第3話
ぼくとカオリさんは、初めて会ったあの公園のブランコにこしかけた。
「わたしの病気はね、お医者さんが言うには、化学物質過敏症っていうんだって」
「化学物質カビンショウ???」
「ようは、感覚が敏感で、普通の人が感じないものに体が反応しちゃうの」
「感覚が敏感?」
「わたしは、特に鼻。鼻がすごすぎるの。だれも普通は感じない匂いを嗅ぎとって、それが悪い匂いだったりしたら、アレルギーが出ちゃうの。体中ぼつぼつになっちゃうのよ。それでこんなしたくもない鼻せんをしてるの」
ぼくはやっと理解した。
それで、そんなものを鼻にしているんだ。
「もともと、花の香りが好きで、友達とアロマにはまったのよ。アロマって知ってる?」
ぼくはうなずく。
花からとった香りの一杯つまったエキスだ。
それを使って、リラックスしたり、体に良い作用があるって言われてる。
「そのエキスをね、クンクンかいでたら、鼻の穴で、それをずずずって吸いこんじゃったの。その刺激っていうか、ショックはすごかった。わたし、気絶して、生まれて初めて救急車で運ばれたわ」
ぼくは、何も言えなかった。
どじな話だけど、多分、すごい痛みがあったのだろう。
「目が覚めたら、病室の中だった。すぐに自分の体の異常に気がついたわ。だって、病院の中ったら、薬の匂い、血やおしっこの匂い、いろんなものが沢山あって、それがわたしの鼻におそいかかってきて、思わずわたしは悲鳴をあげちゃった……」
カオリさんはそこまで話すと、大きくため息をついて顔を上げた。
「そういうわけで、都会の車ばかりの汚れた空気では、とても生活できなくなったわたしの為に、親がこの町に引っ越すことを決意してくれたってわけ。田舎なら、空気がきれいだろうって考えね」
「じゃあ、つまり、嗅覚が異常に敏感になりすぎて、そのせいで鼻せんをしてるって事???」
カオリさんはうなずく。
「じゃあ、もうその鼻せんもいらないんじゃ」
カオリさんは頭をふった。
「だめ。こわいの。まだちゃんとこの町の空気をかいでないけど、でも、車だって少しは走ってるし、牛小屋もあったから、うんこの匂いもしそう。そんなの嗅ぎたくないし」
かおりさんの顔は真剣だ。
でも、そんなことがありえるんだろうか?
「だから、お花がいるの」
「え?」
「夜、あなたの庭でとった花をまくら元に置いておくの。寝る時は鼻せんをとるんだけど、いい香りでバリアをはって、とってもよく眠れるんじゃないかなって、盗んでみたんだけど、これが大当たり!」
「花の匂いでバリア?」
「というわけで、わたしにはお花がどうしても必要なの。ね、だから、お花ちょうだいね」
ぼくは、ついうなずいていた。
本当かうそか分からないけど、カオリさんにとって、とにかく、花が必要なんだということは間違いない……という事みたいだ。
「じゃ、あんたの家、いきましょ! もうお花がないの」
ぼくは、カオリさんの勢いに流されるように、家に向かった。
「あれ? 家はだれもいないの?」
ぼくが玄関のカギを開けているのを見て、すぐにカオリさんは気がついたみたいだった。
「うん、父さんは仕事だから」
「お母さんは?」
ぼくはなんて答えていいかわからず、だまったまま玄関に入るとランドセルを中に放り込んだ。
庭に行くと、カオリさんがなおも聞いていくる。
「お母さん、いないの? かぎっこってやつね。あ、もしかして、聞いちゃいけない質問だった? リコンしちゃったとか?」
「さあね、いつの間にか、いなくなっちゃったから」
「え? いなくなった?」
カオリさんは首をひねる。
「ほら、花はいくらでもあるから、好きなだけつんでいっていいよ」
カオリさんは花を見ると、もう話はどうでもいいみたいで、目をキラキラさせて、花だんに飛びついた。
それなりに広い庭だと思う。
左右に広りもあるし、奥行きもある。
小さな柵も石畳も洒落ていて、植えている草花の種類も豊富だ。
「うわー、こっそり盗みに来た時は暗くて分からなかったけど、ホント、すごいわ。庭っていうより、花園よね」
手を合わせて、おどるようにステップをふんで、庭中の花を見て回っている。
「沢山、持っていきたいけど、つんだ花はかれちゃうから、必要な分だけにしておくね」
カオリさんは本当に花好きのようだ。
花だんにかがんでゆっくりと選んでいる。
「ドロボウだと、そうそう選んでられないでしょ? ね、あんたって、友達少ないでしょ? いつもおとなしいし。もしかして花が友達って感じ? あ、おススメとかある?」
「……別に」
ほんと、失礼な事を言う。
花が友達なんて思ったことがあるはずがない。
「あんたが好きな花は?」
「特にないけど」
カオリさんは、ふっと動きを止めた。
そして、ゆっくりと不思議な顔でぼくを見る。
「……ねぇ? 花が好きなんだよね?」
ぼくは返事にこまった。
カオリさんがにらむような目をする。
「ちょっと? あんた、なんでこんなに花を育ててるの? 花が好きだからじゃないの?」
思わずぼくはギュッとこぶしをにぎりしめた。
なぜ、花を育てているかなんて、上手く説明できそうもない。
もともと、母さんが花好きで庭は花ばかりが植えられていた。
この庭は母さんの作った花園だった。
でもある日、母さんがいなくなった。
そして、花が、どんどん枯れていった。
だから、ぼくは……。
「変なやつ」
何も言わないぼくに、カオリさんはあきらめたように背を向けると、またしゃがんで花を選びはじめた。