1:『そして過去は蘇る』
改めて第一部の第一章を読むと……。
国境付近における戦いから数日後。
ノワルア王国にある女神教の総本山、中央教会は報告を受けて騒がしくなっていた。
「ノワルア王国による独断での伝説勇者復活。それだけでも十分に大問題だというのに、さらにはそれを前線に投入して早々に全滅させたとは……。これは頭が痛い……」
「聖下、全滅ではありません。初代勇者ルカ様は一命を取り留められたそうですから」
「ああ、そうでしたね。となるとまだ良い方か。しかし勇者教はうるさく言ってくるでしょうね」
教皇の執務室には、二人の若い男女が呼ばれていた。
一人はカタリーナ=オルティス。
柔和な雰囲気を纏った若い女性である。
一見すればその振る舞いは箱入りのお嬢様上がりだが、見た目ほど呑気な人物ではない。
清楚で輝かしい外見も次の教皇の椅子に座るために”作っている”と考えれば、それほど不思議は無いだろう。
そしてもう一人はエルネスト=ローラン。
長い黒髪の優男だが、こちらもその振る舞いほど隙のある人間ではない。
本職は考古学者だが魔法の腕もかなりのもので、戦力が足りなくなった際には応援として最初に名前が挙がることも多い。
二人とも実働部隊のエリートであるホーリーウインドには所属していないが、”福音持ち”と呼ばれる女神教の幹部だ。
どちらもその頭脳を評価されて、今の地位に収まっている。
「『魔王』コルドウェルに続いて未知の竜……。一万近い軍勢が一蹴されるなどとは、にわかには信じられませんね」
教皇グレゴリアスは剃られた顎を撫でた。
正面に座る二人と違い、このインテリ風の老人にはあまり穏やかな雰囲気がない。
もっとも、彼は逆に見た目ほど警戒が必要な人物でもないのだが……。
「しかし予測と推測は悪い方向に立てておくべきでしょう? そのつもりで対抗策を考えなければなりません」
「……」
今後の動きを話し合うグレゴリアスとカタリーナ。
そんな二人の横で、エルネストは沈黙を保っていた。
(参ったな……。このままだと厄介事が僕に降ってくるぞ、これは)
エルネストは二人の会話の流れから予測される展開を想像して、溜息をつきたくなった。
『魔王』コルドウェル。
現時点で詳細不明とされる魔族の情報を、実は彼は持っている。
考古学者の間で”失われた時代”と呼ばれる時代の碑文の中に、その名前があるからだ。
解読した内容では『魔王』ではなく『赤鬼』となっていたが、その特徴と照らし合わせればまず間違いないだろう。
そしてエルネストの研究対象がまさにその失われた時代であって、女神教が動員できる中で彼よりも詳しい者はおそらくいない。
となれば……。
「エルネストさん、『魔王』は封印から復活したと言っていたそうですが、過去の文献にそれらしい魔族の情報はありませんでしたか? これほど強力な魔族となれば、残っていない方が不自然だと思いますが」
(来たよ、来た来た)
思った通りの流れである。
しかしここで嘘をつくわけにはいかない。
コルドウェル達への対抗策が必要なのは事実であるし、自分が情報を伏せていたことが後で発覚すれば処罰は免れないからだ。
エルネストは観念して口を開いた。
「心当たりなら一つだけ」
「ほう?」
教皇の瞳が光る。
これでも一応、本人としては友好的な表情をしているつもりだというのだから厄介だ。
「何千年も前、失われた時代と呼ばれる時期に人間と魔族の全面戦争があったと言われています。で、確かその中にコルドウェルの名前があったはずです。……同一人物である保証まではありませんがね」
「ということは、エルネスト様の仰るとおりにそれが同じ人物である場合、以前にも同じ脅威を乗り越えた経験があるということになりますね? いったいどのようにしたのでしょう?」
今度は隣に座るカタリーナがエルネストに視線を向けた。
彼女は相手が目下だろうがなんだろうが”様”をつける。
元々がそういう性格なのか、それとも……。
隣り合う美男と美女の視線が交差した。
話が物騒であることを除けば、大変結構な構図ではある。
「解読の方が難航してましてね。まだ詳細にはわかっていません。ただ、『赤鬼』コルドウェル、『青鬼』グルナラ、『天空竜』ド=ナシュ=ラクが率いる魔族軍に対し、人間側は『聖女』ルシエラ、『大猫の騎士』カリバーン、そして『赤の騎士団』を中心に戦ったと記されています」
「強者には強者を、ということですか。しかしそれだと我々には手が無いということになってしまいますね。ちなみにですが……、どちらが勝ったんです?」
グレゴリアスは古代の戦争の結末を知りたがった。
もちろんエルネストも彼の意図は理解している。
「碑文を信じるのならば人間側の勝利と。わかっているのは結果だけですが」
両手で天を仰いで見せたエルネストの返答に、グレゴリアスは少し満足したようだ。
つまり、勝てない相手ではないようだ、と。
そんな教皇の様子を見て、黒髪の少年は内心で溜息をついた。
この後の展開は大体想像がつくからだ。
神官が部屋に飛び込んで来たのは、そんな時である。
「大変です聖下! たった今、白の預言書に新たな文章が記されました!」
「……ほう?」
写しを受け取り、それを読んだグレゴリアス。
彼はニヤリと笑うと、その紙をカタリーナとエルネストに向けて差し出した。
「エルネストさん。どうやら一仕事お願いすることになりそうです」
「というと?」
二人は同時に紙を覗き込んだ。
『聖女ルシエラを復活させよ』
紙には、その一文だけが記されていた。
それを見た瞬間、エルネストはいよいよ不味いことになったのを理解した。
もちろんそれを表情に出したりはしないが。
『聖女』ルシエラ。
まさに今話していた、古代の戦争における人間側の切り札となった人物である。
「”復活させよ”ということは、どこかに聖女様が?」
カタリーナは即座に核心をついた。
『聖女』を復活させろということは、つまり”彼女”はそれが可能な状態で、この世界のどこかにいるということである。
そしてそれに心当たりがありそうなのは……。
二人の視線を受け、エルネストはついに観念した。
「森の迷宮。ニアクス王国内にあるその森が、『聖女』ルシエラの封印された場所と一致します。ただし……、本当に保証までは出来ませんよ?」
「森の迷宮……。確か、”あの方”が現れた場所もその近くでは?」
カタリーナは、”そこ”が先日も話題に上がったことを思い出した。
エルネストもまたその意味するところはわかっている。
なにせ、その件で実際に現地の案内役にされたのは彼なのだから。
「ええ……。”ユウ=トオタケのゴーストが発生した場所”のすぐ近くです。隣と言ってもいい。精霊達も森の中にただならぬ強者の存在を感じ取っていたので、おそらくはそれが『聖女』の気配だったんでしょう」
とんでもなくヤバいのが中にいる。
エルネストが話を聞いた精霊達は、確かにそう言っていた。
『魔王』コルドウェル達に対抗できる実力者なら、そう評されても不思議はないだろう。
「魔法トラップで迷宮化した森の中、おまけにニアクスの領内となれば、攻略は簡単じゃないでしょうね」
エルネストが懸念しているのはそこだ。
ただでさえ、先日の伝説勇者復活で関係の悪化が確定しているというのに、さらに聖女を探索させろなどと言えばどうなるか。
……火に油を注ぐだけだ。
ノワルア王国とニアクス王国との関係はもちろん、それぞれの国を本拠地とする女神教と勇者教の対立は必至。
特に勇者教からの反発は相当なものとなるだろう。
何せ勇者を信仰の中核とする彼らにとって、伝説勇者は最重要視される存在だったのだから。
「伝説勇者の件はノワルアに責任を押し付けるとしても、聖女に関しては何か口実を考えねばなりませんね。……本当に頭が痛い」
権力欲しさに教皇となったことを少し後悔しつつ、グレゴリアスは頭の中で青写真を考え始めた。
何にせよ、『魔王』に対抗する戦力の確保は必須だ。
初代勇者ルカをニアクスに引き渡すことを条件に、女神教と勇者教、さらにはノワルア王国とニアクス王国による連合軍が結成されたのは、その数週間後。
そして彼らが聖女復活のために”森の迷宮”へと向かったのは、それからさらに一週間後のことである。




