19-2
サキの叫び声は廊下に反響し、わんわんと鳴り響いた。レイカもラインも、その他全員も、驚きのあまり言葉を失ったままだ。
ただ、サキだけが、もう一度呟くようにふざけないでよ、と言った後、細い腕をレイカに伸ばした。首元に抱きつき、あのねぇ! と叫ぶ。
「あんたはね、麗華、私のボディーガードでしょう! 私を護るのが一番の仕事でしょう! あたしに雇われてるんでしょ!? なんで勝手に辞めるとか言えるのよ、何様よ、私の許可なく辞められるわけがないでしょ? 契約違反もいいとこよ、常識知らずよ、馬鹿!」
「……すみません」
サキは、レイカを抱きしめる腕に、さらに力を入れた。
「許さない! しばらく許さないから! どうして言わなきゃわかんないのよ! 当たり前でしょ? それに、いくら私の命が狙われてたからって……だまってあんたがいなくなっちゃったら、悲しむのは分かるでしょ!? 最後に私に抱かせた感情が悲しみって、あんた、とんだ恩知らずよ! あなたの部下からの愚痴もね、きっとたくさんあるわよ! それ、全部受け止めなきゃだめなのよ! でも……あんたの上司は私だけだから、まずは私から怒るって、ずっと決めてたの! ――大概にしなさいよ」
最後の声だけは消え入りそうな声で、サキは言った。
レイカは、静かにサキの背中を抱きしめると、すみません、と何度も謝った。
「……もう二度と、私を置いて消えたりしないで」
「はい、もう二度としません」
「約束よ、絶対よ」
「必ず、もうこんな間違いは二度としません」
「誓いなさいよ」
「誓います」
「……馬鹿ね」
「……サキ様?」
レイカは気がついた。サキの声が震えていた。
まさかと思い、サキの細い肩を両手でつかむと、ばっと後ろに身体を引いた。サキが、レイカの突然の行動に目を丸くする。
「何よ、突然」
「……サキ様、泣いていらっしゃるのですか」
「……何よ、泣いちゃ悪い?」
言って、サキは困ったように首をかしげ――
小さく微笑んだ。
あ、とそこにいる誰もが息を飲んだ。なによ、とサキが困ったように眉間にしわを寄せる。
「なんで……何よ、どうしたの、皆」
「サキ様、お気づきじゃないんですか?」
「何が? 泣いてること? 涙、でちゃったのよね、久々だわ。少しは表情が戻ったのかしら、なんてね。ま、表情が消えても泣いたことはあるし、単に泣かない子なのよね私――」
サキの分析に、思わずレイカは吹き出した。何よ! とサキが顔を赤くする。
「何よ、何なのよ! なんか変なことした? 泣き顔が変だった?」
サキの言葉を遮り、今度はレイカが腕を伸ばし、サキを引き寄せた。
「――表情が、戻っておられるのに、お気づきじゃないんですか」
今度は、サキが目を丸くする番だった。自分の頬に手を伸ばし、消え入るような声で言う。
「……嘘」
「本当ですよ」
言って、レイカは微笑むと、崩れるように膝をつき、両手で顔を覆った。
「……よか……った……」
震えるレイカを見ながら、サキは嘘、ともう一度呟いた。小さな手を、口元に持って行く。
「ライン、本当?」
サキが、ラインに向かって困ったように笑いかけた。ラインは、あぁ、と声を漏らし、サキの前に跪き、サキを見上げた。
長い指が、サキの頬に触れる。
「本当です」
「……酷いショック療法ね」
サキは苦笑すると、わっとラインに抱きついた。ラインはサキを優しく抱きしめると、静かに涙をこぼした。
「……みんなお疲れでしょうけど、いっせーので休むわけにはいかないわ。順番に休みを取りましょう。
ライン、悪いけどもう少し起きていてね、ローシュを見ていてほしいの。できればディエゴ、あなたにも一緒にいてほしい。ローシュが目覚めたら、私を呼んでちょうだい」
ラインとディーディーはそれを快諾し、二人で治療室を出ていった。
「ファインは夕ご飯――いえ、少し遅めの昼食を」
「すでにできています、いつでもキッチンに来てください」
「さすがね、ありがとう。じゃぁ、その前にラインとディエゴに持っていってあげて」
「かしこまりました」
ファインが静かに部屋を出る。
「ギャンは休んで。ほぼ寝てないでしょ、疲れてるのに、アクルが随分と無理をさせたから」
「そうなんです……では、お言葉に甘えて。夕食の時には起きます」
ギャンはそう言うと、覆あくびをしながら治療室を出て行った。
「ニール、あなたも寝なさい」
「僕は、ミクロとマクロの治療を手伝いたいです」
いいよニール、大丈夫だよニールと言うミクロとマクロの意見を聞いてもなお、ニールはその姿勢を変えようとはしなかった。
「仕方ないわね……無理はしないように。ミクロとマクロは治療に専念。ルーク、アズム、治療をよろしくね。取れるようなら、二人は交代して休憩をとるようにして」
はい、と治療室に残る五人は頷いた。
「ヤツキ、ギル、あなたたちは休んだ方がいいわ。部屋に戻って、ゆっくりしていて。アニータは、私と掃除をしてもらうわ、いろいろと汚れちゃったから。いいかしら」
「サキ様も休んだ方がいいですよ」
アニータが、心配そうに言った。
「掃除、車を綺麗にしたりですよね。私、一人でできますから……サキ様は、寝てください」
「……そうね、頼んでもいいかしら」
「もちろんです」
頼んだわ、とサキは微笑み、何かあったら連絡をして、と言い残して治療室を出ようとした。
「あ、あの、サキ様、私は」
ボスがサキの背中に向かって叫ぶと、くすりとサキは笑い、振り向かないまま答えた。
「アクルの傍に、いてあげなさい」