19-3
目を覚ますと、身体全身をけだるさが包み込んでいた。手足が重く、動かすことができない。金縛りに近い状態になり、かなり疲れているのだと、アクルは冷静に現状を分析した。
その後、ここはどこだ、と思う。蛍光灯が見える、とてもまぶしい。アクルはう、と顔をゆがめた。喉からは、乾ききった声が出た。
「アクル、アクル?」
耳元で声がしたかと思うと、心配そうな表情が目の前に現れた――ボスだ。アクルは静かに、視線をボスに移す。
「……無事で……よかった」
途切れ途切れに言うと、馬鹿、とボスは涙をこぼした。どうしてなくのか、アクルには分からなかった。
「アクル、意識ははっきりしてるか」
ボスとは逆の方向から、ルークの声がした。右に視線をずらすと、ルークが見えた。うん、とアクルは頷く。
「ここ……治療室?」
「そうだ。頭痛はするか?」
「いや……だるい……」
「そうか。水を貰ってくる、何かあったらボス、知らせてくれ。アズム、行こう」
はい、とアズムの返事が聞こえた。足音もする。二人分の足音が、部屋から出て行った。
ぱたん、と扉のしまる音がした。
「アクル、大丈夫?」
ひんやりとしたものが、アクルの頬に触れた。一瞬間を置いて、それがボスの手の平だと言う事が分かる。うん、と静かにアクルは頷いた。
「起き上がって……いいですか」
「一人で起き上がれる?」
「多分……」
アクルは右手に力を入れ、ゆっくりと上半身を起こした。びきびきと全身に痛みが走るが、我慢できないわけではない。ぐ、と奥歯を噛みしめると、ほら、無理して、とボスがアクルを支えた。
そんなボスを、アクルは迷うことなく抱きしめた。アクルの胸の中で、わ、とボスが言葉を無くす。
「……あのとき俺、もしかしたら死ぬかもしれないって思いました」
アクルは、ぽつりぽつりと話しはじめた。抱きしめられたままのボスは、だまって続きを待つ。
「最後に俺が言った言葉、聞こえましたか」
「……うん」
静かに答えたボスは、耳まで真っ赤になっていた。
「よかった。結果的に生きてたけど、最後の言葉になったらって、俺あのとき思って、最後に伝えるとしたらって……思って」
「……うん」
「俺、腹の傷、嘘だったんですけど、ボス、気がつかなかったじゃないですか」
「そうだね、びっくりした」
ごめんなさい、とアクルの声が耳元でして、ボスはますます赤くなった。どうすればいいのか分からず、ただ、アクルに自分の身体を預けている。
「ボスのあんな反応を見たら、ローシュは俺の傷がまさか嘘だなんて疑いもしない、と思ったんです。ボスの、嘘が見ぬける能力を知っていたからこそ、俺の演技に騙されるって……ボスは、俺の嘘、気がつけませんよね。ローシュだけじゃなくて、俺の気持ちも分からないですよね」
「……知ってたの」
「そんな気がしてたけど、確信をもったのは、というか認めたのは、この間です」
「なんで」
「違ったら殴っていいですからね。ボス、俺のこと好きでしょう」
「………………」
ボスは答えなかったが、アクルは返事を待たず、続けた。
「俺のこと好きだから、俺の気持ち考えすぎちゃって、本当か嘘かも分からなくなっちゃったんじゃないかなって。割と前から、そうなんじゃないかなって思ってたんです。でもね、だからこそボスは、俺をボスのとなりにおいてくれると思ってた。この関係だから、いい距離でいられると、俺自身も思ってたんです。
嘘か本当か見抜けない相手だから、ボスの隣にいられるって思ってた。
ボスの隣、俺大好きなんですよ。だから、その居場所が無くなるかもしれないのが、本当に怖かった。
でもね、ボスがいなくなって、俺は心底後悔した。逃げていた自分を、しっかりと見つめ直しました。
ボスに、自分の気持ちを言って、受け止めてもらえても、そうじゃなくても、きっと距離感は変わって、その過程で、ボスが俺の嘘を見ぬけるようになったら、俺の感情が読みとれるようになったら……関係が変わるんじゃないかって。
もう今までの関係じゃいられなくなったら、ボスも自分も苦しいんじゃないかって、逃げてました。
それを、認めました。もう、自分の気持ちを抑えるのは無理です。
だから……」
アクルはそこで一息つくと、ごめんなさい、と謝った。伝えたいことが山ほどある。それが上手く、言葉にならない。それでもアクルは、伝えることをやめようとはしなかった。
今まで、ずっとつたえずにしまい続けて、後悔したのだ。今回は、しっかりと、しどろもどろでも、ちぐはぐでも、伝えなければ。
「なんか、順番とかむちゃくちゃで、言葉も上手く出てこなくて、すみません。
ボス、俺ね、家族ってもの、知らないって話したの、覚えてますか。初めて会ったときに。家族って、怖かった。得体の知れないものだから。
でも、ボス、俺、ずっと――ボスと家族になりたいって、本当に思ってたんです」
「……どうして泣くの、アクル」
ボスはすっとアクルから離れると、涙が伝うアクルの頬を、そっと手の平で拭った。分かんない、とアクルは笑った。
「ボス、返事ください」
ぐずぐずと泣きながら、アクルは言った。ボスはしばらく無言のまま、アクルを見上げていた。
「……ほんとだね」
「……何がです?」
「とっさに、上手い言葉って出てこないんだなって思って」
アクル、とボスは小さく、アクルの名を呼んだ。
「好きだよ、アクル、愛してるよ」
よかった、と消え入りそうな声で、アクルは言った。当たり前でしょう、とレイカが困ったように笑いながら、アクルを抱きしめる。
「ずっと、言えないだろうなって思ってた」
ボスが、ふてくされたような声で言った。
「私も、アクルが困るのは……嫌だったし。どうしていいか、分かんなかった。でも、離れて、私、言っておけばよかったって思ったよ。すごく後悔した。お互い様だね」
「似たもの同士、ですね」
ほんとに、とボスが笑う。アクルもつられて、頬を緩めた。
「あ……ボス、気になってたことがあるんですけど」
アクルはそう言うと、静かにボスから離れた。何? とボスは首をかしげる。
「ローシュに何回もキスされたんですか?」
唐突な質問に、うう、とボスは唸る。
「合意の上では無い……それに、二回だけだ」
「ボス、ファーストキスでしたか?」
「そ、そうだよ! 悪いかよ!」
「悪くないですよ、そうじゃないかなって思ってたし。あのねボス、ローシュとのは、キスじゃなくって事故ですよ」
「……事故?」
「そう。合意の上じゃないですし。無理やり、唇と唇が当たっただけ。
俺……キスって言うのは、愛しているって言葉に収まらないから、するんだと思ってます」
「……うん」
「だから、ボスと……レイカさんと、キスがしたいです」
レイカが無言になる。しばらくアクルは返事を待っていたが、なかなか返ってこないため、耐えきれずに思わずふきだした、
「ボス、熱い」
アクルはくすくすと笑いながら、ボスの小さな頭を撫でた。うるせぇ、とアクルの胸の中で、ボスが小さく反論する。
「急に……レイカさんとか呼ぶからだろ! くそ……照れてるんだよ、恥ずかしいんだよ」
「可愛いなぁ」
「やめてくれ……慣れてない」
「やめませんよ」
言って、アクルはねぇ、とボスの肩を叩いた。
「キスがしたいです」
「……どうすればいいんだよ、目、瞑ってればいいのか?」
「そうですね」
分かった、とボスは言って、大人しく目を瞑った。赤い唇に力が入っている。アクルは抱きしめていたボスを離し、その表情を見て、もう一度くすりと笑うと静かに自分の唇を重ねた。
長いキスだった。
時間が止まったかのように錯覚するようなキスの後、アクルがゆっくりと唇を離すと、ボスの声が漏れた。無意識だったのだろう、ボスの身体が恥ずかしさのあまりに硬直する。
アクルは、顔の角度を変え、もう一度キスをした。今度は、短いキスだ。確かめるように、ボスの唇をついばむようなキスをする。
何度も、二人はキスをした。
「夢みたいだ」
とボスが漏らす。
「そうですね」
とアクルが微笑んだ。