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俺の本物を殺しに行く  作者: いらないひと
プロローグ
1/31

1:『傲慢な人間は言葉遊びが好きだ。文学なんてその極北さ』

 貴族レッドノート家が所有する別邸の一つ。

 少年はその中のある部屋の前の廊下で、壁を背にして立っていた。

 

 時間帯は深夜。

 扉の反対側には少年と同世代の男女が一人ずつ。

 夜の静けさ、そして少年の本能に刷り込まれた特別な好意の後押しによって、耳が部屋の中の音を確実に拾い上げていく。


 ベッドが軋む音を。


 シーツが擦れる音を。


 そして――。


 少女の喘ぎ声を、だ。


 穢れを知らない少女が、大人への階段を今まさに登っている証明。

 愛する男に自らの意志で貫かれ、その色に染められる行為。

 全身で相手を求め続けながら苦しそうに男の名を呼ぶ彼女の声は、間違いなく喜びで満たされていた。


 暗闇。


 自分が好意を抱く少女がドアの向こう側で、今まさに別の男とそういう時間を過ごしているのだと本能が理解した瞬間、彼は目の前が真っ暗になった。

 この道を選んだのは自分だ。

 自分の幸せより彼女の幸せを優先した、その結果だ。

 頭でこそ整理はついているが、自分という存在の一番奥深くに刷り込まれた感情が抗いきれない。


『だから言っただろう? さっさと襲っちまえってよ。』


 耳元で囁くような声。

 白でも黒でもない、灰色の煙が後悔を抉る。


 果たしてどのようにそこまで戻ったのか。

 気がつけば、彼は自分に与えられた召使い用の部屋のベッドの上で、布団に包まって震えていた。


 ユウ=トオタケ。

 それが彼の名前だ。


 目を必死に閉じて全ての光を遮り、疲れては昼夜の感覚もなく眠る。

 いったいどれだけの時間が経ったのかもわからなくなった頃、ユウは飢餓感と昼下がりの光に誘われてようやく布団の外に出た。


 カーテンの隙間からそっと外の覗く。

 別に何か理由があったわけではない。

 だがなんとなくそうしないといけない気がした。

 裏庭にあるベンチで陽を受けて輝く、長い綺麗なピンクの髪。


「ステラ……」


 思わず、想いを寄せる少女の名前を呟いた。

 しかしその声は窓に阻まれて彼女まで届くことはない。

 そう、ユウと同じ顔をした男と肩を寄せ合い、幸せそうな表情で座っている彼女には。


 ……ユウと同じ顔?


 違う、同じなのはユウの方だ。


 彼は遠武優、即ち紛れもないオリジナル、本物。

 自分はユウ=トオタケ、優の劣化版コピー、偽物。


 意中の少女と相思相愛となり、身も心も結ばれた優。

 叶わぬ恋と共に影から視線を送ることしか出来ないユウ。

 

 それが現実だ。


 異世界から転移し、勇者の加護によって地位も力も得た優。

 勇者の加護など無く、自分を異世界から転移してきた遠武優だと思い込んでいたユウ。

 

 それが真実だ。


 勇者でも異世界人でもなく、ステラの恋人でもなんでもない、神の力で生まれた副産物。

 借り物の顔、借り物の名前、借り物の記憶、そして借り物の好意。

 十七歳の肉体と記憶を与えられ、自分は十七歳だと思い込まされた零歳児。


 ……何もない。


 現実を再確認したユウは再び体を震わせながらベッドに腰掛けると、自分の魔法袋に手を突っ込んだ。

 腰に下げられるサイズの袋の中の空間は魔法によって広くなっている。

 そこから保存食の干し肉を取り出すと、貪るようにして齧りついた。

 優とステラの初夜からどれだけの時間が経ったのかはわからないが、きっと二人はあれ以降、一緒に楽しく食事の時間を過ごしたに違いない。


 ステラは貴族の令嬢、異世界勇者である優もまたそれに相当する身分だ。

 この屋敷の主であるレッドノート家とて彼らを無碍に扱うことはしないだろう。

 こんな粗末な物ではなく、きっと高貴な身分に相応しい食事だったはずだ。

 レッドノート家で召使いとして雇ってもらっている自分とは、根本的に違う。


 そこまで考えた時、ユウ本人の意思とは無関係に、涙が頬を流れ落ちた。


 ――ここに自分の居場所はない。


 純然たる事実。

 認めざるを得ない現実。

 まるで自分がこの世界に存在してはいけないのだと言われているようにも思える。


 人の意思などお構いなしに流れていく時間。

 そして日が沈み人々が再び寝静まった頃、ユウは誰にも見つからないようにひっそりと街を出た。

 腰の剣だけが月光を受けて銀色に輝く。 


 ユウは一度だけ屋敷の方向を振り返った。

 あの二人はきっと今晩も互いに愛し合っているのだろう。

 愛を語り、共に同じ快楽へと身を委ねる。

 自分がその間に割って入ることなど、始めから無理な話だったのかもしれない。

 

 いや、あるいはもしかしたら……。

 ふと、ユウの中にある考えがよぎった。


 ――本物を殺せば、可能性はあったのだろうか?


 背後で誰かが嗤う。


『間違いなくあっただろうな。』


 白でも黒でもない、灰色の可能性。

 それは一瞬だけ輪郭を現し、そしてすぐに消えていった。

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