5:『フラグ回収』
異世界勇者サキのパーティが姿を消したという報告は、即座にエルネストの元へと届けられた
「監視に気付かれたのかな?」
「いえ、そういった様子は……」
報告した兵を口籠った。
気付かれてはいなかったはずだ。
しかし相手が気付いていない演技をしていた可能性は十分にある。
エルネストはそれ以上咎めることもなく、兵を持ち場に戻らせた。
「いいの?」
やけにあっさりとしたエルネストの対応に、モニカは首を傾げた。
「仕方ないさ。ダメで元々だったしね」
ホーリーウインドに所属しているような精鋭ならばともかく、今回は普通の兵士で、おまけに倒した木の撤去作業をしながらである。
これが例えば光学的に自分の姿を隠せる福音持ちに張り付かせていたならば、気づかれなかった可能性は高い。
しかし今回はそれが出来なかったのだから仕方がない。
(サキ=アイカワ……。彼女がこのタイミングで姿を隠す理由はなんだ?)
エルネストは横目でユール=レッドノートの様子を確認した。
ニアクス軍の指揮を取っている彼に変わった様子はない。
まだサキ達の失踪を知らないのか、あるいは逆にもう知っているのか。
……どちらだろう?
エルネストの推測では、ユールとサキは水面下でつながっている。
連絡役はもちろんユウだ。
それはサキが極めて頭の切れる人物であるという前提から組み立てられた推測なのだが、彼女のポンコツ具合を知らない彼にはそれが最善手に思えた。
そもそも、なぜサキのポンコツ具合を見抜ける者が少ないのかという話なわけだが、今はまだそれを語るべき段階ではないだろう。
(普通に考えれば自殺行為。だがあのゴースト君が、実際に森の中を動き回れるのだとしたら……)
エルネストとモニカは、最初にこの世界に生まれた直後のユウを迎えに行かされたことがある。
しかしユウが森の中に入ってしまったことで、接触することは出来なかった。
(あの時、ゴースト君は確かに森の中に入ったはずだ。それが森の外にいたってことは、少なくとも一度は森の迷宮を抜けたことになる)
予測とは悪い方に立てておくものだ。
もしもユウが本当に森の迷宮を攻略可能だとすれば、サキは行動面で圧倒的な優位に立っていることになるのだから。
(目的があるとしたら……、『聖女』の独占か?)
あり得る話だ。
『魔王』に対抗出来る戦力とされる『聖女』をサキが単独で復活させたとなれば、その政治的影響力は一気に増すことになるだろう。
彼女が異世界勇者の地位だけでは盤石ではないと判断したとすれば、これは間違いなく好機である。
(追手を出すか? ……いや、無駄に兵を失う可能性が高い。それに……)
エルネストは、最前線で力を振るっている他の異世界勇者達を見た。
もしかすると、彼らも何か企んでいるのだろうか?
(嫌な予感がする……)
『ヤバイ、ヤバイヨ、アイツ』
『チカヅクナ、キケン、キケン』
『ツヨスギル、チカラ』
『タタカワセタラ、ダメダ』
エルネストの耳元では精霊達がひっきりなしに囁いていた。
★
「おおおおおおおおお、おちおちおちおちおちおちつけ!」
「そそそそそ、そうですよユウさん! おちおちおちおちおちつきましょう!」
森の迷宮で普通に迷子になったユウとサキ。
二人は大変冷静だった。
「落ち着くんだサキ! そうだ! まずは腹ごしらえだ!」
「そうですよユウさん! お腹が減っても戦はできるんですよ!」
二人は魔法袋から携帯食を取り出すと、せっせと口に詰め込み始めた。
そう、彼らは大変冷静である。
サバイバルセンス抜群の二人は、とりあえず手持ちの食料を全て胃袋に収め、いつでも遭難できる態勢を整えた。
……ユウが我に帰ったのはその後だ。
「いや、ちょっと待て。」
「どうしたんですかユウさん。まだ水が残ってますよ。早く全部飲まないと!」
「落ち着け! 正気を取り戻せ!」
ユウはサキの両肩を掴んで、グワングワンと揺さぶった。
「あうあうあうあうあうあう」
美少女の頭部がガックンガックンと上下し、口からはよくわからない悲鳴が漏れる。
もしかすると天から何かがサキの体に舞い降りそうな気もしたが、もちろんそんなことはなかった。
「はっ! 私は一体何を!」
「危なかった。俺達、迷ったショックで冷静さを失ってたみたいだ。」
ちなみにだが、この森には侵入者の正気を奪うような力はない。
あるのは定期的に内部の構造が変化するという現象だけだ。
あくまでも、迷い込んだユウとサキが勝手に混乱しただけである。
そういう意味では、なんだかんだで似た者同士の二人だった。
「でも参ったな。食料は今無くなったし、このままだと本当に遭難だぞ。」
ユウは周囲を確認した。
この森に入ったのはこれが初めてではないが、しかし自力で脱出したことはない。
このままどころか、もう既に遭難したと言ってもいいぐらいの状況だ。
ちなみに水はサキが最後の残りをたった今飲んでいるので、あと数秒後ぐらいには無くなる。
「できるだけ遭難した場所から動かないのがいいって聞くけど、ここじゃあ迎えには来れないよな」
「そうですよね。このままだと私達、一緒に餓え死に……」
薄暗い森の雰囲気に飲まれたのか、サキがユウの横に来て服を掴んだ。
さっきまで腰に手を当てて堂々と水をガブ飲みしていたのはなんだったのか、などと野暮な事を言ってはいけない。
「サキ……」
空気を読んだユウは、不安げにし始めた年下の少女を抱き寄せた。
まあ、生まれた時期で言えばユウの方が年下なわけだが。
記憶はオリジナルから引き継いでいるし、肉体年齢的に見てもユウが年上、サキが年下ということでいいだろう。
(はっ! まさか!)
そんな気遣いを受けたサキに、突如として天啓が舞い降りた。
(ユウさんってば、どうせ助からないから、最後に私とやらしい動画みたいなことをしようとしてるんじゃ……。ぐへへへへ)
先程までと変わらぬ不安げな真顔のまま、サキは口からよだれを垂らし始めた。
……このポンコツ少女は、こんな時でも平常運転だ。
「……? おいサキ、どうした?」
まさかこの局面でポンコツを発揮したりはしないだろうと鷹をくくっていたユウは、きっと真面目な理由で体調がおかしいのだと思って、サキの顔を覗き込んだ。
邪魔の入らない森の中で二人きり。
そんな男女の視線が正面から向かい合う。
「だだだだだ、ダメですよユウさん! なんだかんだ言って私にも心の準備というものが!」
サキは顔を真っ赤にすると、慌ててユウから距離を取った。
十四歳の少女がこれまでの人生で仕入れてきた情報を基に、めくるめくピンク色の世界が彼女の脳内に広がっていく。
サキがまだ正気を取り戻していないのかと思ったユウ。
彼は再びサキを揺さぶろうとして……、固まった。
「……なあ、今何か聞こえなかったか?」
「その手には乗りませんよユウさん! そうやって黙ったところで乙女の唇を奪うつもりですね! そういうのドラマで見たから知ってます! ……ん?」
言い終えた後の空白になって、サキもまた何かに気がついた。
「ユウさん、今何か聞こえませんでした?」
「ああ、だから聞こえたんだって。」
顔を並べて耳を澄ませる二人。
そして森の奥から、再び歌声が聞こえてきた。
「クマっ、クマっ、クマー♪ クマっ、クマっ、クマー♪」
「こ、この声はまさか……!」
「……?」
戦慄するユウ。
そうだ、この声は前にも聞いたことがある。
それもよりにもよってこの森の中で、だ。
ユウは目を見開き、声のする方向はどこかと探った。
「……そこだっ!」
どこかの世界で白い悪魔と言われている男並みの反応で、ある方向を指差したユウ。
「クマっ、クマっ……、クマ?」
その方向からは、茶色い着ぐるみのような二足歩行の”クマ”が、鼻歌混じりにスキップしながら二人の前に現れた。
丸々とした体に四足歩行の気配は一切無く、頭の上には大きなカエルを乗せている。
「わあ、かわいい!」
サキは思わず声を上げた。
確かに見た目は愛らしい。
わざとらしく媚びてもいないし、無邪気な感じが大変に素晴らしいのである。
だが……。
「カエル、ユウがいたクマ。」
「そうだな。どう見ても迷子だなこれは」
「前に別れたときは『もう会わないだろう』とか言ってなかったクマ? フラグ回収かっこ悪いクマ。」
茶色いクマと頭の上に乗ったカエルは、早速とばかりに毒を吐いた。
やはりというか、どうやらというか、中身は見た目ほど可愛くはないらしい。
「ぐぬぬ……。」
以前にこの森で迷った時、ユウはクマ達の案内で外に出ることが出来た。
その時に言ったのだ。
”もう会わないと思うけど”と。
その相手との早すぎる再開に、ユウは何も言い返せなかった。




