16-2
「ねずみが何度も罠にかかるのを見るのは、もうなんというか、何周も回ってかわいそうになってくるよ」
同時刻、ローシュは言った。
「例えば小さな隠しカメラがあることにも、例えばここ一体リイビーノの傘下の人しか住んでいないということにも、気がつけないで、こそこそこそこそ、ネズミの親玉を取り戻そうと必死になって……」
あはは、と乾いた笑いを、一人で漏らす。右手には携帯電話を持っている。先ほど、その携帯電話に着信があった。エストレージャと思しきものからの接触があった、という連絡が入ったのだ。ご丁寧に写真まで用意してくれていたと言う――「馬鹿なんだか、挑戦状なんだか、知らないけど」
ローシュは、ソファに横になり、静かに鼻歌を歌った。その音は、暗闇に溶けて、消えてく。
まぁなんにせよ、面白いからいいや。
「あはは」
さぁ、どうやって完膚なきまでに負かしてやろうかな。
「受け身の振りした、攻めん気満々のリイビーノに、あいつらは気がつかない――後手にまわってるのはそっちだからね」
俺をなめるなよ、と、ローシュは呟いて、携帯を放り投げた。アラームはすでに早朝にかけてある。今からすぐにエストレージャが行動を起こすとは思えないが、そのための準備も完璧だ。
「どうやったらレイカが悦んでくれるかな」
言って、ローシュは目を閉じた。
次の日の昼、来客です、とクレアが言った。ローシュは来客? と眉を吊り上げた。目の前に座って食事をとっているレイカは、反応を表に出さない。
「二人で楽しく昼食してるんだけどな……誰? 急ぎ?」
「いえ、急ぎではないようですが――」
「じゃぁ後でって言っておいて。俺もレイカも、早朝から嘘発見で疲れているんだ」
その言葉に、ちらりとレイカがローシュを見た。疲れているのは私だけだろ、とでも言いたげな視線に対し、ローシュはにこりと笑顔を返す。
「いえ……その」
クレアは何か迷っているように目を右往左往させると、そっとローシュに歩み寄り、耳打ちをした。
「ディーディーなのです」
彼女の言葉に、ローシュははっと顔を挙げた。
「――ネズミだ」
呟いた意味を、レイカは理解できないようだったが、クレアは理解したようだった。おそらくそうでしょう、という言葉が返ってくる。
「凄いな……いや、あいつがネズミになる可能性は考えてた、でも、その可能性は低かった――金がかかるだろうから。凄いな、凄い、面白いよ。よし、この部屋に通して。レイカ、ごめん」
「どうした?」
「危ない客が来た。レイカはクレアと一緒に避難してもらう」
「ネズミ、と言ったな?」
「君は知らなくていいよ。クレア、連れて行って」
まさか、とレイカは勘づいていた。ローシュも、レイカの反応で、彼女は察したかもしれないということを見ぬいていた。
エストレージャが来たのか。
この言葉が、レイカの喉まで突っかかった。だとしたら、だとしたら。レイカは考える。だとりたら私はクレアについて行くべきではない、私も行動を起こすべきだ、でも誰が来たんだ、違うかもしれない、でもそうかもしれない、だとしたらどうにかして動かないと、ただとらわれたお姫様のように待っているなんてできないし、私が行動を起こさないとエストレージャの誰かが危ない目に合うかもしれない。私はエストレージャのボスではもうないけれど、でも、助けに来てくれるのなら、私も助かりに行かなくてはいけない、それはボスとかボスでないとかエストレージャだからとかそうじゃないからとかそんなこと一切関係なく、私の――。
その長い思考は、時としては一瞬だった。しかし、その一瞬を、一瞬のすきを、クレアは逃さなかった。
「あ」
レイカの声が、喉からころりと落ちたようだった。そのまま、首の後ろをうたれたレイカは、行動を起こす前に意識を失った。
「――事後報告で申し訳ありません。レイカが察したと考えましたので、気絶させました」
「いい判断だ」
さすがだね、とローシュは立ち上がると、クレアに歩み寄りそっとキスをした。クレアの赤い唇を舐めるように、ローシュが口をつける。一瞬の出来事だったが、クレアはあっというまに赤くなり、言葉を失った。
「じゃぁ、クレア」
ローシュの細い指が、クレアの唇を撫でる。
「レイカを地下に。もちろん、皆配置についたよね?」
「はい――引っ越しの、振りをして、いる人も用意させて、います、大丈夫です」
しどろもどろに、クレアは答えた。
「うん、クレアはこういう事に関しては一番信用してるからね。よくできました。じゃぁ俺は例の場所でこそこそ隠れてるから、指揮は任せたよ」
「はい」
「最近レイカばかりかまっててごめんね」
「いえ――」
ローシュはもう一度クレアにキスをすると「君は、あまり疲れ過ぎなように」と言った。その言葉に頬を染めるクレアを見て、満足そうににこりと笑うと、じゃぁねとローシュは部屋を出た。
「おー、入れた入れた」
アクルは双眼鏡から、ディーディーを監視していた。監視している場所は、昨日女性から借りた部屋だ。部屋の電気は消しているため、どこか空気が重く感じた。
ディーディーの隣に、黄色い頭がふたつ。ミクロとマクロだ。洒落たドレスを着て、大人しく歩いている。アクルは、左側においていた九つの受信機のひとつに手をかけ、電源を入れた。高い電子音の後、ノイズの音が入り、その後ディーディーの声が聞こえた。遠めだが、会話が聞こえる。ミクロがこっそりドレスの下に隠している、小型の盗聴器からの音だ。マクロも同様に隠し持っている。今は同じ音を拾うだろうが、一応マクロの盗聴器と繋がっている受信機も電源を入れる。
会話から察するに、ディーディーはローシュのもとに案内されているようだった。先導しているのは、黒髪団子の女だ。おそらく、ディーディーが言っていたクレアと言う女性だろう。
アクルは、右耳にかけていたヘッドホンのダイヤルをいじった。ヘッドホンから口元に伸びているマイクに向かって話しかける。
「ミクロ、マクロ、聞こえるか?」
アクルの問いかけの直後、左側の受信機にごほ、という声が入る。どちらかが咳き込んだのだろう、イエスの意味だ。
いいよギャン、とアクルは頷く。ミクロとマクロが耳につけているスピーカーは、正常に動いているようだ。二人がつけているスピーカーはとても小さく、耳の奥につける形なので、覗きこまれない限り見つかることは無い。
「すんなり入れたから、パターンはAで言ってくれ。何かあったらすぐに連絡すること」
さてと、とアクルはすぐにヘッドホンのダイヤルをいじり、ラインさん、と呼びかけた。
「聞こえますか?」
言いつつ、左側においている残りの受信機の電源を全て入れる。ザ、というノイズの後、聞こえるよとラインの声がした。
「良好ですね、ニールも確認」
アクルはダイヤルをいじり、ニール? と声をかけた。はい、とすぐに受信機から返答がある。
「今、ミクロとマクロ、ディーディーの三人が侵入成功。パターンはAのままでいってる。ラインさんにも伝えて。二人は俺の合図ですぐに侵入。合図が無ければ十分後。できそう?」
「できます」
ニールは即答した。アクルは思わずにやりと笑う――強くなった。
「頼んだ」
「アクル?」
と呼びかけたのはラインだ。はい、とアクルはラインに向かって返事をする。
「俺たちがいる場所、出口から一番遠いから警戒はうすいみたいだけど、それでもさっき尋問を受けたよ。面倒だから気絶させちゃったけど、警戒されているみたい」
「報告ありがとうございます、なるべくすぐに合図を出します。危険だと思ったら無理しないでください」
「了解」
ラインとの通信が切れる。よし次だ、とアクルはダイヤルを回した。
「アニータ?」
「はいー。どう?」
「聞こえてるな。問題なくパターンAだ。そっちは?」
「救護班上々。周りに敵なし」
「了解。ラインさんはリイビーノの人に尋問されたらしい、警戒されてる、気をつけて。ギルバートにつなぐ」
ダイヤルを回し、ギル? と声をかける。はい、と低い返事がすぐに聞こえた。
「なんだよ、不機嫌なのか?」
「いまだに俺の場所はユーナギさんじゃないのって思ってる」
「お前は、エストレージャの屋敷を一人で守れると?」
「そうじゃない! 冗談だばか。緊張してるんだよ、戦闘は不慣れだからな。無線良好」
は、とアクルは笑い、今度はすぐそばにいるはずのルークに無線をつなぐ。
「俺の通信も良好。準備もばっちりだ」
ルークは淡々と返事をした。オッケー、とアクルはチャンネルをアズムに切りかえる。
アズムに話しかけると、
「よく聞こえます」
と、相変わらずの早口で小さい声だが、彼女からの返事もしっかりと聞こえた。そのまま待機で、とアクルは伝えると、よしよしと頷いた。赤い髪が建物に入っていく。確かローシュがいる場所のはずだ。
アクルは耳をそばだてた。こちらですよ、と言う声を、ミクロとマクロの二人につけているマイクが拾っていた。
「ここでしばらくお待ちください。間もなくローシュが参りますので」
クレアは言うと、ぺこりとお辞儀をして部屋を出た。ふう、と小さくディーディーが息を吐く。大人しくしているミクロとマクロの目は座っていた。ミクロがディーディーの左側、マクロがディーディーの右側に立ち、二人を挟む形だ。
「座ろうか」
とディーディーが言い、ソファの真ん中に腰かけた。ミクロとマクロも、大人しく座る。黒いドレスがふわりと浮かんだ。声はまだ、一言も発していなかった。
ただ黙って、三人はローシュを待った。
「あー……あ、もしもし?」
座って十数秒後、部屋の中に声が響いた。ミクロとマクロは瞬時に身構える。ディーディーもはっと顔を挙げた。
「聞こえてるみたいだね。やあ、久しぶり、ディーディー君と、双子ちゃん」