20-2
ローシュは、サキの黒い目をまじまじと覗きこんだ。珍しい色だな、と思う。茶色がかった黒はよく見るが、ここまで澄んだ黒色も珍しい。
サキの表情は無かった。無表情のまま、ローシュの様子をうかがっていた。サキの後ろにいるラインも、同じようにローシュの出方を伺っている。ディーディーだけが、そわそわと落ち着きなく、この硬直した状態がはやくどうにかならないかと待っているようだった。
サキはしばらく動かなかったが、やがてローシュからの反応は何もないと踏むと、部屋の中に静かに入り、椅子を自ら運び、ローシュの目の前に座った。ローシュは地べたに座っていたため、サキが座ってもローシュを見下ろす形は変わらない。
「うちのレイカが、世話になったようね」
「あんたが爆弾ってのは、どういうことだ?」
「そういうことよ、あなたが知らない、エストレージャの秘め事」
サキの返答に、ローシュはうっすらと目を細めた。小さく首をかしげる。それに合わせるように、サキもゆっくりと首をかしげた。
「分からないようね。あなたは、エストレージャが爆弾を抱えていると聞いて、それを武器にレイカをさらった。でもね、あなたはニールの言葉をそのまま受け取ってしまった。エストレージャは爆弾を隠してるんじゃなくて、ばれると爆弾になるようなものを隠してたの。意味、分かるかしら?」
挑発するような口調に、それでもローシュはのらず、あくまで飄々と言葉を返した。
「つまり君の存在が公になると、エストレージャが困るってこと? ニールはそれを、俺に隠したんだね」
そこまで言って、ははあなるほど、とローシュは満足そうにほほ笑んだ。
「俺が爆弾と言えば、エストレージャはそれを比喩的表現だと受け取る……ってことか。あのガキ、頭いいな。それとも偶然かな?」
「偶然じゃないわ。ニールは頭がいいのよ。そして、あなたもね」
「どうも」
「私もよ」
さらりと放たれた言葉に、思わずニールの表情はこわばった。その顔を見て、サキが静かに目を細める。
「サークルスターって、ご存知?」
唐突な質問に、ローシュは一瞬黙るも、すぐに小さく頷く。そう、とサキは無機質な声で言うと「それは私の会社なの」と続けた。
「はぁ? 嘘つけよ」
ローシュは言って、大声で笑った。そんな彼の様子を見て、サキはただ、楽しそうね、と呟くだけだった。
「嘘つけよ!」
ローシュは続ける。目は大きく見開かれ、声は急にボリュームを増す――-一目で、動揺しているのが分かった。
「嘘じゃないわよ、残念ながらね」
サキの冷静な対応に、ローシュは黙って目を右往左往させた。何かを数秒考えた後――表情を崩す。へらりと、笑う。
「は、なるほど、分かった。だから金があったのか」
「なんのことかしら」
「さっきね、俺は今回俺がどんな作戦にはまったかを考えた。そこでまずひっかかったのが、金の出所なんだよ。どっからディーディーを買い取れる莫大な資金が出たんだって。今納得がいった、会社の社長が後ろについていたとはね――あとは」
ローシュがいびつな微笑みを浮かべる。
「それが本当なのかなってことだ。俺はこれでも、各界のことについては詳しく知ってるんだよ」
「そこが取引先になるものね」
「そうだ、サークルスターの社長の名前も、風貌も知ってる――」
「証拠として、彼に電話でもしましょうか? 私の部下よ、すぐにでも電話に出ることができるわ。それともここに来させましょうか」
サキの冷静な態度に、ローシュは言葉に詰まった。ぐ、と喉の奥で音がする。その隙を縫うように、ぴしゃりとサキは言った。
「私がこんな嘘をつくメリットは無いって、分かっているでしょう。悪あがきはよして、話を聞きなさい」
「はは、まじかよ」
ち、とローシュは舌打ちをすると、顎を引き、黙ってしまった。サキは睨みつけられながらも、怖くは無い、という風に、平然と彼を見下ろしている。
「私は今まで、正体を隠し続けてきた。ひとつは私が若すぎたせい――これはね、私が十八になったときに公表しようと思っていたのよ。それまでは、会社の上部の人しか知らないようにしてね。若すぎる社長にいいところなんて無いから。でも、私はもうすぐ二十歳。隠さなければならない理由がもう一つあったの」
サキは細い指で髪を耳にかけると、少し前かがみになった。
「重い、しかも未知の病気にかかっていた。表情がなくなる病気よ。十になってすぐにかかったわ。社長が病気持ち、じゃ混乱するでしょう。同情が集まって、それが目的だと騒がれバッシングを受けるかもしれない、会社の弱みになって、付け込まれる可能性だってあるわ――いろいろ考えた結果、この病気が治るまで、私のことは絶対的な秘密だったの。私がそう、望んだのよ」
「……それで?」
ローシュは、低い声で、端的な質問をした。サキはふう、と一息つくと、先ほどとは逆の耳に、髪をゆっくりとかけた。
「長くなってごめんなさいね。もう少しで終わるわ。ここまでの話で、あなたに私の存在を公にされたら、会社自体が困るってこと、理解してもらえたかしら」
「あぁ、だから何、交換条件? 治療費のための金でも渡そうか?」
「いいえ」
と、そこでサキはわざとらしく――にっこりとほほ笑んだ。
「礼を言おうと思って。ありがとう、あなたがレイカをさらってくれたおかげで、私の病気は完治。今すぐにでも、私の存在を公にできるわ」
その美しい微笑みに、しかしローシュは眉をひそめた。
「だから、つまり何なんだよ」
「契約を結びましょう」
言って、サキはすっと肩の上に手を出した。ラインが静かに礼をし、その手に紙とペンを置く。
「あなたは、ここで得たエストレージャの情報を一切口外しない、加えて二度と、エストレージャおよびサークルスター、つまりは私近辺に関わらないと契約してほしいの。できればどこか遠くの国で、暮らしてちょうだい。私の知らないところでなら、どうぞ、好き勝手に生きてちょうだい。エストレージャと無関係の人に戻ってほしいのよ。
もし次、またあなたが私たちに手を少しでもだしたら、私は全力であなたを捕まえる。私の住んでいた住宅に忍び込み、社員を恐喝したあげく誘拐した、その罪を元にね――こりないやつがまた、私に関わってきた、と警察でもなんにでも伝えるわ。もちろん、あなたが今までしてきた悪事を洗いざらい調査したうえでね」
「……社員、と言ったな」
ローシュの、呟くような反応に、ええ、とサキは微笑んだ。
「エストレージャは、会社なのか?」
ローシュが眉をあげる。表情は無い。挑発でも、嘘でもなく、本心で聞いているのだろう、とサキはローシュの目を見て思った。
会社、か。
私はレイカに、会社を作りたいと言った覚えは無いな――と、そんなことを考えながら、ふ、と静かに笑う。
「さぁ、あなたが知る必要は、無いわね」
ローシュが少し身を乗り出したので、サキはそれを手で制した。エストレージャが会社か否かなんて、今する話でもない。
「契約するの? しないの?」
ずばりと訊ねると、ローシュはう、と身体を引き、その後ふふ、と静かに笑った。全てを悟ったような笑みだった。
「お前は、俺よりずっと、金も権力もあるってことか」
「社会的信用もね」
「………………」
ローシュはサキから視線を外し、宙を見ながら考え始めた。数秒、じっと動かずに思考する。そして、ふう、とため息をついた。
「合法で来られると、面倒なんだよね、面白そうなことは面白そうだけど――面倒が勝っちゃって、どうも」
顔をあげ、あー、と叫ぶ。そんなローシュの様子を、三人は黙って見ていた。
「分かった、俺の負け。その契約書にサインを書いて、俺はとっととどこかの国におさらばするよ」
言ったローシュの笑顔は引きつっており、だれがどう見ても分かる表情だった――その笑みは、嘘にまみれていた。笑みの奥に、悔しさと、苛立ちが見えている。サキはその歪んだ笑顔に対し、作り笑顔を浮かべて返した。
「良かったわ、契約完了、私の役目もここで終わり。あとは今日の夕方、レイカがあなたに話をして、あなたをどこかに連れていくみたいよ。それまではゆっくり縛られてて頂戴。あ、契約するときにサインはしてもらうけど、そのときに暴れたら問答無用で警察に突き出すわよ」
「……どこかにつれていく?」
「それは私が知らなくてもいいこと」
サキは立ち上がり、さよなら、と微笑んだ。ローシュは何も言わず、黙ってサキが出て行くのを見送った。