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花どろぼう  作者: 愛野万之介
9/9

第9話



1人になってから、ぼくは、母さんの部屋に入った。


母さんがいなくなってから、ほとんど、入っていないってことに気がつく。

知らないうちになぜか緊張していて、息が苦しい。

部屋の中は、時が止まったみたいだった。


カオリさんを真似して、試しにクンクンとにおいをかぐ。

色んな花のいい匂いがした。

棚にあるアロマオイルのせいかもしれない。


自然に涙が出た。


 母さんがここにきた。

 そして、庭で花をながめて、手紙を書いて、埋めた。


 信じられなかった。


 でも、もっと信じられないのは、この手紙だ。

 もう、母さんはもどってこない。

 それがはっきりしたのがとんでもなく、悲しかった。


 ぼくは声を殺して泣いた。

ひざをついて、うずくまると、感情は止まらなかった。

涙がどんどんあふれてくる。


 部屋の中には、母さんのものがずっと眠ったように存在していた。

またすぐにでも母さんが現れそうな気にもなってしまうのに、どうして、もう帰ってきてくれないんだろう。


 その時、ぼくはふいにカオリさんの言葉を思い出した。



『分からないわ。どうしてあんたのお母さんは、部屋の荷物をそのままにしてるの?』



 ぼくは、涙をふいて、部屋を見回した。


 服も沢山あるし、化粧品もあるし、もしかしたら、旅行にいく時ぐらいの荷物しか持って行っていないんじゃないだろうか。


 カオリさんの言うとおりだ。

つい最近戻ってきたのに、どうして部屋はそのままなんだろう? 

離婚だって、していないんじゃないだろうか?




「どうしてって? もう探さないんでしょ?」



 学校の帰り道、カオリさんは、ぼくの質問に馬鹿にしたように返事を返した。



「健太郎、あんた、あきらめたんでしょ?」



 ぼくは首をふった。



「だって、おかしいってカオリさんも言ったじゃん。もう戻ってくる気がないのに、どうして部屋はそのままなんだろう?」



「さあ。もう荷物はいらないんじゃない?」



 マスクをしたカオリさんは、つまらなそうに言った。



「うん、そうかもしれない……」



 ぼくが目をふせると、カオリさんはため息をついて言った。



「ねえ。健太郎、お父さんは知らないの?」


「え?」


「わたしが手伝えるのはここまでなんだよ。あとは、家族の問題なんじゃないかな?」


「どういうこと?」


「きっと、あんたの知りたいことはね、お父さんが全部知ってるのよ」






 父さんは、母さんがいなくなってから、帰りが早くなった。

7時には帰ってきて、近所のスーパーで買ってきたおかずをテーブルに並べて二人で夕飯を食べる。


 ぼくは、その日、父さんの様子をうかがいながら、ご飯を口に運んでいた。



「食欲がないのか?」


「う、ううん」


「ならいい」



 父さんはいつも怒っているように見える。

ガンコで、無口で、眉間にはいつもシワが寄っている。


母さんがいなくなってからも、ぼくと父さんの間にはほとんど会話がない。

ぼくは父さんが、正直言ってこわい。

 でも、聞かなくちゃ。母さんの事を。


 ちらりと父さんを見ると、やっぱり怒っているみたいに見える。


 どうしよう。

 でも、確かにカオリさんの言う通りなんだ。

母さんがいなくなった理由も、戻ってくるかどうかも、父さんなら知っているはずなんだ。


 そんなことは分かっていた。

でも、聞けるはずがなかった。

でも、どうしても、聞かなくちゃいけなかった。



「あの……」



 ぼくは口を開いた。



「ん?」


「か、かかか」


「か?」


 父さんがぼくをにらんだ。


いや、にらんでいない。

にらんでなんかない。

ただ、不思議そうにぼくを見ているだけだ。



「か、母さんのことだけど」



 父さんのほほがぴくっと動く。


 ぼくは思わず身構える。

小さい頃、ちょっと悪いことをすると、いつも突然、ぼくはビンタをされて床を転げ回った。

泣けば泣くほど、父さんは怒った。

だから、父さんの前では静かに大人しくしていた。



「母さんのこと? なんだ?」



 ぼくの体がこわばる。

けれど、父さんは特にまだ怒っていないみたいだ。



「ど、どうして、母さんは家を出て行っちゃったの?」



 父さんは少しだまってから言った。



「子供は関係ない。もうこの話は終わりだ」



 父さんはまたご飯を食べ始めた。

ぼくの心臓がドキドキと強くなっている。

これで終わりになんかできるはずがない。

大きく息を吸い込むと、ぼくはまた口を開いた。



「父さんは、母さんに帰ってきてほしくないの?」


「……帰ってきてほしいに決まってるだろ」


「これ……」



 ぼくは、父さんに庭から見つけた手紙を見せた。

父さんは、ぼくをぎろりと見てから、手紙を手にとった。

それからびっくりしたように読み始めた。



「この手紙、どうした?」


「に、庭にあったんだ。母さんが最近、家にきたみたい」


「家に?」



 父さんの表情は手紙で見えない。



「ぼく、母さんにまた会いたい。どうして、戻ってきてくれないの?」



 父さんは手紙をテーブルに置いた。



「どうして、母さんは家から出て行っちゃったの?」



「健太郎……」



 父さんは、じっと黙った後、言った。



「母さんとケンカした」


「え?」


「もう、父さんとはいっしょにいられないと言っていた」



 ケンカ???



「それで?」


「それだけだ。ただ、それだけだ。すまん、健太郎」



 父さんはぼくから目をそらして、大きく息を吐きだした。



「じゃあ、母さんは、父さんとケンカして、でていっちゃったの?」


「ああ、そうだ。悪いな。……もう、この話は、終わりだ」



 父さんは押し殺したような声で言った。

ぼくは立ち上がっていた。



「謝ってきてよ。ケンカしただけだったら、謝ればいいんだ」



 父さんは目を大きくさせて言った。



「謝ってどうなる? ただ謝ればいいのか? それで、母さんは帰ってくるのか? 大人っていうのはそんな簡単じゃないんだ!」


「違うよ! 謝って話し合えばいいんだ。そんなのぼくだって知ってる。父さんはいつも、一方的に怒ってばっかりなんだ!」


「怒ってなんかない!」



 父さんは声を荒々しくさせてテーブルをたたいた。



「怒ってるじゃん!」


「うるさい! 第一、母さんはどこにいる? おばあちゃんの家か?」


「ううん……。いなかった」



 父さんはびっくりしたように言った。



「健太郎? お前、おばあちゃんの家に行ったのか?」


「……うん」



 父さんはじっとぼくを見ている。

それから、大きく息を吐き出して、首を振る。



「謝りたくても、話し合いたくても、どこにいるかが分からなければ、どうしようもないだろう」



 ぼくは、すぐに言った。



「ぼくが、母さんを探す」


「何を言ってる? そんな簡単に。どうやって探すんだ?」


「ぼくが絶対に探してくる。そうしたら、そうしたら父さん、母さんに謝ってくれる?」



 父さんは、ぼくを驚いたように見ていた。

ぼくは気がついたら泣いていた。

父さんは、ぼくから目をそらして、口をモゴモゴさせて、小さな声で言った。


「ああ……。ちゃんと謝るよ」


「本当に?」



 父さんはため息を吐いた。



「母さんがいなくなって、色々考える。本当を言うと、母さんに謝りたいことが沢山あるんだ」



 そう言うと、父さんはさびしそうに笑った。



「だから、健太郎。母さんを探してきてくれ、頼む」



 ぼくは大きくうなずいた。





「すごい! 健太郎、がんばったね」



 カオリさんはぼくの肩をバンバン叩いた。



「いったいよ、カオリさん」


「あきらめなくて、良かったじゃない!」



 ぼくたちは、学校が終わると、いつもの公園でブランコに座っていた。

カオリさんは大きくブランコをこぎはじめた。

ぼくは、そんなかおりさんを目で追いながら、大きな声で言った。



「でも、母さんを探さなきゃ」



 カオリさんは、髪の毛をなびかせながら、こっちを振り返って笑った。



「まかしといて」



 カオリさんは、ブランコから飛び降りた。

そして、マスクを取って、大きく胸を広げて空を見上げるようにして、空気を吸い込んた。


なぜか、ぼくは鳥肌がたった。

カオリさんが言っていた、ニオイの世界がぼくにも見えた気がしたのだ。


公園の周囲に渦巻いている匂いの風。


その真ん中にカオリさんが立っている。


そして、カオリさんは今度こそ、母さんのニオイを見つけてくれる。


そんな風に思えた。





 それからしばらくして、母さんは帰ってきた。


母さんは、結局、またおばあちゃんの家に帰ってきていて、ぼくは、それを父さんに伝えただけだった。


 父さんはそれを聞くと、一人で出かけて行った。

 何があったが分からないけれど、きっと、父さんは謝ったんだと思う。



 その日以降、母さんは一年前と同じように、朝ごはんを作ってくれて、帰ってくると庭の花だんの世話をしながら、ぼくを笑顔で待ってくれている。


 父さんは、前より、不思議と怖くなくなって、たぶん、優しくなった。


 そしてぼくは、約束通り、カオリさんに毎日花を届けるようになった。


 カオリさんはやっぱり、変わらずマスクをして、ぼくといっしょに帰り、本当にぼくの親友みたいになった。



「よかったね、お母さん」



 カオリさんはすごく喜んでくれた。



「ありがとう、本当に」



「ううん。ギブアンドテイクよ。わたしも花がほしかったんだから。それにごめんね、弱虫とか言っちゃって」



ぼくは笑った。

本当にぼくは弱虫だったから。



「でも、弱虫じゃなかったね」



ぼくは、苦笑いして頭をかいた。


カオリさんは、何かを思い出したように手をぱちんと合わせて、ぼくに言った。



「そうだ。わたし、健太郎のお母さんに会いたいんだけど。まだニオイばかりで、ちゃんと会ってないから」


「え? そんなの、家にくればいつでも会えるけど?」



 カオリさんはほほ笑んで言った。



「人ってみんなニオイが違うんだけど、健太郎のお母さんのニオイはとっても優しいニオイなの。土の香り、花の香りが混ざっていて、魅力的な女性って感じがするわ。それにアロマやってる女の人って身近にあんまりいないのよ」


「魅力的な女性? ぼくのかあさんが? うーん、そうかなあ?」



 そう言えば、母さんもカオリさんと会いたがっていた。

鼻のすごい女の子に会いたいって。



「その人の人柄って、ニオイにも出てると思うの」



 ぼくはふと気になって言った。



「そうだ。カオリさん、そういえば、ぼくのニオイってどう?」


「え?」


「な、なんか、その、今まで考えもしなかったけど、変なニオイじゃないよね? 良いニオイだといいけど……」



 ぼくがそう聞くと、カオリさんは急に顔を赤らめた。



「どうしたの?」


「ないしょ!」




END


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