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ポツリポツリと雨音が狭い部屋の中で反響する。俺はその雨音を聞いて体を伸ばし、少し経てから窓を少し開けた。冬でも寒さには強い分ストーブなどは滅多につけないのだが、日ごろ窓もドアも閉め切っているのでさすがに換気はする。それも日中ではなくかならず雨の日に。
俺はそのままベットに仰向けに寝転び、自嘲気味に笑う。
「今日で一年、だなぁ」
目を何度か開閉させ、右手を天に伸ばす。天井しか見えない景色に幻想を染め幻聴に耳を傾けて一年。求め探したのは幾度あったかは覚えてはいない。奪われた光を取り戻そうと伸ばした手を何度壁にぶつけたかも覚えてはいないのだ。
自然な動作でパソコンの電源をつけ、次にカレンダーの今日の日に大きく罰を付けた。一年経てばあいつも俺に死んでいいと言っていた。ようやく呪縛から解放されるのだ。この薄暗い地獄から。
パソコンが光を灯し、俺は最後となるだろうパソコンの動作を行う。思い返すとこのパソコンにも随分と迷惑をかけたものだ。キーボードなんて4回壊した。まあ壊したのは全部俺じゃなくてあいつなんだけれど。
ワードという執筆アプリを開き、キーボードに手を添える。目を閉じ、息を大きく吸い込んで一気にキーボードに「Ⅰ__S__Y__O」と打ち込み、変換ボタンを押した。そうすると続きを書くのは苦ではなくなり、手は意識と他にスラスラと動いた。俺はただ無意識に呆然と手を動かし続けた。何分も、何時間も、何日も、何年も続いてしまいそうな永遠の空間の隅で。
それからどのくらい経っただろうか。気づけば書き終わっていて、キーボードの上に涙を零していた。右手で拭おうとも止まる気配は見られない。自分自身何故泣いているのかは分からなかったが、あいつのことについて記そうと筆を動かしていると彼女の懐かしい声が聞こえてきた気がしたのだ。溢れ出てくる感情を必必死に遮りながら保存のボタンをクリックし、近くのベッドに仰向けに寝転んだ。
あれから生きたいと感じたことは一度としてあらず、その反面直ぐにでも首を切り裂きたいと思い爪を当てることは幾度としてあった。それでもただあいつの言った事を見返したいなんて子供の感情に促されるままここまで生きてきた。自分でもあっぱれだと思う。それと同時に愚かだとも思った。
だが、約束も今日までなのだ。今日まで精一杯俺なりに生きてきたつもりだ。だから俺は胸を張ってあいつに会いに行く。それが愚鈍な行為だとしても、俺のような下らない小人にはそうすることしかできないとこの一年間で改めて分かったのだ。
いち、に、さんと数えキッチンに向かおうとすると、そこで聞きなれない音がパソコンから鳴った。何年も前に聞いた着メロというものだ。こんな時に誰だよなんて思いながら無視しようとしたが、ふとそれがあいつからの俺へのメッセージだったりするかもしれないなんていう馬鹿みたいな考えが頭をよぎり、俺は自分が馬鹿だと分かっていてもパソコンの前に腰を下ろす。マウスを動かしメールを確認すると、それは案の定と言うべきか、がっかりと言うべきか、単なるフリーゲームの広告であった。馬鹿馬鹿しいと思いながら俺は少し迷ってゲームを開いた。どこかで自分に話しかけてくれたのに無視するのは申し訳ないと思ってしまったのだ。一番馬鹿なのは間違いなく俺だ。
睨みつけるようにゲームのインストール中の画面を眺めていると、最も初めに俺の五感に訴えてきたのは女の子の声であった。
画面は俺の将来のように漆黒に染まりながらも女の子の明るい声が部屋を反響した。
「こんにちは」
透き通るような薄い声。ぼんやりと暗い世界に現れた彼女は栗色のツインテールを肩前に垂らしていて、どこか明るさが滲み溢れている。それでもどこか落ち着いたような細い瞳と長い睫毛が彼女の存在の不可思議さを強く表現していた。彼女の周りには0と1の数字が彼女を閉じ込めるように広がっているというよりは包み込んでいた。少し時間が経ち暗闇が去ると残ったのは狂ったように赤い文字で書かれた0と1の文字と彼女の笑顔だけだった。
彼女は何かを訴えるように俺のほうを見つめて、再度話しかけてきた。
「このゲームはボイスでの対話が可能になっています。このゲーム名は『サクラノシタ』。ようこそ、この世界へ」
彼女はまるで俺の返事を待っているような口振りで話しかけてくる。だから、俺は無意識に一人声を漏らしていた。
「通話性?」
彼女は俺の言葉を理解したようで、俺のほうを見ながら笑顔で頷いた。
「そうです。私とお話しながらゲームをクリアしていく新感覚RPGなのです」
「え___ははは。じゃあ君は会社の社員ってことかな」
「まあ、そういうならそうですねえ」
何とも適当な返事だ。俺は言葉を返しあぐねていると、彼女は手を休めないまま聞いてきた。
「取り敢えずゲームインストールありがとうございます。お名前は何と設定いたしましょうか?」
「ゲームプレイヤー名ってことか?じゃあ面倒くさいから鈴木中也でいいよ」
「鈴木中也さんですね、了解しました。ではもう一つ、貴方をゲーム内でサポートする私の名前もお決めください。それを設定すればゲーム初期設定完了となります」
「ヒロインの名前もかよ?」
真剣に考える。この子に合う名前。普段なら適当に決定するところでも人生最後のゲームだ。そうさ、これが人生最後の______ゲーム。はははっ人生をゲームと見なければなけれどな。
でもそれなら。
最後なんだから、借りさせてくれよ。
彼女の名前を。
「___決めた」
俺は震える唇を左手でむりやり押さえつけながら言葉を無理やり出した。
「__010101010101__0101010101_佐々木真帆で頼む」
彼女は一瞬目を大きく開いて驚いたような表情をしたが、すぐに元の表情に戻って嬉しそうに返事した。何なのだろう。今の表情の変化は。
「可愛い名前ですね。マスターがお考えに?」
「__まあな」
「では私のことは真帆とお呼びください。まもなくゲームが開始します。改めてようこそ。そしてありがとう」
彼女の背景が崩壊し、彼女も消えた。そして画面は真っ黒に染まった。一度は放心状態に陥っておりながら今は好奇心が打ち勝っている。沢山ゲームはしてきたが会話型ゲームは当然初めてだ。本当に、これは最期のゲームに相応しいかもしれない。
興味に溺れそうになりながら暗い画面を見詰めていると、暗闇の中にボンヤリと白い文字で書かれた一文が浮かび上がってきた。それは明白な文字でありながらどこか濁っている気がした。
『貴方は人間ですか?それとも人外ですか?』
______は?
なんだこれ。どういう事だろう。これは現実の存在を聞いているのだろうか。いやまず人外ってゲームをプレイするのか?知ないだろう。
そこそこ迷った上に興味深い『人外』の方を選ぶことにした。
するとすぐにまた文字が浮かび上がってくる。
『貴方はこれから人を殺します。人を殺して、人外の世の中を作るのです』
このゲームにおける人外とは、人外と設定した俺は人間を殺すことが仕事のようだった。なら『人間』と選べば人外を殺す役割を与えられるのだろうか。それとも多大な恐怖から逃げ続けるようになるのか。
『貴方は、聖天子を殺せばゲームクリアとなります。頑張って下さい』
その文字は今までの文字より直ぐに消え、また画面は漆黒に満ちた。
「これが、このゲームの内容なのか?」
「はい、そうです。そういうゲームを作成いたしました」
また彼女がふわりと現れる。背景は___城だろうか。黒髪の青年は自分なのだろう。
「今いる場所は、どこだ?」
「ここは、人間達の最大都市であるクロリアという町の中央にあるお城です。この城には聖天子様も住んでおられます」
「え、展開早いな!_____じゃあ今からここで殺しを?」
「いえ、貴方は今はもやしと同じ程度の力しかありません。私とクエストを消化しながらレベルをあげましょう」
彼女の名前のところには当たり前ながら『真帆』と記されてある。くそ、こうなるなら別の名前を付けておけばよかった。頭が痛い。
加えてよく見ると俺も彼女もレベルは一のようだった。先程見た兵士のレベルは30だった。まだまだ遠い。
「取り敢えず、クエストってのはどこで受領できんだよ?エリアが広すぎてわからねえ」
「クエスト受領は目の前のギルドで出来るようになっています。そこでライセンス登録をすると、初手武器を貰う事が出来、クエストに出発できますよ」
「アンタは一緒に戦うのか?」
「いえ、私は戦うことが出来ません。貴方の戦いを見守るばかりです」
「お、おう」
まあそうだろうとはなんとなく分かっていた。だが単に側にいてくれるだけでも寂しくなくて頼もしい。_____ははっ直ぐに死ぬ人間が寂しさを告白するなんて笑かしてくれる。死んだらあいつは待ってくれているだろう。寂しく___ないのか?
「休憩なさいます?」
「あ、いや続けるよ。ところであんたって通話越しは人間だよな?ゲームする一人ひとりに別々の人がついてんのか?」
「いえ、私はアンドロイドです。この世界に少し前に生まれました」
アンドロイド?聞いたことあるような無いような。アイフォンのもう一つのやつだっけ?
「人間同様のロボットといえば分かりやすいでしょうか。貴方から見てパソコンの画面内に住む人と覚えてもらえれば嬉しいです」
「___それが本当なら大変だな」
「大変___ですか?」
彼女は首を傾げている。不思議そうな表情だ。
「いやさ、文字とか逆に見えるんじゃねえの?そういうのって案外難しくね?」
「私は画面の一番前に常にいるので文字は普通に見えますよ。貴方の背景も平常です」
「じゃあ案外そっちの世界も悪くなかったりするのかな」
「悪くない、ですか?___ああ、ところで私はこのゲームの題名を表示するときだけは文字の後ろにいるので逆に見えます」
『サクラノシタ』だったか。このよくわからない題名も何かの意味を持っているのだろうか。
桜______ね。
「まあそんなもんだろ。あーまあクエストこなしていくか」
俺は座り方を変えてパソコンの画面と再び向き合った。彼女も画面内で同じように座る。
そして手を合わせて微笑んだ。
「二度目になりますが、ようこそ。『サクラノシタ』の世界へ。そしてこれからよろしくお願いしますね、マスター」
そう言って向けられた笑顔は婉然としているように見えた。