14R-3
「これは――子どものいたずらみたいだね」
枕の真ん中に、小さな紙切れが置いてあった。白い長方形の紙には、マジックで描き殴られたような落書きがあった。
書いてあったのは、五本の線で出来た星のマークと、三日月だ。三日月が紙の左端に小さく描かれており、星は他の空白を埋めるように無数に描かれている。そして、右下に汚い文字で「調子に乗るな」と書かれていた。
「エストレージャを忘れろと言うのに、こうやって嫌がらせを受けるというわけか。思い出せと言わんばかりに。調子に乗るな、だと。私がいつ調子に乗ったか教えてくれるか?」
「ごめんレイカ、俺の管理ミスだ、俺が叱っておく」
「いい、私が見つける」
レイカは拳を強く握った。その様子を見て、小さくローシュはため息をつく。
「――分かった、でも、顔が変形するほど殴っちゃだめだよ」
「大丈夫だ、手加減はする」
「君の手加減はどのくらいか分かったもんじゃないから、心配だ」
「……大丈夫だから」
レイカは落書きに手を伸ばすと、静かに何度もそれを破いた。細かく刻んだ後、床に投げ捨てると、ベッドの中に自ら入った。
「不愉快だ、寝る。私以外の人はここに入れないでくれ」
「誰かが見張ってないと」
「目覚めたら天井に星のマークが描いてあるかもな!?」
声を荒げる。レイカの気持ちを、ローシュも察したのだろう、今回だけだよ、と小さく言った。
「この部屋のものは壊さないって、約束して。本当に、寝るだけにして」
「大丈夫だ、約束する」
「――分かった、じゃぁ、部屋には誰もいさせないから。俺はこの上にいる、何かあったら呼んで。二時間後に起こすよ」
「二時間後……そうか、引っ越しだっけか」
「あぁ、引っ越しの準備をする。でも、無理はしないでね」
「いや、力仕事でもなんでも、やらせてくれ。四日後にする予定なんだろ……働きまくって、三日後には出来るようにしてやるよ」
「やけにポジティブになってきたね」
「そうでもしないとやってられないんでね」
いいことだよ、とローシュは笑った。
「自分で楽しくしないと、人生つまらないだろうからね」
「……引き留めて悪かった。私は寝る」
「うん、おやすみ」
言って、ローシュはそっと、レイカの長い白髪に触れた。するすると指で髪をとかしていき、最後に黒い毛先をつまむと、そこに小さくキスをする。
「もう一度、キスしてもいいかな?」
「おやすみ前のキスなんて、ガキでもあるまいし」
レイカの返答に、は、とローシュは鼻で笑った。生意気な子供、と言って、小さくレイカの額にキスをする。
「まぁ、俺もルージュがのった唇にキスをする方が好きだしね。また、今度に」
じゃぁお休み、とローシュは笑って、レイカの部屋を出た。
静寂が訪れる。しばらく、レイカは黙ったまま、上半身だけを起こし、耳をすませた。
遠くでトラックが出入りする音がする。階段を上る音もする。人の話し声もする。
私が聞きたい音は、やはり聞こえないか――とレイカは目を開けた。とたん、目の前が歪む。だめだ、と思って、慌てて横になった。
眠るふりをしていたが、心臓は高鳴っていた。
あの落書きを見た、その瞬間から、高鳴りっぱなしだ。
あれは、嫌がらせの落書きなんかじゃない、とレイカは確信していた。エストレージャは星の意味だ、これは、辞書を引けば出てくる。でも、だったら星のマークを描けばいい。
わざわざ、星の中でも有名な「月」を描くことはしないだろう。
あれは、嫌がらせに見せかけたメッセージだ。布団を強く握る。ありがとう、と言いたくなる気持ちを、必死に抑える。
あの月は、サインの代わりだ。夜の月を意味する名を持つ――彼女。
ヤツキからのメッセージだ。
静寂のどこかに、おそらくヤツキはいた。だから、ローシュとの会話の中で、できるだけ自分が今どういった状況にいるのか、そしてリイビーノがどうしようとしているのかを伝えられるような発言をした。
上手く届いたかは分からない。ローシュにばれないよう、動揺を悟られないよう必死になり過ぎていたかもしれない。
それでも。
エストレージャが動いてくれている。
私を助けようとしてくれている。
その事実が、レイカにとってはとても嬉しいことだった。
伝えたいことはたくさんあった。
無理をしないで、怪我をしないで、頼むから死なないで、でも、それでも――お願い。
私を助けて。
私が馬鹿だった。自分から出て行って、それでもこんなことを思うなんて本当に駄目だ。
でも、すがらせてくれ。
遠ざかって初めて知った――どうか、謝らせてくれ。
言いたいことがあり過ぎて、レイカは泣きそうだった。それを、必死に必死に押し込めた。今、泣いても駄目だ。怪しまれたら最後だ。
深い呼吸を何度もして、静かに、時が流れるのを待った。眠れはしなかったが、二時間後、レイカは少しだけ、すがすがしい気持ちになっていた。