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下校時刻までの間に何処かに行ってしまっていたら縁が無い、ということは裏を返せば下校時刻まで彼がそこに居たのなら縁があるということになるのではないだろうか。そんなことを公園のベンチを眺めながら考える。
つまるところ、彼は公園に居たのである。
朝に私が見た時と同じベンチで大して体勢も変えずに、朝と変わらない様子でどことなく面倒くさそうにキセルを吹かしていた。禁煙の風潮が強くなるこのご時世においてそんなに面倒くさそうな顔をするぐらいならば吸わなければいいのにと思うのは私がまだ喫煙出来る年齢に達していないからなのだろうか。
兎にも角にも話しかけないことには始まらないし終わらない。コンビニプリンは既に二つ買ってしまったのだし、帰って神様に渡してツナマヨの方が良かったと言われながら食われるよりも他の人に食べてもらった方が良いに決まっている。
「こんにちは」
ベンチの側までやってきて声を掛ける。ちなみに彼はよほどキセルを吹かすことに夢中なのか私が声を掛けるまでこちらを見ることすらしなかった。
そうして声を掛けてから彼は何故か大層不機嫌そうに眉を寄せてこちらを睨みつけた。まだ何もしていないのに睨まれたことに少々怯み、一歩後ろへと後ずさる。声を掛けられるのが苦手な人だったのだろうか。家に居る神様の性格がアレだったので他の神様もそうなのだろうと高を括っていたのだが、どうやら基準にする人物を間違えてしまったらしい。
「よければプリン食べませんか?」
焦った私はとりあえず物で釣っておこうとプリンの入ったコンビニ袋を前に出す。相手が神様だという前提でやっているが、これを初対面の人間相手にやったら完全な不審者である。そうしている間にも目の前の彼は苛立ちが増した様子で大きく息を吐き出した。
「君、この状況を見てよくそんなことが言えるね」
そう言って青年は忌々しそうに正面を見る。視線の先には公園の遊具が点在するばかりである。
どの状況だと今の発言が不適切に当たるのだろうか。いやまあ、いきなりプリン食べませんかって聞くのは大体どの状況においても不適切なのかもしれないけれども。でも彼の態度を見るにプリン云々の前の話をしている気がする。嫌そうな顔をするに足る理由、公園の遊具になにか嫌な思い出があるとか、そんなところだろう。視界に入れるのも嫌なら他のベンチに座ればいいのに。
「あっちのベンチ、空いてますよ?」
私はそういって別のベンチを指差した。あのベンチならば真正面に噴水があるので今いるベンチよりは遊具が気にならないはずだ。
私なりに気を利かせた発言だったのだが、青年は頭痛でも堪えるように眉間を押さえて再度溜息を吐き出した。
「面と向かって聞くことじゃないけど、君は言葉が不自由だったりするのかい?」
「え、なんでそうなるんですか?」
「そうであったなら今感じている不条理を見なかったことにしようと思っただけで、他意は無いよ」
その発言に他意しか感じない。どうやら彼は完全に私がおかしな奴だと決めつけているようだ。大変遺憾である。そうでなくとも第三者から見た今の私は誰もいない空間に話しかけプリンを差し出しているヤバい奴なのに。私だってこんな人気のない公園でなかったらたとえ頭から角が生えていようと話しかけなかったことだろう。
キセルをくわえて息を吸い込み、ふうっと口から息を吐き出す。そうして青年の口から吐き出された息には煙が伴っておらず別に煙草を吸っているわけではないのだと気づいた。何故そんな紛らわしいことをしているのだろう。エアー煙草にしては所作が堂に入っている。手元に着火するものがなかったとか?ならプリンよりもライターの方が喜ばれたのだろうか。
「それで、君は何の用?君がこの罠を仕掛けたって訳でも無さそうだけど」
「罠?」
前触れなく出てきた罠という単語につい聞き返す。罠を仕掛けた、ということはこの青年は罠に掛かっているということなのだろうか。
改めて青年の姿をまじまじと見る。そうして気付いたことと言えば和服の襟元から詰襟が覗いていること、つまり彼の服装は和服というよりは大正時代の書生と呼ばれるような服装であること。そんなところに気が付く程度には彼の身体に罠に掛かっていると思われるところが無い。罠という言葉を使った何かの比喩表現なのだろうか。それともアレか、振り込め詐欺的な。詐欺も罠といえば罠のようなものだ、今まさに受け渡しを待っている最中なのだろうか。いやでもだとしたら罠だと分かっているのは不自然だし朝からすっとここに居るのは変な話だ。
「へえ」
青年の言葉の意味を考察している間に彼が私の目をのぞき込んでくる。青年は外国人に稀にみるような淡い青ではなく宝石でもはめ込んだような深く鮮やかな青い目をしていた。彼の角と同じ色である。そしてその綺麗な目を意味深に細めては何かを納得した様子で再びキセルを口元に持っていく。
「話がかみ合わないと思ったら、その目のせいか。道理で」
先程までの刺々しい雰囲気が幾らか和らいだ口調で青年が呟いた。だがその少ない情報量でなるほどとすべてを察することが出来るほど私の頭は出来が良くない。
「目?」
「正確に言うと目というより認識かな、書き換えられた跡がある。君、本来は鬼を見ることはなかったんだろう?」
青年がキセルの先を私の鼻先にに突きつける、多分私の目を指したのだろう。
そして思い出される、一週間前神様が言っていた言葉。
『儂が目を弄らねば姿を見ることも適わぬ力無き矮小な人の子では力の大小など感じ取れるはずも無いからな』
あの神様の仕業だ。
と、言うよりまず、待って欲しい。
「鬼?」
「そう、鬼。頭にこんな分かり易いものを付けているんだから疑う必要は無いと思うけど」
青年はそういうとキセルで一度自分の角を軽く叩く。確かに私が子供のころから鬼には角があるのが通説であるしその見た目にケチをつけるべきところはほとんど無い。鬼だと言われたら納得できてしまう。いや、でも待って欲しい。それはおかしい。
「神様じゃ、ないんですか?」
「神?まさか。僕は生まれてこの方鬼だった自分しか知らないよ」
鼻で笑う青年にいよいよ言葉が続かなくなった。確かにあの神様にも角があった。けれどもあの堂々とした態度と神々しい風貌に疑うことをまるでしていなかったことに今更ながらに気付く。そんな私の様子に気付いた青年がどこか呆れた様子でキセルを口元に運び煙の代わりに溜息を吐き出した。
「ひょっとして書き換えた奴がそう言っていたのかい?随分と不遜な奴なんだね」
それに関しては反論の余地が無い。