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14Y-2

 男の子が、女の子に訊ねた。うん、と女の子は答える。


「君はあるの」


 無機質な声で女の子が訊き返した。どうやら二人は友達、というわけではないらしい。


「あるよ、昨日の夜、見張りやってた」

「あー、そうだって言ってたね。どんな人だった?」

「暴れてて、ローシュさんが止めてた。夜は寝られなかったみたいで、よくうわごと言ってたよ。男の名前と、元いた組織――エストレージャだっけ、その名前も呼んでた」


 エストレージャ。ヤツキは耳に全神経を集中させる。彼らが話しているのは、ボスのことか? とピンとくる。


「あきらめ悪い人だねー」


 女の子が、呆れたように言った。


「ほんとにね。おかげで俺は徹夜だよ、眠い。でも、ローシュさんのお気に入りだからね、レイカさんは」


 やはりか、とヤツキは思う。ボスは眠れなかったのか、と心配になる。アクル兄さんに会いたくて仕方がないのか、とも思う。大丈夫、ボス、すぐに助けに行くからね、もう少し待ってて、と伝えたくて仕方が無かった。


「ね、うざったいなぁ。自分の部屋の壁ぼこぼこにしてもおとがめなしでしょ?」

「そうそう、あれはやばいよ、壁陥没してるから。一個下の階だし、見てみなよ」

「後でこっそり覗いてみるわー」


 ひとつ下の階にボスの部屋がある! 思わぬ情報に、よし、とヤツキは小さくガッツポーズをした。ベランダには、下に続くのであろう梯子があった。すぐそこだ。


 ヤツキは、二人が見ていない隙にこっそりとベランダを横断し、すぐに梯子まで辿りついた。素早くその梯子を降りる。もちろん、周りは常に警戒している。


 上の階とは一変、今度は壁がヤツキを待ち構えていた。上の方にひとつだけ窓があるが、それ以外は何もない、殺風景な壁だ。部屋に入るためのドアが、梯子を下りたすぐ右手にあった。ヤツキは、そのドアに右耳をつける。外の音がうるさいが、それでも、中から話声はしなかった。静かに、ドアを開け、ほんの少しの隙間から中を覗く。誰も見えない、いないはずだ。


 多分いない、いないだろうが、絶対いないという確信が無いと、入れない。

 それでも入ろうとしていたことに気がつき、ヤツキはドアを一旦閉め、深呼吸をした。焦るな、焦るな、焦ったら負けだ。


 盗聴器をつけ、耳をすます。大丈夫だ、中から足音や話声は、やっぱりしない。ヤツキは、ドアを開けて中に侵入した。真っ先に部屋の四隅を見渡す。カメラは無い。


 入って右側の壁が、ところどころ陥没していた。なるほど、これは派手にやったな、と苦笑する。とりあえず、体力はまだまだあるようだ。


 ボスは、いつこの部屋に帰ってくるだろうか。ヤツキは生唾を飲む。出来れば一目見たい。でも、探しまわって自分を危険にさらすようなことはしてはいけない。


 ここで待つか? と考える。幸い、ベッドの下やクローゼットなど、隠れるところはありそうだ。でも、待ってどうする、姿を見て、生きていましたって報告――? 違う。


 ヤツキは頭を回転させる。例えばこんなとき――アクル兄さんはどうする?

 情報を、集めるのではないか?

 とっさに、ヤツキはポシェットから紙とペンを取り出し、星のマークをたくさん書いた。なるべく雑になるように。憎しみがこもっているように、書く。

 うざったいなあ、と先ほどの会話で言っていた。ボスは、ローシュとやらに気に入られている。ローシュと言う人の地位は上だ。だとしたら、彼の部下は不満に思うだろう――ボスのことを、なんだあいつ、新米のくせに気に入られて、と思っているかもしれない。

 ヤツキは、自分がアクルやギルのように情報処理に長けているとは思っていなかった。この作戦が、果たして上手いものかは分からない。もしかしたら、ボスに迷惑がかかるかもしれない。手は震えたが、それでも、やっぱりボスに自分が来たことと、もうすぐ助けることを伝えたくて――祈るように、左上に月のマークを書いた。


 気がついて、ボス。


 そのとき、遠くから話声が聞こえた。ヤツキははっと顔をあげると、急いで部屋を見渡した。隠れるなら――あそこだ。枕元に、紙を置く。その後、クローゼットのドアを開け、ヤツキはするりとその中の闇に溶けるようにしてドアを閉めた。ドアの内側に、盗聴器をつける。クローゼットの中にいると、外の騒音は大分かき消される。よかった、と思いながら、ヤツキは静かにボスを待った。


 先ほどの話声は、ボスのものではなかったようで、部屋には誰も入ってこなかった。

 アクルがヤツキに頼んだ任務は、随分とざっくりとしたものだった。

 何でもいいから、内情を探ってきてくれ。どんな情報でも価値になる。

 そんな馬鹿な、と今でも思っている。しかし、ヤツキは文句一つ言わず、ただ頷いた。アクルを信頼して――分かりました、と。


 私は任された、という責任感がのしかかる一方で、ヤツキは嬉しくもあった。私を頼ってくれてありがとう、任せてくれてありがとう、と思ったのだ。


 外は明るい。ヤツキは自分の判断で、ここにしばらくいることを決めた。もちろんボスに会うため、という理由が第一だが、中を探るならやはり闇に乗じた方が探りやすい。


 ヤツキは待った。クローゼットの中で、数時間、じっと待っていた。




 数時間後、がちゃり、とドアの開く音がして、その後男の声が聞こえた。ヤツキは耳に神経を集中させる。ボスの声がすぐに聞こえた。来た、ボスが来た。お願い気がついて、と願う。

 二言三言話をし、歩く音がした。どんどん足音は近付いてくる。足音が止まり――その後、ボスの声が低く響いた。


「……ローシュ、頼みごとがある。一発、人を殴る権限をくれ」


 気がついたのだろうか? ヤツキは目を伏せ、さらに耳をすませる。わあ、とローシュの声がした。子どものいたずらみたい、という彼の声が聞こえる。よし、おそらく私の書いた落書きを見たのだ。あとは気がつくか、どうか。

 ボスは激昂していたようで、ローシュがそれをなだめていた。犯人を殴る殴らないの話しになっている。ローシュが自ら叱っておくと申し出ると、ボスはそれを断り、自ら殴ると言い放った。


「不愉快だ、寝る。私以外の人はここに入れないでくれ」


 ボスが吐き捨てるように言う。


「誰かが見張ってないと」


 とローシュが提案したが、間髪いれずにボスは叫んだ。


「目覚めたら天井に星のマークが描いてあるかもな!?」


 この言葉で、ボスは気がついている、とヤツキは確信を得た。静かに拳を握る。手の平は汗でじっとりとしていた。気がついていて、わざとこの部屋に誰もいないようにしてくれている。同時に、見張りをつけなければいけない部屋の状況である、という事も教えてくれた。

 二時間後にローシュは迎えに来る、と言った。ボスは先ほどの怒号とは対照的な、小さな声で呟くように言った。


「二時間後……そうか、引っ越しだっけか」


 引っ越し! 暗闇の中、ヤツキは目を見開いた。ありがとうボス、と叫びたくなる。よかった、本当にここにいてよかった。あの大量のトラックは、引っ越し作業のためだったのか!


「四日後にする予定なんだろ……働きまくって、三日後には出来るようにしてやるよ」


 と、今後の予定まで教えてくれた。会話の中に忍ばせてくれている情報の数々を、ヤツキはありがたく記憶する。


「私は寝る」


 ボスの言った言葉が、与えられる情報はこれぐらいだ、と自分に言ってくれているような気さえした。


「うん、おやすみ」


 と、ローシュも特に疑ってはいないようだ。

 しばらくの沈黙。足音は聞こえないため、ローシュが出て行ったのではないのだろうが……何をしているのだろう。

 ヤツキが不振に思ったその時、彼の口からとんでもない言葉が飛び出した。


「もう一度、キスしてもいいかな?」


 どういう関係になってるんだ!? 思わず叫びそうになり、拳をさらに強く握る。


「おやすみ前のキスなんて、ガキでもあるまいし」


 レイカの返答にローシュは鼻で笑っていたが、ヤツキにはそれでもよく理解ができなかった。え、おやすみのキスって、え、んっと? えっと?


「まぁ、俺もルージュがのった唇にキスをする方が好きだしね。また、今度に」


 とローシュが続けるものだから、本当に意味が分からない。盗み聞きでここまで混乱するのは初めてだ。どういう事なのか、ボス、説明を!

 しかしその後、二人が会話をすることは無かった。ローシュの言った通り、見張りが来る様子も無い。ベッドの中で動いているのだろう、布団がすれる音が何度かした。

 その後、長い沈黙。

 ヤツキは、そっとクローゼットの中から出た。ボスが、すぐそこにあるベッドで横になっていた。

 声をかけたかった。


 抱きしめたかった。


 懐かしい白髪が覗いている。顔はこっちを向いていない。呼びたい。大丈夫です、とボスに言いたい。大丈夫でしたか、とボスに聞きたい。

 それでも、ヤツキは黙って外に出た。

 足音一つ立てず、完全に気配を絶ち、ベランダに出た。

 ボスが向こうを向いていたのは、覚悟の表れだ。



 ヤツキは少しだけ泣いた。二粒三粒涙をぬぐい、よしと頷き、決意した。

 すぐに、戻ろう。



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