21-2
「久しぶりですよね、この店」
「そうだな、出会ったばっかりのときはよく待ち合わせて使ってたけど、アクルがエストレージャに入ってからは、ラ・ムシカに行くようになっちゃったもんな」
「懐かしいです、俺、レイカさんと出会った日のこと、今でも覚えてますよ」
「私もだよ。生意気でつんけんした奴だなあって思った」
恥ずかしい、とアクルは笑って、外の夜景に目をやった。いい席が取れてよかった。雰囲気のある音楽も心地いい。出会ったばかりのころはカウンターで並んで飲むことしかなかったが、今日は綺麗な夜景が望める席で向き合っている。
アクルはカジュアルなスーツ、レイカはシンプルなドレスをきていた。深い赤色を基調としたドレスは、麗華によく似合っていた。
「髪型はサキ様とおそろいなんでしたっけ?」
「うん、ギャンにしてもらった」
「ギャンさんそんなこともできるんですか……」
「すごいよね」
ここ、星の飾りがついてるんだよ、とレイカが結び目の近くを指差した。アクルが身を乗り出す。華の飾りに紛れて、きらりとひかる星が一つついていた。
「ほんとだ、よく似合ってます」
「ありがと」
「今日のレイカさんはいつもと違って、綺麗です。まぁいつも綺麗ですけど、別の綺麗さっていうか、なんだろ、うまくいえないけど」
アクルがにこりと笑うと、レイカはすぐに頬を染めた。その反応に、アクルも照れてしまう。
「な、なんで照れるんですか」
「いや、ごめん、まだ慣れない」
「いい加減慣れてください……四カ月ですよ」
「いいじゃねぇか、喜んでるんだから……」
「今でも、キスしただけで耳真っ赤になりますもんねーほんと可愛い」
「うるさいうるさい! それより飲み物……」
レイカが慌ててメニューを取ろうと手を伸ばしたそのとき、
「お客様、お飲み物をお持ちいたしました」
と、店員がカクテルをレイカの目の前においた。どうも、とアクルが言うと、店員は小さく頭を下げ、その場を去る。
レイカは、目の前に置かれたカクテルを見て、目を丸くさせた。
透き通るような、紫色のカクテル。
「覚えてますか?」
「……ブルームーン、一番有名な意味は……」
レイカは顔をあげ、にやりと笑う。
「出来ない相談。アクルが一番最初に、私にくれたカクテルだ」
「覚えててくれた」
「微笑んでる場合じゃないだろ、どういうことだ?」
アクルもにやりと笑い返す。
「ブルームーンには違う意味もあって、幸せな瞬間って意味もあるんです。今日は、そっちで」
アクルの言葉に、わっとレイカは目を輝かせた。素敵だ、とこぼす。
「アクルのくせに、そんなことまで知ってたのかよ」
「いえ、あの後調べました。実は、あのときもブルームーンの意味を知りたてで、使ってみたかっただけだったり」
「なるほど、さては誰か別の女性に貰ったな……?」
「う。ばれましたか」
はは、と笑い、レイカはもう一度ブルームーンを見た。紫色の水面に、きらきらと店の照明が反射して美しい。
「このブルームーンは、パルフェタムールっていうリキュールを使って作ってもらいました。パルフェタムールを使ったブルームーンじゃないと、幸せな瞬間って意味にはならないんだそうで、カクテルも奥が深いです」
「へぇ、おもしろいな」
「でしょ? さらにね、レイカさん、パルフェタムールは……」
「………………」
「………………」
「……うん、パルフェタムールがどうした」
「……いや」
アクルは口を手で隠し、顔をそむけた。ん? とレイカが覗きこむと、アクルの頬が赤くなってるのが分かる。
「なぜ照れている」
「……今になってむっちゃ恥ずかしくなってきた」
「どういうことだよ?」
アクルはレイカから目をそらしながら、小さな声で呟いた。
「パルフェタムールは、完全な愛って意味があるんですよって……」
アクルの言葉に、レイカは小さくふきだす。どうせ笑うなら堂々と笑ってくださいよ! とアクルが両手で顔を覆った。それを合図に、レイカが声をあげて笑いだす。
「言う前に照れるなよ!」
「こっぱずかしい……とりあえず、ここの店に来て、このお酒をプレゼントしたいって思ってたんです」
「ありがと、嬉しい」
レイカがそっとアクルの手を握る。アクルはどういたしまして、と頷くと、レイカの手を取ってそっと手の甲にキスをした。
「なんだよ急に」
レイカが笑うが、アクルは答えず、レイカの手をひきよせ、今度は手の平にキスをする。灰色の目が光り、レイカをまっすぐと見つめる。レイカの笑みが消える。
「な、なんだよ」
「久しぶりに二人きりになれたなぁと思って」
離しなさい、とレイカが手を振りほどくと、もう、と困ったように笑った。
「アクルは意外と甘えるよね」
「甘えられるの好きでしょう」
アクルの返事に、レイカは目を泳がせ、とにかく! と話をそらした。
「ありがとね、素敵なカクテル」
「どういたしまして。あ、強いですから、飲めなければ俺が飲みます」
「うん、半分ぐらい頼むかも」
いただくね、とレイカはブルームーンを少しだけ口に含んだ。ほのかに、スミレの香りが広がる。
「独特だよね……美味しい、凄く好き」
「よかった」
「ありがと、アクル。こんな素敵な席を取ってくれて、素敵なプレゼントもくれて」
「喜んでもらえてよかったです。じゃ、俺も何か頼もうかな――」
ピピ、と会話を遮るようにして、電子音がした。二人はん、と顔をあげる。その後、レイカがほんとにごめん、と表情を歪めた。バッグに手を伸ばし、携帯を取り出す。
「いえ、大丈夫ですけど――どうしました? 緊急の電話ですか?」
アクルは不安そうにレイカを見つめた。今日は二人で出掛けていることは、屋敷の全員が知っている。それでも電話をかけてくると言うことは、よほどの用事があるということだ。
レイカは画面を見て、うーんと唸る。
「ルークだ、出てみるよ……もしもし?」
それから、しばらくレイカはうん、うんと相槌をうつだけだったが、三度目の相槌の後、しばらく考え込み、そして
「あぁ!」
と大きな声を出した。その後、嬉しそうにほんとかよ! と笑顔を浮かべる。
「うん、うん! そうそう、俺が渡したんだよ、うわ、懐かしいな。そうだね、待っててもらって――うん。分かんない、もしよかったら泊めてあげて、お願いしてもいい? うん、頼んだよ。うん、相談して、すぐに折り返す、連絡ありがとう」
通話を切り、ぱっと顔を挙げたレイカはとても嬉しそうな表情を浮かべていた。
「アクル、ひったくり事件のこと、覚えてる?」
「ひったくり事件?」
「ほら、ニールにあう直前に起きたさ」
あぁ、とアクルは頷く。アクルの肩に乗り、レイカが遠くに逃げるひったくり犯を発砲し止めた、あの事件だ。
「懐かしいですね」
「そのときに捕まえた青年いたでしょ、ぼうず頭の。そいつがさ、今屋敷に来たんだって!」
「え? ってことは……」
「そう! あのときの金、返しに来たんだよ! 今屋敷にいるんだって!」
「まじすか! じゃぁすぐに帰りましょ!」
言って、アクルは立ち上がった。そんなアクルの様子を見て、レイカはきょとんとする。
「……ん? どうしたんですか、行かないんですか?」
「……いや」
「せっかくのデートなのに、とか、考えなくていいですよ。会いに行きたいでしょ? ここにはまた、来れますよ。この席、予約そんなに難しくないですし」
あぁ、とレイカは噛みしめる。こいつのこういうところが好きなんだ――しかし、口にはしない。言うと絶対、赤らんでしまう。
「――今度は、私が予約する!」
「そのとき、好きなカクテルでも出してください。あ、俺も一口、ブルームーン」
アクルはカクテルグラスに手を伸ばし、一口飲むといい味、と笑った。
「さ、ボス」
アクルが手を差し伸べる。
レイカがその手をとる。
「帰りましょう」
アクルの言葉に、レイカは満面の笑みでこたえた。
「うん、帰ろう」
End.