巻き込まれ
与えられた知識を基に長い時間――本当に長い時間考え続けた結論がある。
大きく砕かれたコンクリ片に、意識の海から汲み上げられたたったコップ一杯分ほどの人格を注ぎ込まれた存在。 それが僕ことコンクリ。
人間と同じ肉体を持たず、神経の通わないはずの僕が思考力を持ち、視覚と聴覚、そして上下に振り回される感覚を感じ取るような平衡感覚が備わっている仕組みは、きっとこの先も解明される事のない謎として残るんじゃないかと思う。
僕の内部のジャイロセンサー疑惑は晴れないままではあるけれど。
それ以外の五感――嗅覚、触覚、味覚を手に入れ、そして誰かと会話をし、好きな場所に自由に動き回れるようになる事が、僕の望む全てだった。
その望みの一つ、初めて「味」を覚えたのは、人間の生き血でした……。
美味いと感じた自分自身にドン引きだよ。
突然の暴漢からの襲撃と、そいつに対する凶行を終えて。
イーネはもはやピクリとも動く事なく横たわる男の前に、呆然と立ち尽くしていた。
無理もない。突然大の男に襲われて、逆に完膚なきまでに叩き潰したのだ。特に頭部を。
グロ耐性があってもキツい。
どれだけの間そうしていただろうか。
「あ……」
イーネの口から弱々しい声が漏れた。
「ああぁぁ……」
気付きから驚愕へ。そして悲鳴へと変わる。と同時に僕の視界とジャイロがぐりんぐりんと揺さぶられる。
人間だったら中身をぶち撒けてしまってもおかしくない挙動に何の生理的反応も示さずに済むのは、僕の体が生き物ですらないからこそだ。嬉しくもないけれど。
イーネはこの状況を受け入れる事が出来なかったようだ。
僕を掴んだままだというのも忘れ、取り乱すまま駆け出した。
――しょっぱい。
流れる景色に混じり、新しい味覚が刺激されるのを感じた。
……これは涙の味か。
今度は不思議と美味いとは感じなかった。
「おかあさん!」
「なあにイーネ……っ!?」
突然飛び込んできたイーネに、同じような栗色の髪をした女性が驚きの声を上げかけ、すぐに息を呑んだ。
娘の様子を見れば、その尋常ではない様子にすぐに気付くだろう。
「何があったの!大丈夫なの!?」
「ヒッ……ヒック……わ、私……」
イーネの顔は、男に殴られた痕が腫れはじめている。服は土埃にまみれ、所々に返り血。凶器の石まで持っている。
これで笑顔で来られたら、僕なら裸足で逃げ出すと思う。
母親が心配するのも無理はない。
けれど微力ながらも、僕の力がイーネの無事に繋がり、イーネ自身には幸いにも大した怪我はない。
その事実に密かな満足を覚えつつ、とりあえずは母娘の無事な再会を見守ろう。
僕がそんなお気楽な事を考えていると、泣きじゃくるままだったイーネが、ようやくというように言葉を絞り出す。
「お、男の人が急に……」
――待てそれ以上いけない。いやもう少し続けて!?
しゃくりあげてしまい、それ以上喋れなくなってしまったイーネを余所に、母の目に強烈な憎しみと殺意がみなぎる。怖い!
「本当に……無事なの?」
――嗚呼。
イーネの母親の言葉が絶望の輪郭を確かめるような疑問形になってしまった。
「うん。あの、でも、私、どうしたら……っ」
やや落ち着きを取り戻し、途切れ途切れに外での出来事を話し始めたイーネ。
だが話が進むにつれて、母親の視線が、時折僕に冷たく刺さるのを感じる。
――え?なんで僕?もしかして「居る」って気付いて……っ!?
まさかという期待を抱いた僕を横目に――本当に横目に――しながら、話を聞き終えた母親は、イーネに対してとても優しく声を掛けた。
「大丈夫だから。全部お母さんに任せておきなさい」
温かな声のトーンとは裏腹に、何故か恐怖を感じる。
ホウキとスコップを手に外に向かったのを見て、僕は察した。
――あ、これは埋める気ですわ。
心温まる光景が見られると思っていたのに、僕はいったい何を見せられているんだ。
「いい?イーネは絶対に家を出ないでね。体を拭いて、服は着替えて水に浸けておいて。」
――血はお湯で固まるからね。
「その石は……後で考えるからね」
――凶器も処分しないとね。
間違いない。この母親、完全に証拠隠滅を図ってる。
身の危険の瀬戸際で、隙を突いて完全に相手を殺しにいった娘と、図らずも、死体だけでなく目撃者まで消そうとする母親。スコップはともかくホウキを持ち出したのは謎だったけれど、よく考えると争った痕跡や、イーネの足跡を消すためか!適格過ぎるだろ……。
僕の生涯初めての危機は、魔物でも悪の組織でもなく、一般家庭によって訪れようとしている。
――とんだ巻き込まれだよ!