いた。


驚き、俺は笑った。


その絵の上手さに。


絵はメイド服の女の子キャラを描いたものだった。


これは、ちょっと、やりすぎじゃないですか? と。


こんな絵を描いてくるなんて夢にも思っていませんよという表情になり。


「ははは……こ……これは……」


とにかくひたすら、笑ったことを覚えている。


その男の人はどうやら田中亘たなかわたるという人のようだ。


年齢は俺より一個上の27歳。


その後田中さんとは、いろんな会話をした。


しかし、そこで俺は思った。


この人に対する違和感。


そして、自分に対する違和感。


このなんだろう。


なんていうのだろう。


噛み合わない感じ。


会話を続け、数日生活していくうちに感じた、この人と自分の徹底的な違い。


一言で言うと……


この人には、協調性があまりにも欠落している。


自分を表現して、思っている事を、表現したり、伝える能力には長けている。


でも、この人には他人がどう思っているのか?


人がどう感じているのか?


それを読み取り、感じる力が欠落している。


自分の考えていることが正解であり、それを世界の真実かのように語り押し付けてくる。


相手はがそれにどう思っているのかは、二の次三の次ではなく、そもそも存在していない。


だが俺は逆だったのかもしれない。


自分を殺しすぎ。


相手を優先しすぎ。


相手が期待しているであろう、俺の心の核で応えることが出来ていない。


だけど、この人は嫌いだ。


とはならなかった。


不思議だ。


目の前の男。


この青年。


腕をよく見ると、腕や手はリストカットの跡で傷だらけだ。


自分でやったものであると、田中さんは言っている。


俺は、何故そんなことをしたのか本人に尋ねた。


田中さんは答えた。


「自分の母親が障害のある人で、自分の行動や計らい、愛情に対して答えてくれない。自分が母親に強く当たると、その気持ちや思いが自分に返ってくる。だから自分は、自分を傷つけてしまう」


僕は、納得した。


いや、納得といえば知ったかかもしれない。


実際どういうものなのか、どういう心が彼をそうさせたのかは、完全に知ることもできない。


俺は、幸運にも母親に愛されて育った。


思い出す。


泣いたあの日。


羽田空港へ向かおうと、精神が病んでギリギリの状態の時に、いつだって俺は母親の愛を忘れることはなかった。


思い出して。


泣いた。


母親の顔を見ても。


自分の弱さを感じ。


その気持ちの行く当てが、自分にはあったからこそ、ここまで自分は綺麗な体でいる事が出来、不器用にも26歳まで五体満足に生活してこれたんだと思う。


俺は、この時自分のお母さんに感謝の気持ちを持つと同時に、


この人が可哀そうな目にあって生活していたんだと。


そう失礼かもしれないが、思ってしまった。


その後、俺と田中さんは本を読んだ。


本は、閉鎖病棟に貸し出しが認可された数少ない本。


俺は、スポーツの雑誌や、水木しげるの『総員玉砕せよ!』などを借りた。


雑誌では、その時性欲はあまりなかったが、雑誌に少し移る美人な女体に少し胸をときめかせていたのかもしれない。


その当時も、水木しげるの総員玉砕せよでは、本の数ページ流し読みしかできなかったが、全てのキャラクターが誰が誰で、違いが全く分からず、その後あのキャラクターは誰でしょう? と坂上忍にクイズを出されている妄想などもしたが。


内容は全く頭に入らず。


あとで、お父さんから聞いた話では、最後全員死ぬという内容らしい。


まぁ、自分が借りた本は、どうだってよかったし、本を読める状態になかった。


問題は、同室の田中さんが借りた本だ。


田中さんが借りた本は、大きな問題が描かれている本だった。


デイヴ・ペルザーの。


『「it」それと呼ばれた子』


というタイトルの本だった。


その本の内容を田中さんは俺に説明した。


とある赤ちゃんが虐待を受け、『それ』と呼ばれて育てられるといった内容。


もっと詳しく田中さんは、本の内容を説明していたかもしれないが、


俺の感知収納フィルタが、拒絶反応を起こし、全く内容を聞きたくなかったし、頭に入らなかった。


頭に入れてなるものかと、耳も目も聞いてる振りだけで、蓋をしていたと思う。


この人に言いたい。


申し訳ないけど。


俺は、田中さんと違って、俺自身には問題があってここで入院しているかもしれないけど。


俺の親には、大きな問題はない。


何不自由なく、十分な愛を受け育った。


感謝の気持ちだってある。


そんなえげつない内容の本なんか読んでたまるか?


田中さんに、おススメだよと言われたが、俺は心の中で


『ぜってぇ読まねぇ』


って心に強く誓っていた。


しかし、俺の心の別のところでは、やはり悪戯ごころも存在し、


その本。


it それと呼ばれた子を俺が手に持って。


ニコニコ笑顔で、


「お母さん! これ赤ちゃんが虐待される本なんだけど、それと呼ばれた子って本、読んでみない?」


そんなことを聞いたりする妄想したりするのである。


そして、その後、田中さんがリハビリとなる作業療法に参加したが。


俺の作業療法の認可はまだ許可されることはなかった。

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