優勝編
将来の夢は?
と聞かれたら。
小学生の頃。
俺はプロ野球選手になりたかった。
広島東洋カープに入団して、ホームランをいっぱい打って、活躍して。
そんな非現実的な夢を抱き、日々を過ごしていた。
今となってはただのカープファンの一人のおやじだが。
2016年夏。
カープは絶好調だった。
嘘のような快進撃。
鈴木誠也の3試合連続決勝ホームラン。
2試合連続サヨナラホームラン。
40歳手前を迎える新井貴浩の大活躍。
などなどしてカープは今までみたことないくらいの勝利を積み重ねていた。
今までずっとファンだった俺だったが。
この年。
逮捕や入院などもあって、野球を全く見なくなっていた。
あんなに大好きだったカープ。
あんなに応援していたカープ。
自分にとって生活の一部であったカープが、嘘のように感心が薄くなっていて。
おそらくだが、病気のせいだろう。
自分がこんな閉鎖病棟に入るくらいだから。
だから自分はカープを忘れかけているのだろう。
感情がおかしい。
閉鎖病棟で。
テレビを見ていた。
甲子園決勝。
地元北海道の北海VS作新学園の試合。
見ていたら、作新学園の選手がファインプレーをした。
そこで大きく俺の心が動く。
続いて、北海選手が攻めた守備をしてエラーをしてしまう。
危険をおかしたイチかバチかのショートバウンドにグラブが合わず、後逸。
そのプレーを見ていた俺は。
惜しい。
でもナイス挑戦だ。
そう思った。
だが、隣にいた看護師の男が。
「今のは正面に入ってしっかり体で壁を作って、捕らないとダメだろ」
と簡単に今のプレーの批判をする。
その言葉を聞いて。
俺はイライラする。
腸が煮えくり返る思いをする。
今のワンプレーをそんな簡単に語るんじゃねぇ。
と。
どんな思いで選手がその打球に飛び込んでいったのか。
どんな覚悟でその打球に向かって行ったのか。
それを知らないで外野の人間が簡単に今のプレーを口にするんじゃねぇと。
俺は、心底頭にきて、その看護師を睨んだ。
この時の俺は、やはりおかしい。
感情のコントロールが出来ていない。
作新学園の選手のファインプレーで完全に試合に心を奪われていたせいか。
とてつもなく周囲のリアクションに対して敏感になっている。
だが、入院してしばらく。
泣いたあの日からしばらく。
涙を忘れているような気がする。
自分はもしカープが優勝した時に。
涙を流すようなことはあるのだろうか。
その後もカープの快進撃は続く。
あっというまにカープのマジックは点灯し。
マジック2で9月8日を迎えることになる。
ここで事件が起こる。
今日。
2016年9月8日。
カープは優勝するかもしない。
今まで応援してきた自分は、この時ばかりは気になって試合を見たくなっていて。
マツダスタジアムでのヤクルト戦。
2位巨人が破れてカープが勝った場合のみ、この日の優勝が決まる。
しかし、テレビでの中継はなく、ラジオのみの中継。
俺は夜の試合開始まえに、看護婦にラジオを貸してくれと頼んだ。
しかし。
「ラジオはあるが、これは朝のラジオ体操で使うラジオだ。貸すことは出来ない」
そう病棟の窓口で言われてしまう。
俺は、そこでぶちぎれた。
俺の思い。
1999年くらいから2016年まで、その間17年。
やっと待ち望んだその瞬間への思いをこいつは知らない。
こいつらは知らないのだ。
許せない。
許せない。
許せない。
俺はちょうど持っていた、10円玉。
それを投げ飛ばしたかったが。
怒り狂った俺は、大ごとを起こさぬようなささやかな反撃として。
窓口から、病棟の部屋目がけて10円玉を指で弾いて吹き飛ばした。
金のため看護婦が働いているのなら。
俺の思いをしらないこの金が憎い。
10円玉ですら憎い。
こいつら。
こいつら。
こいつら。
でも、そこで冷静に考える。
これは俺が見えている世界での話だ。
その看護婦にも人生があり、生活があり、心がある。
何かを背負って生きているのかもしれない。
それを察したら俺は、冷静にその看護婦を許してあげよう。
そう心を整理した。
だが、なんと結局俺の態度の甲斐あってか、ラジオを貸しくれる話になった。
俺は、素直に神に感謝した。
ラジオの選局をするが。
しかし、音声がよく聞こえない。
雑音だらけで、実況が何を言っているのか。
どれがカープの試合なのかがわからない。
だがそこで。
なじみのある曲だけが、聞こえてきた。
応援団の声。
トランペットの音。
これはエルドレッドの曲だ。
「エルドレッドエルドレッドホームランエルドレッドエルドレッド無限のパワー」
その歌詞は鮮明には聞こえないが微かに聞こえ、間違いなくカープのエルドレッドの曲である。
その後実況の声がわずかに聞こえる。
カープがリードしているようだ。
野村がこの試合好投。
カープはこの試合に勝利する。
他球場の途中経過で、阪神対巨人戦では坂本勇人が勝ち越しホームランを打ちリードしているという一報が入る。
俺は今日中の優勝はないと判断し、ラジオを返した。
そして迎えた9月10日。
運よくテレビの中継があった。
東京ドーム。
相手は巨人でマジック1。
直接対決。
勝てば優勝。
先発はカープのレジェンド黒田。
初回に巨人坂本が2ランホームランを放つ。
この時。
この時なぜか俺は。
勝ったな。
と思ってしまう。
先制点を取られリードを許しているにも関わらず、そう確信してしまう。
その予言は的中し、カープは鈴木誠也の二打席連続ホームランなどで逆転に成功。
そして9回裏。
いよいよ歓喜の時。
ピッチャーマウンドには守護神中崎。
巨人亀井を打ち取ってショートゴロ。
ショート田中がボールを捌き、ファースト新井へ送球。
四半世紀にわたる夢がついに叶った瞬間である。
25年ぶり7度目のカープリーグ優勝!
実況の声とともに。
俺は静かな涙を流した。
自分でも不思議だった。
思えば涙を忘れていた。
泣いたあの日以来か。
心を失っていたと思う。
感情の起伏は最近酷かったが。
平板化して鬱だったころよりは、幾分いい気がする。
何もなかった家でゾンビのように歩き回っていたころよりも。
世間に迷惑をかけてはしまったが、感情が動いてこうして涙を流せる自分の方が。
生きてるリアルを感じることが出来て、楽しいんだと俺は思う。
涙を思い出させてくれたカープ。
子供の頃の夢だったカープ。
子供の頃の夢だった優勝。
それをこの鶴居村養成病院の閉鎖病棟でこの目に焼き付けることが出来て。
本当によかったと思う。
目の前には、涙を流すカープファンとカープナイン。
新井が。
黒田が。
涙を流しながら抱き合っている。
その熱い抱擁に。
俺も心を打たれる。
この瞬間。
実際はそうではないと思うが。
自分の病気が治った気がする。
本当は治ってはいないのだが。
涙を流せる自分。
心を持つことが出来た自分。
この気持ちに。
自分は素直に。
カープとともに俺は元気になったなと。
勘違いながらもそう思うことにした。