第6話
「ここよ」
「え、ここ……」
カオリさんがぼくを連れていった先は、よく知っている家の前だった。
古いかわら屋根の平屋の家。
様々な植物の鉢植えが無数に庭置かれている。
「ここ、おばあちゃんの家だ」
「え?」
カオリさんはちょっと考えるように鼻に手をあてた。
「……つまり、ここは、あんたのお母さんのお母さんの家ってこと?」
「そう」
「ふーん」
カオリさんは、また目を閉じて、でも直ぐにまた目を開くと言った。
「ここから、あんたのお母さんのニオイがするのは確かよ、行きましょ。こんにちわー」
「えええ!?」
インタフォンも押さずに、玄関の扉を開けてカオリさんは中に入っていく。
あわててぼくも中に入る。
すぐに家の中から、なつかしいおばあちゃんの姿が出てきた。そして、すごくうれしそうな笑顔を見せる。
「けんちゃん、どうしたの? 突然? あら、友達? めずらしいじゃない」
いつも父さんと母さんにつれられて、車でしか来たことがない。
だから、一人でくるなんて、めずらしいというより、はじめてだ。
ぼくは、はっと気がついた。
母さんがいなくなって、一年間、おばあちゃんの家に来たことがない。
だから、ここに母さんがいたとしてもおかしくない。
おばあちゃんはニコニコと、ぼく達を家の中に入れてくれた。
いつもの優しいおばあちゃん。
だけど、今日のぼくはきんちょうしていた。
居間に座って、おばあちゃんがお茶の準備をしてくれている間、カオリさんが肩をすくめてぼくに言った。
「残念、ここにあんたのお母さん、いないみたい」
「え?」
「ニオイは強く残っているけど、でも、このニオイ、最近のニオイじゃないわ。なんていうか、もうそのニオイの上に、別のニオイがのってるの。でもあんたの家のニオイより新しいから、しばらくはここにいたのは確かなんだけど」
ぼくは目の前がくらくらした。
結局母さんには会えないってことだ。
じゃ、なんのためにここまで来たんだろう。
「さあ、どうぞ。あら、けんちゃん、どうしたの?」
おばあちゃんが、お茶とお菓子を並べながら、泣きそうなぼくを見て、不思議そうに手を止めた。
ぼくは急いで笑顔をつくった。
口がひきつっているのがわかる。
言葉が出てこない。
かおりさんがお茶をテーブルにガチンと置いて言った。
「健太郎は、お母さんを探しに来たんです」
カオリさんの言葉に、おばあちゃんは、お茶をひっくり返しそうになった。
ぼくも、飛び上がるようにびっくりして、カオリさんを見た。
しかも呼び捨て!?
「教えてください。健太郎のお母さんはどこに行ったんですか?」
おばあちゃんは、目をキョロキョロさせてから、またぼくを見た。
ぼくは口をパクパクさせたけど、何も声が出ない。
またカオリさんが言った。
「教えてください。おばあちゃん、知ってるんでしょ?」
おばあちゃんは、またぼくに目をもどす。
「そう、そうよね。お母さん、急にいなくなっちゃったもんね。でも、わたしも分からないの。けんちゃん、ごめんね」
「でも、お母さんは、最近まで、ここにいたんですよね?」
「え?」
おばあちゃんは不思議そうな顔でカオリさんを見た。
「だから、おばあちゃん、知ってるでしょ? お母さんはしばらくはここにいて、それからどこか遠くへ行ってしまった。どこに行ったか、教えてください」
おばあちゃんの顔が驚いた表情になる。
「あなた、なぜそんなこと?」
「わたし、ニオイがわかるんです。犬みたいに」
「犬???」
鼻を指でつついて、カオリさんは続ける。
「最近まで、ここにお母さんがいたことも、ニオイが残っているから分かったんです」
「ニオイで?」
おばあちゃんは不思議そうにぼくを見た。
ぼくも正直、まだ半分疑問の話なんだけれど、とりあえずうなずいて見せる。
「じゃあ、ニオイで、ここまで来たってことなの? 信じられないわ」
「健太郎は、お母さんがいなくなって、かわりに庭の花を世話ばっかりしてるんです。お母さんの庭を守って」
「まぁ」
「教えてください。健太郎のお母さんは、どこにいっちゃったんですか? また、もどってきてくれるんですか?」
おばあちゃんは、ぼくをじっと見てから言った。
「ごめんなさい。けんちゃん、おばあちゃんは知らないの」
帰りの電車の中、カオリさんはぼくに言った。
「おばあちゃん、いい人ね」
ぼくはだまって、窓の外を見ていた。
……お母さんに会えなかった。
……そして手がかりもなし。
……心が苦しい。
期待なんてしていなかったけれど。
期待なんて、全然していなかったんだけど。
「おばあちゃん、泣いてたね」
「え?」
「おばあちゃんから、涙のニオイと、ウソをつくときの汗のニオイがしたわ。知ってる? 人は、ウソをつくと、汗をかくの。だから、そのニオイで、ウソか本当かわかるわ。おばあちゃんは何かを知ってる。でもとても辛い気持ちで、それが言えなくて、きっと泣くのをこらえてたのね」
「ほ、ほんと? それ?」
カオリさんはうなずいた。
「なにか理由があるのよ」
ぼくはクチビルをかんだ。
急に涙が出てきそうになった。
カオリさんが言った。
「泣いてもいいのよ。わたしがあんただったら、きっと、とっくに泣いてるわ」
「別に、そんなことないよ」
ぼくはほんのちょっとだけ、カオリさんに背を向けて目にたまった涙をふいた。
そうしながら、この涙のニオイもカオリさんは気がついているのだと思った。