第7話
「わたし、思うんだけど……」
最近、学校の帰り道、いつものカオリさんといっしょだ。
マスクをして、表情は見えないけど、ぼくのとなりを歩きながら、こっちをにらんでいる。
「ちょっと健太郎って、問題あるよね」
「え?」
ぼくはひるむ。
「なんていうか、なんでそんななの?」
「ええ???」
なんかいやな感じ。
よく分からないけど、怒ってる?
「はっきり言っちゃっていい? あんた、少し、うじうじしてるよ」
「うじうじ?」
「みんなから聞いたよ。前は健太郎、もっと元気だったって。それなのに最近は全然みんなと遊ばなくなったって」
「みんなが?」
カオリさんはうなずく。
「みんな、心配してるんだよ?」
「ちょっと、どういうこと?」
「お母さんがそんなに心配なら、なんでもっと探さないの? わたしに言われなくたってね」
「え? そんなこと、言われたって……」
ぼくは、腕をつかまれると、すぐそばの公園へとひっぱられていく。
「だから、あんた、お母さんがいなくなってから、自分で探したことあるの?」
ぼくはブランコにドンと押されて座らされた。
「な、なにが言いたいんだよ?」
カオリさんはマスクごしにまくしたてた。
「だって、お母さんがいつの間にかいなくなっちゃったって言ってるだけで、何もしないで花の手入ればっかりしてるだけなの? お父さんかだれかに聞いてみた?」
ぼくの頭にカッと血がのぼった。
ぼくだって、探したかったけど、どうやって探したらいいかなんてわからなかっただけだ。
カオリさんは鼻がいいから探せるかもしれないけど。
「そうよ、おばあちゃんの家だって、あんたがその気になれば、とっくに一人で行って、お母さんに会えたんじゃないの?」
ハッとして、ぼくは、何も言えなくなってうつむいた。
確かにそうだ。
もっと早く、おばあちゃんの家に行けば、きっとお母さんに会えたんだ。
目の前で仁王立ちしているカオリさん。
「お花育てているより、やることあるんじゃないの?」
カオリさんの言うとおりだった。
キイコとブランコの鎖が鳴る。
「おばあちゃんの家でも、ほとんどわたしがしゃべってたし、なんかおせっかいしてるみたいじゃない」
ぼくが何も言わなくなると、カオリさんは足をふみならした。
「わたし、あんたみたいの見てると、イライラするのよね。そういうのなんていうか知ってる?」
カオリさんは、キッとした目でぼくを見て言った。
「弱虫っていうのよ!」
そう言って、カオリさんは公園を出て行った。
ぼくは一人になっても、腰かけたまま動けないでいた。
本当の事だ。
弱虫……。
ぼくは、何もできない弱虫だ。
一年前、学校から帰ると、家の中のどこにも母さんがいなくて、不思議に思っていたら、帰ってきた父さんが、クツを玄関で脱ぎながら、一言だけ「母さんは出て行った」とだけ言った。
それから、ずっと父さんと二人の生活がはじまった。
父さんはいつもより、ずっと怒っている顔をしていたし、何も聞けるわけがなかった。
直ぐに帰ってくるのではとも思っていた。
時間だけが過ぎて、庭がかれていくだけだった。
きっと母さんは帰ってくる。
そう信じて、ただぼくは庭の手入れをし続けた。
でもまさか、こんなに長く、母さんが帰ってこないだなんて。
本当に、もう母さんは帰ってこないのかもしれない。
それからぼくは何日も考えた。
どうしたらいいんだろうって。
でも、どうしたらよいかなんて分かるはずがなかった。
父さんが、母さんの居場所を知っているとは思えない。
おばあちゃんに聞いても、教えてくれなかった。
どうやって、母さんを探せばいいんだろう。
すると、必ず、頭の中にカオリさんの姿がうかぶ。
マスクを外したカオリさんを見たのはあれきりだ。
あのカオリさんだったら。
でも、カオリさんはぼくに怒っていた。
どうしよう。
「なによ、何か言いたいことがあるわけ?」
ぼくの家に花を取りに来たカオリさんは、やっぱりイライラした口調だった。
「あの……」
「なによ?」
「……お願いなんだけど」
花を選ぶカオリさんは、ぼくの言葉をまるで聞いていないみたいだ。
無視されている。
カオリさんは、ただ、ぼくの花が必要なだけなのだ。
けれど……。
「カオリさん!」
ぼくは思い切って言った。
カオリさんがびっくりしたように振り返る。
「ぼくと、いっしょに探してほしいんだ」
「また? わたしの鼻の病気は、人探しの為にあるんじゃないわよ」
ぼくは頭を下げた。
「お願い。もし、お母さんを見つけたら、ぼくがこれから先ずっと花をカオリさんの家に届けにいくよ。だから、手伝ってほしいんだ」
カオリさんが、じっとぼくを見た。
「カオリさんの言うとおり、ぼくは弱虫なんだ。でも、どうしても母さんを見つけたいんだ。そのためには、カオリさんの力が必要なんだ」
カオリさんはマスクの下で笑ったみたいだった。
「とうとう、本気であんたも探すってことね。そうよ、動かなきゃ何も変わらないよ。分かったわ、友達の頼みだもんね」
友達?
「でも約束よ。花を毎日、わたしの家に届けること、いい?」
毎日?
でもぼくは泣きそうなほどうれしかった。
「じゃ、さっそく探しましょ」
「え?」
「どうやって、なんて聞かないでよ。とくにかく動き回れば、絶対に手がかりが見つかるわ。まず、お母さんの部屋を見してくれる? 私も、もっとニオイを調べてみるね」
カオリさんはそういうと、ぼくの手をぐいぐい引っ張るように家の中へと入っていく。
玄関でクツをぬいで、カオリさんは、そのままマスクを取った。そして鼻せんも。
久しぶりに見るカオリさんの素顔。
つい、その横顔を盗み見る。
やっぱり、とても綺麗な顔をしている。
「お母さんの部屋はあの奥よね」
「え?」
「そのくらい、ニオイで分かるわよ」
カオリさんはずかずかと廊下を進むと、迷いもなく母さんの部屋のドアを開ける。
そのとたん、カオリさんは鼻を押さえてうずくまった。
「きゃ、このニオイ……」
「ど、どうしたの?」
カオリさんはかけよるぼくを苦しそうに見上げた。
「あんたのお母さん、アロマやってたのね」
「アロマって……」
「前も言ったでしょ? わたしも昔ははまってたのよ。花のエキスの香りって、人をリラックスさせたりする効果があるの。でも、今のわたしにはアロマオイルのふたが閉まっていても、シゲキが強いわ……あら?」
カオリさんはゆっくりと部屋の中へと入っていく。
そして、棚に並ぶ沢山の小ビンの中から、一つを選んで手に取った。
1センチくらいの小さな緑色のビンをつまむようにして、カオリさんは不思議そうに言った。
「これ……おかしいわ」
「なに?」
「これ、この家で以前、ニオイをかいだ時には、あんまり感じなかったけど、今はすごく強いニオイが出てる。あ! ほら、ふたがゆるんでるのよ。どうして?」
ビンには英語でかかれたラベルが貼られている。
一体、なんの花のオイルなのかさっぱりだ。
「おかしいと思わない?」
急にそう言われてもさっぱりだ。
「ど、どうしておかしいの?」
「だから、このローズのニオイは、前に来た時には分からなかったのよ。でも、今はふたがゆるんで、ニオイが強くなっているの。つまり、このビンは、最近だれかが開けたってことよ」
「だれか?」
「あんた、さわった?」
ぼくは首をふる。
その時、カオリさんははっとしたように、家の中を見回した。
「やだ! わたし、なんで気がつかなかったんだろう!」
「え?」
「健太郎! あんたのお母さん、つい最近、この家にもどってきたのよ!」