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「おはよう」
ローシュが目を覚ますと、目の前に座っていた金目の男がにこりと微笑んだ。ローシュは寝起きの頭で、確かこいつはエストレージャの副ボス、ラインだったか……と考える。
頭部と顎がいたんだが、それ以外に大きな痛みを感じる箇所は無い。自分はどこかの部屋の床に座らされ、手足を拘束されている。見張りがついて、逃げ道は無い、とローシュはあくまで静かに、冷静に、分析を始めた。
あたりをじろりと見わたす。黒い部屋だ。自分がエストレージャに潜入してから、しばらくの間いた部屋に似ている。十中八九、ここはエストレージャの屋敷内だろう。全体が黒だなんて、随分と趣味の悪い屋敷だ。
ラインの隣に、ディーディーも座っていた。ローシュを見つめるその視線は、なぜだか少し同情的だ。ローシュはディーディーを睨みつけるもせず、ただ一瞥すると、視線を天井に浮かせた。明かりが随分と暗い。どうせなら、暗い屋敷に真っ白な明かりをともせばいいのに、と、そんなことを考えた。
「リイビーノに連絡するかい? 君がいなくなって随分混乱していると思うけど」
ラインが微笑みを崩さずに言った。いい、とローシュは首を振る。
「俺がいなくなった場合ぐらい、想定してある。俺には優秀な部下がいるんでね、おそらく基地は、もうもぬけの殻だよ」
「優秀だね」
「そちらこそ」
「どうも。腹はへってる?」
「俺をどうする?」
ラインは立ち上がり、さぁ、と首をかしげた。
「ボスはボス同士、話してもらいましょ――って、これはデジャヴだな。少し前にこんなことを言った気がする――しかし、組み合わせは間違っていないね。レイカとウラウ、そうして君と、うちのボスだ。そういえば、ウラウ君を俺は探し出すことができなったけど、彼は元気してるの? それだけ、気になるね」
ラインの言葉の大半を、ローシュは理解することできなかった。ボスはボス同士? 組み合わせ? 訳が分からなかったが、聞かなくてももうすぐ分かることだと割り切り、ラインからの最後の質問にだけ答えた。
「彼は、いちからやり直させてたよ。ここから少し離れた場所にあるリッツでね」
「そう。元気してるならいいや。ところで、さっき俺が言ってたこと、分からなかったろ?」
ラインはローシュの様子を見て、嬉しそうに笑う。ローシュはラインから目をそらした。こいつとこれ以上、会話する意味は無い。
「爆弾との対面だよ」
ラインは、ローシュの反応のなさに特に不満は無いようで、さらに比喩的な言葉を残し、満足そうに小さく頷いた。
ラインはその後、部屋から出ていった。出る直前に、すぐ帰ってくるからね、とディーディーに言い残す。扉が閉じた直後、ねぇ、とローシュはディーディーに声をかけた。
「あの金よりさらにつまれたわけ?」
「……そうだな」
「よかったね」
へら、とわらうその顔は、普段話をするときとまったく変わっておらず、ディーディーははっきりと恐怖した。
こいつ、今自分がどういう状況か分かっているのか。
「エストレージャに入ったの?」
「――お前に言う必要は無い」
「あらどーも。どうしよ、俺もエストレージャに誘われたりしてね」
はは、とローシュは笑い、その後すっと目を細めた。
「こちらから願い下げだし、そんなこと一ミリも望んじゃいないけどさ」
「…………………」
「それにしても、やられたよね。俺はさ、エストレージャが俺たちに気がつかれないでこそこそ動いてるつもりなんだと思ってたんだよ。でも実際には、気がつかれていることを前提にして動いてたんだ。黒色で染まったスパイの女の子をこっちによこしたときも、近くの部屋をスナイパー室として買収することもね――君が買収されたのは予想外と言うより想定外だけどさ。金持ちなんだね、エストレージャ。誰が稼いでいるのかな?」
ディーディーは答えないが、ローシュはそれでも、にこにことローシュに話しかける。
「突入も、こっちは予想できていたし、対処もできた――エストレージャは俺たちが想定していないから突っ込んできて、反撃にあったから急きょ撤収、だと思ってたんだよ。でもそれも違った。そう思わせることがまるっと作戦の内で――はなからアクル君が、ひとりで乗り込む気満々だったんだ。だからこそ一人、隔離されたような場所にいた。
俺が言った約束も覚えてたんだよ……俺ね、レイカをさらったときに言ったんだ、ついてきたらレイカの前でぼこぼこにしてやるとかなんとか……脅しで。でも、それすらも逆手に取った。アクル君だけ捕まったら、絶対にボスの前でぼこぼこにされる、見せしめのためにね。レイカへのダメージも大きいし。それを彼自身も分かってたんだ。
ディーディー、彼はね、腹と時計に仕込んでたんだ。腹には嘘の傷跡、時計には小さなスタンガン――信じられる? 俺、腹の傷にはまんまと騙されたよ、油断というより、圧勝だなって思っちゃった。
加えて彼は、ぎりぎりまで俺を引き付けた。演技でね。
で、数発俺を蹴ってふらついてるすきに、時計のスタンガンで一発、俺は気絶。今に至る」
ぎゃはは、とローシュは下品な笑い声をあげる。その声に、思わずディーディーは目をむいた。こんなに下品な笑い方をするところを、ディーディーは初めて見たのだ。
こいつ、なんだ、ふっきれたのか?
「うける、すげぇよ、感動。嘘つきの俺が、まんまと引っ掛かるとか、滑稽すぎる! あれ、でも待てよ――」
そこでローシュはふと無表情になり、おかしいな、と呟く。今度は何だ? とディーディーは彼の言葉を聞き取ろうとしたが、本当に小さな声で呟いていたため、断片的にしか聞きとることができなかった。
「おかしい――レイカは嘘を――でもアクルの――どういう――」
ぶつぶつ、ぶつぶつ、ディーディーのことなど気にもせずに呟き続け――そこで、もしかしたら、と何かをひらめいたかと思うと、あはははと天井を見上げて爆笑した。
「もしかするけど! はは、超楽しい――とても、勉強になったよ。君もだろ? ディーディー」
「………………」
ディーディーは答えない。そんな彼の様子を見て、ローシュはふうとため息をつくと、少し声のトーンを落とした。
「ねぇディーディー、この手と足の拘束、解いてくれない?」
「断る」
「おや、黙秘の直後は即答だ。飼いならされてご苦労なこと」
「何とでも言え」
「そのつもり。君のそのくそまじめなところが好きだよ、ちゃらちゃらしたフリをしてるだけでね、おもしろい。今日はそのキャラは封印中かい?」
ディーディーは、その言葉には答えず、ふんと顔をそらした。その後何度かローシュが話しかけたが、返事をすることは無かった。
「つまんな」
その言葉を最後に、ローシュははぁ、とため息をつき、口を開かなかった。
沈黙が続く。そっぽを向いてしまったローシュを、ディーディーは改めて見つめた。
自分の作戦が失敗し、敵の陣地に一人で連れ込まれているこの状況で――彼はまるでそれを楽しんでいるかのようだった。まるで物語を語る子どものように、自分がはまった作戦をぺらぺらと話すその姿は――異様そのものだ。
事実、彼は楽しんで、自分に話したのだろう。
ディーディーは静かに目を閉じた。気味が悪い。こいつといると、何が正しくて何が間違っているのかを、判断する自信が無くなってしまう。
捕まることすら予定内のようなこいつが怖い、とディーディーははっきりと自覚していた。
視線を膝の上に落とす。こいつを、エストレージャはどうするつもりなのか……それを知っているのは――。
「待たせたわね」
扉がゆっくりと開き、女性の声が静かに部屋の中に響いた。知らない声に、ローシュはゆっくりと顔をあげる。女性は、静かにローシュを見下ろしていた。
「はじめまして、ローシュ。エストレージャのサキ・ヒトツボシよ」