第4話
「ね、また花をくださいな」
次の日、学校から帰ってすぐ、ぼくが花だんの手入れをしていると、またカオリさんが庭にやってきた。
ぼくは立ち上がると、軍手を外してため息をついた。
「どーぞ」
「失礼しまーす」
相変わらずのマスクをつけて、長い髪の毛をなびかせながら、庭に入っているカオリさん。
「ねぇ、わたし、こうして時々、花をもらいたいんだけど、いいのかな?」
ぼくはうなずく。
「でも、悪い……よね?」
「別にいいよ」
カオリさんは立ち上がってぼくの前に立つ。
「私気になってるんだけど……」
「え?」
「花が好きじゃないって変よ。こんなに色んな花が綺麗に咲き乱れているって事は、あんたは花の事を沢山知ってるって事なの」
「え?」
と、突然なんだ?
花の育て方は、確かにネットで沢山調べた。
ただ、それだけだ。
「ねぇ。かわりに何かしてあげる」
「かわり?」
カオリさんは腕組みをして言った。
「お礼よ、お礼! 気になってたことがあってさ。ほら、お母さんがいなくなったって言ってたじゃん? どうしていなくなっちゃったの?」
びっくりしてぼくはカオリさんを見た。
「な、なに? 急に」
「くわしく教えてよ」
ぼくは目をふせて、うつむいた。
なんで?
あまり聞かないでほしいんだけど。
「あなたが花を好きじゃないのに、こんなにステキな花園を守ってるのは、きっと、お母さんの花園だから……でしょ?」
「え!?」
「あたりでしょ?」
ぼくは何も言えないでいた。
本当にそうだ。
ぼくがなぜ、この庭を世話しているかって言われれば、母さんの花園を守っている、というのがぴったりくる。
母さんがいなくなって、どんどん、花が枯れていった。
ぼくは、それをだまって見ているわけにはいかなかった。
この庭に、いつも母さんはいた。
この庭は、母さんの大事な庭なのだ。
「だから、こうしましょ? わたしが、お母さんをいっしょに探してあげる」
「は?」
ぼくは自分の耳を疑った。
母さんを探す?
「そのかわりに、わたしにこれからも時々、お花をちょうだい。どう?」
「探すって??? どういうこと?」
カオリさんの目が笑っている。
「この前、ちょっと試してみたの。そしたら、前に住んでたところより、このあたりは、やっぱり空気がキレイなの。だから、少しの時間だけだったら、この鼻が使えるわ」
「ハナ?」
カオリさんはマスクをとると、ハンカチを取り出して、鼻から鼻せんをぬいた。
サラサラと髪の毛が風になびいて、ぼくは、初めて、カオリさんの素顔を見た。
鼻の頭が少し赤くなっていたけど、カオリさんは、本当に、すごく美人だった。
すっと通った鼻。
長いまつげと大きな目。
口紅をつけたみたいなくちびる。
多分、ぼくは、カオリさんに見とれていた。
カオリさんは、ちょっとアゴを上げて、目を閉じて、それから息を吸った。
その途端、はじかれたみたいに、胸を押さえて、うずくまった。
ハッとして、ぼくはかがんでカオリさんに近づいた。
「だ、大丈夫?」
「強い、ここ。花の香りが、ちょっと強すぎる」
立ち上がったカオリさんは、フラフラとまたよろめいた。
ぼくはあわてて、そのの体を支えた。
「大丈夫よ。それより、お母さんのニオイが残っているものをわたしに貸して」
「え?」
「お母さんのハンカチでも服でも、なんでもいいから」
母さんのニオイが残ったもの???
ぼくはよろめいているカオリさんの腕をとって、家の中へと連れていった。
そして、とりあえず玄関に腰をおろしてもらう。
「ニオイのついたもの? それ、どうするの?」
ぼくが聞くと、カオリさんは顔をあげて強い目を向けてくる。
「嗅ぐのよ!」
その勢いに圧されて、ぼくは靴を脱ぐと奥へ向かう。
「ちょ、ちょっと待ってて」
わけがわからなかった。
母さんのニオイがついているもの???
そ、そんなの、いくらでもあるけれど。
母さんの部屋に入る。
まだ、そのまま手つかずで残っている母さんの荷物。
そこから、ハンガーにかかっているブラウスとスカートを取ると、玄関へと戻る。
「カオリさん、これでいいの?」
玄関に並んだ母さんの服。
カオリさんはそれを手にとって鼻を近づける。
「ど、どういうこと? なにしてるの?」
「わたし、鼻の病気って言ったでしょ? 犬みたいに鼻がきくのよ。多分、数キロ先のニオイも、風に乗って運ばれてくればわかるわ。すごく不思議な世界よ。目をつぶっても、別の世界が広がっているの。ニオイの世界。でも、排気ガスだらけの都会の中じゃ、いろんなニオイがぐちゃぐちゃでとてもそんな世界で生きていけない。でも、この町なら、お母さんのニオイ、見つけられるかもしれない」
ぼくは、その話の意味が分からず、ただ口をポカンとさせていた。
「ニオイの成分って言ったらいいのかな。人によって、違いがあるのよ。うん、これがあんたのお母さんのニオイね。うん、うん、分かったわ」
カオリさんはまた目を閉じた。
まるで、母さんのニオイを覚えようとしているみたいに。
それから、目を開けると、ぼくを見て言った。
「この家の中には、お母さんはいないわ」
そんなことは、わかっている。
でも、ぼくは、自信満々のカオリさんが、女神様のように見えてドキドキしていた。