14R-2
子どもをなだめるような口調で、静かに、ローシュは言った。
嘘でも、その希望あふれる言葉に、レイカは反応してしまう。はっと顔をあげ、どういうことだ、と言いたげに目を細めた。その動作に、ローシュは爽やか過ぎる笑みを浮かべる。
「どうにかして、リイビーノを見つければいいんだよ。エストレージャだって、そういうコネクションが無いわけじゃないだろ? 情報をかき集めれば見つかるさ。リイビーノに人を借りたって人に出会ってもいい。極秘にしてはいるけど、例えば金を積めば、情報が漏れるかも分からないね」
確かにそうだ。リイビーノ、情報は、すぐに見つかるかもしれない、もしかしたら――もしかしたら、今、エストレージャの人達は、私のために。
レイカの想像は止まらない。やめろやめろと何度思っても、希望的観測が浮かんでは消えて行く。
「だから」
そんな希望を、ローシュはあえて抱かせた上で、確実につぶしていく。
「引っ越しをしようと考えているよ、君を守るためにね。遠くに行こうね、エストレージャがいくら頑張っても、見つけられないところまで」
「……朝から騒がしいのはそのせいか」
強がった返事は、震えていた。だめだ、と思った瞬間、涙がこぼれた。
だめだ、どうして私は希望を抱いてしまったんだ。まだ、すがりつくように、待っている。エストレージャを、希望の星を。
情けなくて涙が出た。
エストレージャができたあの日、あんなにも、強くならねばと心に決めたのに――エストレージャを守るための行動をとっても、その後に強さが続かなければ意味が無いのに。
弱い自分が許せなかった。
「どうして泣くのかな」
ローシュは問う。楽しんでいるように、弄ぶように、レイカに問いかける。
「……悪かった、取り乱した」
「そうだね、いつも取り乱してる。いい加減慣れてほしいな。それとも慣れることは無いのかな?」
「――朝食を」
「レイカ、大丈夫だよ」
心配しないで、とローシュは優しく、レイカの頬に触れた。レイカが身体をこわばらせる。ローシュに対抗すればいい、と頭の中で考えた。昨日のように、腕を掴んで投げてしまえばいいのだ。そうしてその後に、何をするんだ、昨日も警告したはずだ、と言えばいいんだ。
はやく、はやく行動に。
思っていたが、レイカは動くことができなかった。
目の前が、歪んで見えない。次々と涙が溢れる。
「すぐに忘れられるよ」
ローシュは言って、レイカの頬を伝う涙を指で拭い、そのまま顔を近づけ、触れるようなキスをした。
レイカは、動かなかった。
ただ、冷たいものが唇に触れたと感じた。
「――さぁ、朝食を食べよう。その後一仕事してもらって、あとは引っ越しの準備をしようね。ばたばたとするけど、四日後には出発するよ」
ローシュはレイカの手を引いた。レイカは、生まれて初めて、無味の食事を取った。
朝食を食べ、昼食までの間、レイカはずっとローシュの部屋にいた。
食後、三十分ほど経って、クレアは十五人の人物を連れてきた。皆、スーツに身を包んでいる。
「彼らはお得意様だ。いつもリイビーノを使っていただいている。しかし、嘘つきがこの中に混じっているんだ。例えば労働時間の報告を偽ったり、食事を与えなかったり、契約外の仕事をさせたり、リイビーノの情報を漏らしたりしてるんだけど、皆していない、の一点張りで参っていてね」
ソファに座り、目の前にスーツを着た男性や女性をレイカはじっと見つめた。しばらくして、左側から順に、指を指す。
「食事を与えなかった、労働時間の報告を偽った、労働時間の報告を偽った、契約外の仕事をさせた、食事を与えなかったことに加え、労働時間の報告を偽った、労働時間の報告を偽ったことに加え、契約外の仕事をさせた、リイビーノの情報をもらした、契約外の仕事をさせた、労働時間を偽った、契約外の仕事をさせたことに加え、リイビーノの情報をもらした、リイビーノの情報をもらした、リイビーノの情報を漏らした、契約外の仕事をさせた、労働時間の報告を偽った、労働時間の報告を偽った。以上だ」
レイカの言動に、並ばされていたスーツ姿の人々はもちろんのこと、後ろで控えていたクレアも、隣に座っていたローシュも、目を丸くさせた。ただ、レイカだけが、無表情で、たんたんと仕事をこなしたまでだ、というような表情で俯いた。
「……っ、あははは! ははは、見た? 最高だよ。クレア! 気分がいいから昼は高いワイン開けちゃって」
ローシュは高笑いしながら、手を叩いて喜んだ。
「かしこまりました」
と答えるクレアの声は、若干沈んでいる。驚きすぎたときの声だな、とレイカは思った。それはそうか、と小さくため息をつく。
それにしても、何が最高だ、とレイカは心の中で思う。こんなの――見れば分かるじゃないか。普通じゃないか。何も驚くことなどないのに。
それでもこれは普通じゃなくて、やっぱり驚かれて、凄いと言われたり、怖いと言われたり、それは人それぞれだけれど、そんなの私にとっては嬉しくなくて――だから、あの居場所が心地よかったのに、次の居場所は、居心地の悪い場所だ。
そうしてきっと、これが普通で、あの居場所は特別だ。
はぁ、と再度ため息が漏れる。
生かされているのだ、とクレアは言った。なるほど、そう考えて感情を殺すのも、悪くは無いかな、とレイカは考えた。
生きていれば――すれ違うぐらいは、あるかも、しれないし。
「いいよレイカ、本当に助かる。じゃぁ、左から順に、詳細を当てていこうね。あぁ、あと、分かってるとは思うけど君達、彼女のこと、漏らしたらただじゃぁおかないから」
ローシュの警告の後、レイカは淡々と、目の前に並ぶ人々の悪事を暴いていった。
その尋問は、思った以上に時間がかかった。全員分の尋問が終わったときには、すでに午後五時を回っていた。その後、遅めの昼食をとりおえると、レイカは一旦部屋に戻った。また壁を壊すといけないからと、ローシュも一緒に来た。時計は、六時を指していた。
「昨日はよく眠れなかったでしょ?」
「お前がいると眠れるもんも眠れないだろ」
「どういう意味?」
「気が散るって意味だ」
つまんないなぁ、とローシュは笑うが、レイカは反応を示さない。もう、どうでもいいか、という気持ちが、レイカの中で生まれつつあった。自暴自棄で、諦めの入り混じった、どうしようもない感覚だ。
しかし、その感覚が一瞬で吹き飛ぶ出来事が起きる。
レイカは、目の前の状況に目を丸くさせた――嘘だろ、とこぼしそうになる。
「……ローシュ、頼みごとがある。一発、人を殴る権限をくれ」
レイカは、嘘だろ、というその思いを押さえ、代わりに低い声で言った。視線は、ベッドの枕元に固定されている。どうしたの? とローシュはレイカの隣に来た。レイカの声の変化に気がついたのだろう、少しだけ心配そうな声だ。
レイカの隣に来て、わあ、とローシュも驚きの声をあげる。