プロローグ 終わりの始まり
私はどっちかと言うと幸せだった方だと思う。家族仲は良好、悪くない。パパとママがいがみ合ったり、私やお姉ちゃんとだって険悪な雰囲気にはならなかった。一番下だけど、みんな優しくしてくれ、可愛がってくれた。末っ子の特典だった。
だから私はこれからもこんな幸せが続いていくと思っていた。高校に行って、進学して、働いて、好きな人なんかもできたりして、結婚して、新しい家族を作っていく。そんな未来を、私はなんとなく夢想していた。
こうなるといいなあって。実際問題そんなに事が上手くいくわけはないのも分かっていた。けど、けれど。
しかし現実はもっともっと非常だった。
余命宣告。死という絶対に乗り越えられない壁。たったの一年。私には未来すら与えてくれなかった。
もうその時のことは覚えてないけど確かにそう言われた。病名も言われた気がするけど覚えてない。どんな病気だって結果的に死ぬなら全部同じでしょ?
なんでって言われたら今の私には答えられないけど、まだ死にたくない。もっと生きていたい。
そこに理由なんてないと思ってた。生まれてきたんだから生きたいのは当たり前なんだ。
大好きな人たちがいる。やりたいこと、やってみたいことがたくさんある。
だから私は決めたんだ。私の鼓動が止まるその時まで笑顔でいようって。悲しいけれど、残された人生を一杯やりたいことをやって、楽しんで、悔いなく逝きたい。最近、そう思うようになった。だって、もったいないから。くよくよしたって時間は誰にだって平等に流れている。だったら、思いつく限り自分のしたいことやり尽くさないと、って。
前を向き始めた、大丈夫って。すると最近暗い顔しか見ていなかった家族の笑顔が増えた。それが無性にうれしかった。ずきり、と走る痛みを無視して。無理やりに笑顔を張り付けた。大丈夫、たった一年の我慢だ。私が笑顔なら家族も笑顔を見せてくれる。
このことは学校には伝えていない。でも私は高校3年生。学校なんか行かなくてもいいと思ったけど、友達とも会いたかった。
みんな受験や就職に向け頑張る時期。私には関係ないものだ。未来がないんだから。だからこそ、私、高3は都合が悪すぎた。みんな忙しい、私だけが違う。そんな疎外感、孤独感が学校が始まって早々に感じたことだった。未来があるか、ないかという隔絶的な壁が私とみんなの間にあった。
だったとしても勉強をそれなりにして、バカとは言われないほどにはできているつもりだ。
ーこれに何の意味が××××××××××××
タイムリミットがあると、物事の意義について考えるようになった。何が自分にとって意味があって、有益か。本当に時間がないのに無駄なことはしたくないって。後悔する時間ももったいなくて。やって後悔もしたくなかった。
あれ、私のやりたいことって何だろう?思考の渦に囚われ考えれば考えるほどわからなくなる。やりたいことたくさんあるはずなのに、何も思いつかない。
私のことなのに何もわからない。思い返せば、私は何もしてない。何もなしえてない。
ただ生きて、もうすぐ死んじゃう私の人生に、私が生まれた意味なんてあったのかな...
本当にもうわかんないよ...
取り繕って張った笑顔とは裏腹に、誰にも見せないところで暗く沈んでいく私がいた。こんなこと言っても誰もわかるはずがなくて。死なない人に、死ぬ人の気持ちなんかわかるわけなくて。誰にも言い出せず、そんな思いが募っていった。排泄機構のないダムにただただ水が積み込まれていくように。
死が目の前にあると、今までの考え方が変わる。少し前の何もなく無邪気なままの私に戻りたい。あの時は何も考えてなかった幸せなお花畑脳に。
今日もまた一日と命が削り取られていく。残酷にもゆっくりと。
今日は何しよう。
誰も答えてくれない自問自答を繰り返す通学途中、そう思いながら足元にある小さな小石を軽く蹴った時、クラクションが鳴り響いた。それにつられてずっと下を向いていた顔を上げる。
目の前、車道に突っ立っている、自分と同じ高校の制服を着た男の子。彼の目線の先には勢い余って、減速もろくにできていない車。
彼は車を見つめたまま動こうとしない。
なんで?なんでそんなことができるの?
私はその人に聞いてみたかったのか、
それとも
目の前で人が死ぬのが嫌で
目を逸らしている自分に叩きつけられている気がして
どうしても死を拒絶したくて
自然と体は動いていた
今になって思う
これは私の当てつけ、エゴだ