2:『手は手でしか洗えない。日陰者の気持ちは日陰者にしかわからないよ』
アルトバと呼ばれていた街を出たユウは、数日間ずっと北へと向かって歩き続けていた。
別に何か理由があったわけではなく、たまたま道なりに進んだらその方向だったというだけだ。
街を出た時から続いている曇り空の下を、人通りのない踏み慣らされた道に沿って歩き続ける。
そして十字路に差し掛かった時、右側からちょうど一人の男が歩いてきた。
(白い……。)
ユウが横目で見たその男は、全身の色素が完全に抜け落ちていた。
彼が白死病の末期であることは一目瞭然だ。
白死病。
それはこの世界の人々の死因となる可能性が最も高い病である。
発症すると体中の色素が徐々に抜けていき、最後は死に至る。
治療法は一切確立されておらず、発症原因は不明、あるいはゴーストロッドというアーティファクトによるものとされているが、その正体は世界による死者の誤認だ。
二つある世界の片方で死者が出た場合、もう一方の世界が自分の世界で死者が出たものと誤認する。
そして自分の世界の人間に白死病を発症させて強制的に死に至らしめるというわけだ。
ユウと白死病の男。
同様に死んで腐ったような瞳。
二つの視線は一瞬交差しただけで終わり、彼らは振り向くこともせずにそれぞれの方向へと歩いていった。
★
「三、四……、五万ちょっとか。」
シグニカと呼ばれる街に辿り着いたユウは財布の中身を確認すると、まず最初に冒険者ギルドへと向かった。
食料は保存食があるのでまだ少しは大丈夫だが、現金は普通に宿を取れば一週間と持たない金額だ。
早めに現金を入手する手段を確保しておきたかった。
道行く人に聞いた場所に行くと、この世界の文字でデカデカと冒険者ギルドを書いてある建物があったので迷わずそこに入る。
「すいません、新規で冒険者の登録をしたいんですが」
ユウはカウンターにいたお姉さんにそう告げた。
実を言うと登録は以前にもやったことがある。
その事実は”無くなってしまった”が。
「新規登録ですね、それでは契約書を読んだ上でこちらの用紙にご記入ください。字の読み書きは大丈夫ですか? 代読と代筆はセットで二百ジンです」
ユウは異世界勇者である遠武優本体の能力をそのまま受け継いでいるが、勇者の加護のように本体の外側に付加された要素まではコピーされていないので、それらの恩恵は基本的に受けていない。
しかし、どうやら言語能力は勇者の加護が遠武優本人に自動習得させる形で働いていたらしく、それだけはユウにも異世界勇者と同等レベルでコピーされていた。
これが仮に自動習得ではなく自動翻訳だったとしたら言語能力まではコピーされることなく、ユウは全く言葉がわからない中で右往左往することになっていただろう。
(前に見たときと同じ……。特に問題は無さそうだな。)
以前登録したのは別の街だったが、契約書の内容は同じのようだった。
特に普通にしていれば抵触することは無さそうだ。
「お、あったあった」
ユウが契約書を読み終えて申請書を書こうとペンを手にした時、ギルドに場違いに楽しそうな集団が入ってきた。
人数は全部で四人。
年齢はユウより少し上から少し下ぐらいまでで、性別の割合はちょうど男女が二人ずつだ。
そして全員が美男美女だった。
彼らは依頼の紙が張ってある掲示板を見つけると、真っ直ぐそこに向かっていく。
ギルドの中にいた全員が彼らの方を見た。
もちろんユウもだ。
騒がしいというのはもちろんだが、他のグループは多くても三人ぐらいで大半が一人か二人なので、四人となるとちょっとした人数だからだ。
それに加えて、彼らの装備が普通の冒険者達よりも明らかに上等というのもある。
「うーん、まだ依頼は出てないみたいですね」
「こっちの方は情報が伝わるのが遅いみたいだな」
期待したような依頼が無かったのか、四人は今度はカウンターにやってきた。
ユウ達の隣が空いているのを見つけるとそちらに向かって近づいていく。
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですが……」
リーダー格らしき黒髪の少女がギルドカードを差し出した。
腰には杖を差し、活発そうな外見をしている。
「なんでしょうか? えーと、サキ=アイカワ様。あ、失礼しました、勇者様でしたか」
カードを受け取った受付の女性が慌てて姿勢を正した。
「おい、聞いたか? 勇者だってよ」
「まじかよ……」
様子を伺っていた周囲が小声でざわつき始める。
(勇者……。)
ユウも申請書を記入する体勢のまま、手を止めて横目で隣の集団を見た。
この世界において勇者とその一族の地位は非常に高く、高位の貴族の代名詞となっている。
勇者の加護によって得られる高い身体能力と事務能力。
勇者だけが使用できる高性能な魔法。
それらが名実共に彼らをこの世界の主役の座へと押し上げていた。
彼女もまたその一人ということだ。
「どのようなご用件でしょうか? あいにくと勇者様の目に敵うようなレベルの依頼はこの街には殆どございませんが……」
受付の若いお姉さんには荷が重いと判断したのか、奥にいた年配の女性が出てきた。
ちなみに彼女はここのギルド長である。
「えーっと……、先日クラーニの街を壊滅させた犯人がこちらの方向に向かったと聞いて来たんですが、何か知りませんか?」
「クラーニが……、壊滅?」
受付の二人を始め、その話を聞いていたユウ以外の全員が目を丸くした。
どうやら初耳だったらしい。
ユウはクラーニという街の名前そのものが初耳だった。
「ちょっと待ってください! クラーニが壊滅ってどういうことなんです?」
横にいた男が慌てて話に加わる。
クラーニはここから東に行ったところにある街だ。
大規模とは行かないが人口はそれなりに多く、それが壊滅したとなれば大事である。
「やはり知らなかったようですね」
口を開いたのはサキと一緒にいたメガネを掛けた優等生タイプの少女、サティアだ。
彼女の暗めの綺麗な緑色の髪が知的に揺れる。
「数日前、クラーニの街が襲われ、住人はほぼ皆殺しにされました。辛うじて難を逃れた者達は口を揃えて『犯人は白死病末期の男一人だった』と言っています」
(白死病……。)
横で聞いていたユウの脳裏に、この街に来る途中で見た男の姿が浮かんだ。
あの男も白死病の末期、それに歩いて来た方向も条件に合致する。
「事態を重く見た王国は勇者に対して即時に討伐命令を発令し、この地域には我々が派遣されたというわけです」
「この地域、ということは他にも?」
「各地域の主だった勇者に対しては全員に命令が下ったそうです」
思った以上に大事になっていることを理解したギルド長が額に汗を浮かべた。
周囲で耳を澄ませていた人々も騒ぎ始める。
スキンヘッドの男が飛び込むように入ってきたのはちょうどその時だった。
「大変だ!」
中に入るなり大声で叫んだ男に周囲の視線が集まる。
「トムス、どうしたんだそんなに慌てて?」
息を切らした男を見たギルド長は最悪の事態を予感した。
サキ達から話を聞いたばかりのクラーニを壊滅させたと言う男、それがここに来たのではないかと思ったのだ。
しかしその予想は直後の言葉で裏切られた。
「大変なんだ! 西の森からドラゴンが出てきて街に向かって来てる!」
「なんだって?! ワイバーンじゃなくてか?!」
今度は違う意味で周囲がざわつき始めた。
ドラゴンは一般的に見られるモンスターとしては最高レベルの脅威だ。
その強さはワイバーンとは桁違いで、並の冒険者が討伐しようとすれば最低でも数百人規模の戦力が必要と言われている。
突然の危機の到来にギルドの中が静まり返った。
この街の警備隊と冒険者全てを集めたとしてもそんな人数には程遠かった。
「ふむ……。どうやらこの街の人達はクラーニと違って運が良かったみたいですね」
サキが自信満々に呟いた。
「まあ、妥当な判断だろうね。このままこの街を見捨てるわけにも行かないし、サキ様の実戦経験を積む意味でも丁度いい」
もっともらしい理由で賛同したのは同じく勇者パーティの戦士のエアドだ。
銀髪の彼はドラゴンの強さを知っているはずだが、それでも慌てるような素振りは一切見られない。
「じゃあ決まりですね。 それじゃあ手頃な場所まで案内を頼めますか?」
「ちょっと待ってください! まさか勇者様達だけで行くつもりですか?!」
スキンヘッドの男に道案内を頼もうとしたサキ達をギルド長が慌てて止めた。
「問題ありません。戦闘経験に乏しいとはいえ、サキ様は仮にも異世界勇者ですから」
イザベラに反論するサティア。
それを聞いた周囲が一斉に騒ぎ出す。
「おい聞いたか? 異世界勇者だってよ」
「まじかよ、始めて見た……」
異世界勇者というのは異世界転移で別の世界から来た人間のことだ。
彼らは普通の勇者よりも数段協力な勇者の加護によって、文字通り一騎当千の戦力を誇る。
つまりこのサキという少女もまた、ユウのオリジナルである遠武優と同格の存在だということだ。
「僕達も全員勇者だしね」
それまで黙っていた金髪のイケメン剣士、コバルトが補足する。
当然その言葉も彼らに注目していた周囲の人間の耳に届いた。
「異世界勇者だけじゃなくて勇者が三人もだって?! いける! いけるぞこれは!」
予想外に強力な戦力の登場に周囲が沸いた。
この世界における勇者、そして何より異世界勇者という存在がどう評価されているかが、彼らの態度に端的に現れている。
「わかったら早く行こう。……時間がないんだろう?」
「は、はい! こっちです!」
エアドに改めて道案内を促されたスキンヘッドの男の表情は、先程までとは打って変わって希望に満ちていた。
彼と共に外へと走っていく勇者達。
ギルドの中にいた冒険者達も、彼らの戦いぶりを見ようと出ていった。
(異世界勇者、か。)
その言葉に少し引っかかるものを感じつつユウは再び申請書の記入を再開した。
……が、今は一大事だということで直後に窓口を閉じられてしまった。