5:『満足した豚であるよりも、不満足な人であるよりも、ただ走り続ける狼であれ』
エフト=ガング。
孤児院出身の彼は冒険者として今までの人生を過ごして来た。
親のいる者はもちろん、地元の名士や貴族、そして勇者といった、恵まれた者達を内心で羨みながら過ごす日々。
いつかは報われる日が来ると自分に言い聞かせながら、彼は中年と呼ばれる年齢になった。
しかし現実は残酷だ。
富も名声も彼に振り向くことはなく、彼がようやく手に入れたのは白死病患者の肩書だけだった。
絶望に打ちひしがれ、人を恨み、世界を恨む。
せめて人生の最後に少しは楽しもうと、少ない蓄えを持って世界を放浪する旅に出た彼は、やがてオリヴィエと名乗る女に出会った。
「力をあげましょうか?」
彼の境遇を知った彼女が発した言葉がこれである。
纏った雰囲気そのものが怪しい美女。
普段であれば詐欺か宗教かと相手にしないのだが、間近に人生の終わりが控えていた彼はそれに乗ってみることにした。
恩寵『ホワイトセイバー』。
それがエフトの得た能力である。
オリヴィエの言葉を信じていなかった彼は、突如として手に入った力に驚くしかなかった。
そして彼はその後の彼女の言葉を聞いてさらに驚いた。
力の見返りとして要求されたのは、なんとこの世界の街を片っ端から壊滅させていくことだったからである。
――今の彼にとっては願ってもない!
そして彼はクラーニの街を圧倒的な戦力でもって壊滅させた。
Aランクの冒険者すら遥かに超える身体能力、絶対的ではないかと思えるほどの防御力。
初めて手にした圧倒的な力に酔いしれた。
それは休息の為に訪れた森でサキ達と遭遇した際にも遺憾なく発揮され、エフトに人生初めての優越感を感じさせてくれた。
……それが、ついさっきまでの話である。
★
(この人は……?)
サキはエフトの攻撃から自分を守ってくれた少年の背中を見た。
ガラスのような透明な刃。
叩けば容易に砕けてしまいそうな剣で、自分の命を刈り取ろうとした脅威を止めてくれた少年。
ギルドで何度か顔を合わせているはずだが、特に話したわけでもないのでサキはユウのことを覚えていない。
正直言ってその他大勢の一人程度の認識だった。
「あの……?」
「話は後だ。こいつを片付けてからにしよう。少し下がっててくれ。」
「は、はい!」
冷静なユウの態度を見たサキの表情に希望が戻る。
彼女の目からはこれがお姫様の窮地に駆けつけた白馬の騎士的な構図に見えているのだが、もちろんそう思っているのは本人だけだ。
急いで距離を取るサキ。
「ふん!」
ギィン! キキィン!
付き合っていられないとばかりに攻撃を再開するエフト。
容赦無い高速の連撃を繰り出すも、しかし全てユウに捌かれる。
剣の力で水を固めて出来た刃は明らかに異質。
エフトはユウの使う剣が一般に流通しているような物ではないことを理解して、相手が只者ではない可能性を感じ取った。
先程戦った勇者達とは違い、ユウの身につけている防具は特別上等でもないが、それが逆に剣の特異性を強調している。
敵を殺すための道具だというのに、まるで殺すことを意識していないような……。
装飾剣?
殺すことを目的として作られていない?
いや違う。
むしろ――。
殺すことに、一切の躊躇も感慨も無いような――。
(……? なんだ?)
直後、エフトは妙な違和感を感じた。
何がどうとは言えないが、しかし何かがおかしい。
キィン、キキィン、ギィン!
「もらった!」
「……。」
ユウの左腕を切り落とそうとした一撃。
エフトはそれが間違いなく決まると思った。
ずば抜けているとは言えないまでも、長年の戦いと危機を経験して身につけた感覚が彼にそう確信させた。
ギィン!
「――!」
しかし彼の予想はあっさりと裏切られ、ユウは彼の攻撃を剣で斜めに受け流すようにして難なく弾いてしまった。
(どうなってる?!)
激しい剣技の応酬。
エフトはその最中に敵であるユウの戦力を改めて観察した。
(こいつ……、俺より遅い……? それに力も……)
速度も力も、ユウの方が明らかに劣っている。
先程戦ったサキはもちろん、彼女以外の勇者達よりも間違いなく下だ。
それにもかかわらず戦況は互角、それどころかむしろエフトの方が押されている。
力で押せば受け流され、速さで押してもギリギリで間に合わない。
「どうなってるんだ?!」
エフトが叫びたい衝動に負けたその時、戦況が動いた。
「……ふっ!」
ユウは大きく息を吐くと、一瞬の隙をついて隣接距離まで踏み込んだ。
相手が虚を突かれてこの距離に対応できていない内に一気に決めに行く。
「――!」
ドンッ! ガンッ! キィンッ! キキィン! ガシッ! チュインッ! ギィン! ガガンッ!
(なっ、何だと!)
エフトの一挙手一投足に対し、まるで事前に打ち合わせでもしていたかのように、ことごとくユウのカウンターが入り続ける。
ユウの速度も力も脅威となる水準には程遠く、『ホワイトセイバー』による強化のおかげでエフトはまだ何一つ傷を受けていない。
が、行動しようとすると確実に起点を潰され続けている。
いくら力で圧倒的優位にあるとはいえ、その肝心の力を使う前の段階で妨害されては意味がない。
「す、すごい……」
言われた通りに少し離れた木の陰から戦いを見ていたサキ。
彼女はその光景に思わず溜息をついた。
エフトの攻撃がどれだけ強力であるかは先程の戦いでよくわかっている。
全ての攻撃が即死級。
一発でも喰らえば死。
かすっただけでも致命傷となる可能性が高い。
ユウが身を置いているのはそんな相手の目の前、死が吹き荒れる暴風域である。
奇跡。
ある攻撃は避け、ある攻撃は初動で妨害して止める。
文字通り一瞬の判断を誤ればそこで終わりだというのに、その状況下でユウは自分の命を繋ぎ留め続けていた。
パワーでもスピードでもなくテクニック、即ち圧倒的な技量の違い。
サキの視線の先で、幾多の死線を潜り抜けた者にすら実現できないような光景が繰り広げられていた。
「なぜだっ?!」
ユウの猛攻に晒されたエフト。
彼は混乱の極みの中で自分に『ホワイトセイバー』を与えたオリヴィエという女のことを思い出していた。
あの女に感じたのと同じ気味の悪さ。
だが目の前の少年から感じ取れるのはその比ではない。
現実として、身体能力ではエフトの方が遥かに上。
しかしその差を持ってしても逆に圧倒されているのである。
……そもそも目の前にいるのは少年なのか?
追い込まれているエフトの脳裏に疑問が浮かんだ。
その表情には先程戦った勇者達のような年相応の甘さは一切なく、一心不乱に情け容赦無い追い込みを掛けてくる。
自分の呼吸よりも攻撃を優先するその姿は、もはや狂戦士のそれに近いと言ってもいい。
(……なんだ?)
……一瞬だけだ。
ユウの瞳が青く輝いていることを認識したその一瞬、エフトは彼の背後に”何か”の存在を感じ取った。
頭が理解するよりも先に背筋が凍り、エフトの本能が叫ぶ。
――この相手は危険だ! 危険すぎる!
――自分は、何かとんでもなくエゲツない者と戦っている!