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18-2

 壁に手錠が引っかかっており、レイカの右手首にもつながっている。かわいそうに、身動きが取れないのだ。低い位置に手錠があるため、立ち上がることもできないようだ。


「ローシュ、頼む、乱暴にしないでやってくれ!」


 涙声で、ボスが叫んでいた。

 自分だって十分大変な状況にいるのに。それでもきっと、ボスはどうにかして自分を助けようとしている。その相変わらずの思考に、表情に、強さに、アクルは安堵した。

 相変わらずだ。ちっとも変わっていない。数日だけれど、やっぱりボスは変わらない。

 泣きそうな顔しないで、大丈夫だから。

 迎えに来たから。


「何、見つめあってんの?」


 アクルの頭上から声がしたかと思うと、アクルの背中に衝撃が走った。やめて! というレイカの声と、ローシュの高笑いが重なる。背中を踏みつけられたのだと理解するのに数秒かかったが、その間に今度は髪の毛をひっぱられ、頭に衝撃が走った。傷が痛い。うっ、と顔をゆがめると、さらに楽しそうにローシュが笑った。


「言ったじゃん? 追いかけてきたら、お前らの大切なボスの前で、ずったんずったんにしてやる、ってさ? 俺、約束守る男なんだよね、ちゃんとニールの母親も解放したでしょ? 嘘をついてもよかったのにさ? なんでだと思う? それはね、約束を破るよりも、約束を破る相手や、今回みたいに、約束をしてもなお突っ込んでくる猪突猛進馬鹿を相手にする方が楽しいからだよ、見て、見てよレイカ。こいつの顔!」


 ローシュはほらぁ、とアクルの髪の毛を引っ張ったまま、レイカの方に向けた。もうやめて、お願いだからと叫ぶ声を、アクルの耳は微かにだが捕えていた。耳鳴りが、それよりも何十倍も大きな音でなっているのだ。それでいて、近くで叫ぶローシュの声だけはやけに拾う。

 アクルは舌打ちをしたい気分だったが、布を噛まされているせいで、そのような行為はできなかった。目を開けてレイカに対して微笑もうにも、痛みで表情が言う事を聞かない。頭を持つのは頼むから止めてくれ、とももちろん言えず、ただ苦痛の表情を浮かべるしかできなかった。

 ローシュは、アクルを自分の方に向けると、意識はある? とほっぺを何度か叩いた。アクルがくそ、と表情を歪ませると、まだ大丈夫かぁ、と大きな垂れ目が満足そうに歪んだ。


「楽しい、楽しいよアクル・エモニエ君。君をさ、ずたんずたんにするって言ったじゃん? それってさ、肉体的にも精神的にもって意味だったんだ。君さ、もう怪我勝手にしちゃってるよね? いやさぁ、エストレージャの奴らをとっ捕まえて、だれであろうとぼこぼこにする予定ではあったんだけど、君は特に特別でさ。会いたかったんだ、会いたかったよ。個人的には一番会いたかった」


 べらべらと喋るローシュの目は大きく見開かれていた。髪の毛を掴んだまま、アクルの近くで叫んでいたかと思うと、今度はゆっくりと、耳元に近寄った。


「だからさ、君にしか見せないんだよ」


 小さく言うと、ローシュはアクルの首根っこをつかみ、ずるずると引きずりながら壁まで運んだ。止めてくれ、と叫び続けるレイカの声が、アクルにはだんだんと鮮明に聞こえてきた。髪をひっぱられていないと随分ましだということに、アクルは気がつく。

 ローシュはアクルの上半身を壁にもたれかけさせた。正面に、レイカが見える。

 歩くと十歩ちょっとで近寄れる距離なのにな、とアクルはレイカを見つめた。アクル、アクルとレイカが必死に自分の名前を呼ぶのが聞こえる。


 ごめん、もう少し待って、もう少し。アクルは頭痛をこらえながら、何度も心の中で唱えた。もう少し、待って、ボス。


 ローシュは軽やかな足取りでレイカに近寄ると、ねぇ、と少し大きな声を出してアクルに声をかけた。


「聞こえる? 聞こえるなら頷いて?」


 ローシュの声に、こくりとアクルは頷く。あぁ、頭がぐらぐらする。アクルは奥歯を噛みしめた。


「聞こえるね?」

「ローシュ、頼む、もう止めてくれ! 分かるだろ、あいつの腹の傷――すぐに治療をしないと、血が……血が……」


 レイカの懇願に、よしよしとローシュは手を伸ばし、レイカの白髪をぐしゃぐしゃとなでる。


「そうだね、あの血はやばいよね、正直。クレアがやったんじゃないだろうから、運悪く切っちゃったんだろうね」

「はやく――治療を」

「いやだよ、レイカ」


 にこり、と笑うローシュは意地悪く、レイカはてめぇ! と怒号を発した。しかし、ローシュはレイカの言葉を無視し、あのねぇ、とアクルに話しかける。


「君の元ボスと俺、今はこういう関係だから!」


 一瞬の出来事だった。涙でぬれたレイカの顎を、ローシュがくいと持ち上げ、おもむろに唇と唇を重ねる。

 一瞬だが、確かにキスをした。

 アクルの心臓が、どくん、と大きくなった。どくん、どくん、と心臓はばかみたいにスピードをあげながら、全身に血を流していく。先ほどまで耳の奥でなっていた耳鳴りは消え、代わりに血液の流れるざぁざぁという音が響いた。

 ローシュはすぐにレイカから唇を離すと、さっと後ろに飛びのいた。レイカの拳が空を切る。


「ふざけるな、ローシュ! 違う、アクル、私たちはそんなんじゃない!」

「違わないよね、二回目だもんね? 初めてじゃないもんね? 何でそんなに必死なの? 認めればいいのに、あっははははは」


 楽しいよ、楽しいよ! と叫ぶローシュを睨みつけながら、アクルは叫んだ。しかし、叫び声は布のせいで上手く言葉にならない。ただ、うーうーというくぐもった音にしかならず、悔しくて仕方がない。


「何? 話したい? じゃぁコメント聞いて見ようか!」


 ローシュは高笑いをしながらアクルに近付き、思い切り顎の下を蹴り飛ばした。アクルの脳がぐらりと揺れる。レイカが叫んだが、アクルには届かない。


「はい、ぐらぐらー」


 言いながら、ローシュはゆっくりと、アクルの口に結ばれている布を取った。口の端から血が出るだけで、アクルの声は聞こえない。


「やめろ、ローシュ!」

「やめないよレイカ、こいつは言いたいことがあったみたいだから。ねぇ、何? 何?」

「……あ……う……」


 アクルの口に、鉄の味が広がった。ぼやけていた焦点が、少しずつ合ってくる。自分は倒れているのだと、数秒後にゆっくりと認識した。


「腹の血が凄いね、これはやばいよね、レイカ、どうする?」

「助けてやってくれ、頼むから!」



 泣きながら、レイカは懇願した。その表情を満足げに見つめながら、ローシュは微笑む。



「嫌だと言ったら?」

「……私も舌を噛み切って死んでやる!」


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