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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
3/110

3

 女性は和装に良く合う扇子を片手に唇をにいっと上げて笑った。

 美しかった。見つめられると呼吸を忘れてしまいそうなほど凄絶に美しかった。神様とはまさに今目の前に居る女性のような人の事を言うのだろう。神様はゆっくりと優美な動作でこちらへを歩き出す。何故神様が目の前に現れたのか。何故か、なんて問うまでも無いじゃないか。だって今、神様の目の前には、たかが十円程度で宿を借りようとした不届き者が居るのだ。私に天罰を下しに来たに違いない。


「斯様なところにわざわざ来たのだ、どうせ暇なのであろう」


 逃げなければ。私は手を掛けていた引き戸を勢いよく開けようとした。だが引き戸はびくともしない。入るときはあんなに、新築さながらに抵抗無く開いた引き戸は今は全く動かなくなっている。力いっぱい必死に開けようとしているのに扉の境目はぴっちり閉じたままである。


「儂もながらく暇をしていてな」

「いや、出して!開いて!開いて開いて開いて!!」


 指を掛けた取っ手に全体重を掛けるようにして開けようとするが引き戸はガタガタ言うことすらも無い。まるでまっ平な壁に取っ手だけ付いているようだ。或いはこういった柄の壁。私だって自分がここから入って来たのでなければそう思ったことだろう。x


「なに、慌てんでも出してやる。少しばかり話をだな」

「誰か!誰か居ませんか?!お願い助けて!」

「話を聞けと言うに」


 開けることを諦めてドンドンと引き戸を叩きながら大声を上げる。けれどもそれに答える声は聞こえない。当たり前だ、人が居ないからこの場所を選んだのだから。でも運が良ければ近隣住民が聞きつけてくれるかもしれない。今の私はそんな一縷の望みに縋る他ない。


「まったく、致し方あるまい」


 呆れた声で呟くと女性は静かに立ち上がる。そして私の心理状態なんてお構いなしに近付いてくるものだから、思わず喉から引きつったような声が漏れた。


「こここっ、来ないで!ごめんなさいごめんなさい、殺さないで下さい!!」

「誰が殺すか、痴れ者が。少しは話を聞け」


 頬にぺしっと軽く掌が当てられる。戦慄と共に腹の底の方から絶叫が込み上げてくる。


「あ、れ?」


 が、寸でのところでそれを飲み込んだ。違う。飲み込んだと言うよりはどうして良いか分からなくなってしまった。何故だか分からないけれど、叫びだしたいほどあった感情が、今程競り上がって来た恐怖が、感情のやり場が無いのとは逆で、行き場あるのに感情が丸ごとどこかに行ってしまったかのようである。


「……なに?」


 何が起こったのか、という意味で呟いた言葉だった。しかし目の前の人物は違う捉え方をしたらしく、その美しい顔に相応しい笑みをにたりと張り付けて着物の袂を翻す。


「何、か。…ふっ、人の子とは面白いことを尋ねるものだな」


 パチンと小気味の良い音を立てて女性が手に持っていた扇子を畳んだ。


「儂は汝等人間が神と呼ぶ、そういう存在である」


 作り物のように整った顔に笑みを浮かべながらそう宣う。言われた言葉が理解できず、理解できても納得が出来なくて言葉を失った。


「…は?神?」


 やっと出した言葉は最も短く且つオブラートに包んで私の疑問を纏めていた。要するに何言ってるんだコイツ、である。


「左様。まあ、神と言ってもつい今し方まで忌々しい小娘に封じられていたのだがな」


 はあ、と力なく答えながらどうしたものかと頭を悩ませる。目の前の人物は私を害するつもりは無さそうだが、何やら厄介ごとに足を突っ込んでしまった感じが否めない。

 人間、ではないのだろう。先程火が点いたのはドッキリや手品の可能性もあるが、私がここに来たのは完全に偶然だ。親に叱られていなければ私はいつも通りにネトゲに勤しんでいたことだろう。そうでなくともこんな人気の無いところに仕掛ける意味は低いと思う。ゲームのようにそういうことが出来る人間なんて可能性もあるが、当人が神だと宣っているし、人間離れした美貌を目の前の人物は持っている。

 仮に神や悪霊の類であるならば関わりたくはないし、人間であったとしても神を自称するような変人とは関わりたくない。私としては一晩何事も無く過ごせれば良いだけなのだから、穏便に交渉して宿を借り、夜明けとともにおさらばしたい。


「何はともあれ人の子よ、感謝するぞ。その術は内からはどうにも出来なんだ」


 そう言って扇子の先でお札の入ったポケットを示され思わずポケットの上からお札を押さえた。私はここに入ってから一度もお札を出していない、どころか私自身ポケットに突っ込んだことを忘れかけていた。なのに何故ここにお札があると分かったんだ。ひょっとしてヤバい奴の封印的なものを解いてしまったんではないだろうか。


「あの」

「何だ?」

「何で封じられていたんですか?」


 この返答次第ではここを出た瞬間にコイツを世に放つより早くお札を貼り直さなくてはならない。私が貼って効果があるかは分からないがやらないよりはましだろう。

 女性は扇子を少しだけ開き口元を隠す。そして決まりが悪そうに目を逸らしながらぽつりと呟いた。


「あの時は少しばかり虫の居所が悪くてな」

「はい?」

「そんな時に執拗に己に仕えよと言うてくる小娘が来るものだ。煩わしくて適当に断ったら癪に障ったらしく、世を乱す者を野放しには出来ないなどと言い出し斯様な場所に儂を押し込めおったのだ」


 世を乱す。

 目の前で愚痴る姿を見る分には、コイツにそんな力があるようには見えないが。


「また遣り口が卑劣でな。酒を飲ませ油断させたところで気取られぬように封印を施しよって」


 女性は卑劣と言っているが、古典やおとぎ話で聞く妖怪退治では酒に酔わせてそのまま殺すみたいな話もある。力で勝てっこないのなら知恵を使うのは当然だ。寧ろ殺されないだけ良心的な措置だと思う。

 と言うか、その法則に則るとこの自称神様は妖怪の類と言うことになるのではなかろうか。


「あの、神様。一個聞いても良いですか?」

「何だ?申してみよ」

「神様はその…神様、なんですよね?」


 すると女性は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした後、拗ねた様子で口をへの字にした。


「儂の力を疑うか。まあ、致し方あるまい。儂が目を弄らねば姿を見ることも適わぬ力無き矮小な人の子では力の大小など感じ取れるはずも無いからな」


 なんかすごく馬鹿にされた感じがする。と言うか、待て。


「目を弄った?」

「汝、初め儂の姿を見えて居らんかっただろう。儂としてはそのまま外に出ても構わなかったが、封を解いた人間に挨拶もせずに出ていくのは道理が通らぬ。故に見えるようにしてやったのだ。儂が編み出した術故に儂以外にこの術を使える者は居らぬ。汝は運が良いぞ」


 何ということをしてくれたのでしょう。ぶっちゃけ余計なお世話だ。黙って出て行ってくれたほうが有り難かった。


「人間相手とは言え恩は恩。恩は返すが道理。人の子よ、望みを言え。一つ叶えて進ぜよう」


 偉そうに微笑みながら、実際に偉いのであろう神様はそう言った。神様に対して恩を売った記憶など無いがこの申し出は今の私としては大変都合が良い。


「じゃあ、一晩この神社に泊めて下さい」

「如何なる無理難題であろうと儂の力を以てすれば叶わぬ望みなど……何?」


 神様は続けていた言葉を一度区切り得意げな笑みを消して眉根を寄せた。

 思わず息を飲む。何かしくじっただろうか。調子に乗り過ぎたか?あれか、こっちが話している最中に口を挟むなみたいな感じだろうか。


「だ、駄目ですか?」

「駄目ではないが、折角儂が叶えると言うておるのだぞ?城なり屋敷なりを持つこととて不可能ではないのだ。であるのに何故斯様に粗末な社を望む?」

「もともとここで一晩明かそうと思ってお札を剥いだだけなんで。泊まる許可を頂ければ私はそれで充分です」


 城とか。時代錯誤にも程があるだろう。維持費だけで馬鹿にならない。そんなもの貰っても正直困る。

 あ。でも十万円くらいなら欲しいかもしれない。あまり大金になると扱いに困るが、それくらいならばゲームに課金したり今後こういった状況になったときに迷わずビジネスホテルに泊まる資金になる。大それた額でもないので親にもバレにくい。


「なんと無欲な。遠慮をして要らぬと申す者は何人か居たが汝の様に望まぬ者は初めて見た。あの我欲の強い小娘とは天と地ほどの差がある」


 神様は感心した風に何度も頷きながら扇子を扇ぐ。やっぱり十万円下さい、なんて言い出せる雰囲気ではない。


「良い、許す。出れるように成ったからには此処に長居するつもりは無い。汝の好きに使え」

「あ、ありがとうございます」


惜しいことをした気持ちはあるものの、結果としては悪くない。少なくともここで一晩明かしたところで祟られる心配は無くなった。たとえ土地税を払っているのが別人でもちゃんとここの持ち主に許可を取ったのだから完璧に合法である。私は悪くない。

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