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14R-1

14-R


 ディーディーがエストレージャと接触する、数時間前のことだ。

 レイカは、騒音のせいで目が覚めた。朝から工事でも始まっているのだろうか、トラックの音が酷い。物を運ぶ音もする、それを支持する、人の叫び声も聞こえる。


 時刻は七時ちょうどだった。やっほーと、レイカの部屋に許可も無くローシュが現れた。


「おはよう、よく眠れた?」


 と、ローシュは開口一番ふざけた質問をレイカにぶつけた。返事の代わりに睨み返すと、元気そうだ、とローシュは満足げに微笑む。


「朝食を一緒に取ろう。でも、その前に拘束をなんとかしないとね」


 レイカは拘束衣を脱がされると、朝食の前に風呂場に連れて行かれ、凝り固まった手をゆっくりと洗いながらほぐしてもらった。淡々と作業を行ったのは、ローシュの秘書であるクレアだった。さすがに風呂には一緒に入れないから、俺の部屋で待ってる、とローシュはその場を離れた。


「よく眠れるはずはないですよね。もし途中で辛くなったら、いつでもローシュさんに言ってみてください。お休みは頂けるはずですから」


 レイカの腕をマッサージしながら、クレアは言った。その声に感情は無く、ただ淡々と事実を述べているだけだった。浴槽のすぐそばにレイカは座り、手を伸ばしたまま大人しくしている。


「……分かった」


 レイカは、静かに返事をした。


「ずいぶんと素直ですね」


 クレアは笑う。意外そうな笑みに、まぁなぁとレイカは曖昧に答える。

「ローシュがつっかかってくるだけだ。昨日は――脱走を試みたりもしたけど。でも、なんというか……」

「諦めてます?」


 ずばりと言われ、レイカは素直に頷いた。


「……そんな感じだ」

「いい傾向です。慣れちゃった方がいいですよ。居心地はいいですし」


 ローシュさんに逆らわなければね、と微笑んで、クレアは浴槽にタオルを浸した。タオルにお湯をしみ込ませるように何度も洗い、絞った後、再度レイカの腕にタオルを当てる。


「あんた――クレアは、ローシュが怖くて、逆らわないのか?」

「――どうしてです?」


 レイカの質問に、クレアは眉をひそめた。何を言っているのか分からない、といった表情だ。いや、とレイカは思わず目をそらす。


「……昨日会った人たちは、随分と怯えていた……分かりやすく」

「あいつらは馬鹿ですよねぇ」


 さらりとクレアは言った。あっさりとしすぎた対応に、レイカは返す言葉を探し出せなかった。クレアは特に気にする様子もなく、話を続ける。


「親に捨てられたり、職を失ったり、危ないことに首を突っ込んだり……行くあてが無いような人達を、まぁ選んではいますけれど、ローシュさんは拾って、育てて、生かして、仕事を与えているんですよ。それなのに、そのことを忘れて、悪さをするやつがいる。昨日のように、金をちょろまかすなんて日常茶飯事ですよ。何様なんだってことです、身分相応のことをすればいいんですよ。感謝を忘れた行動です」


 次々に出てくる言葉達はとても冷静で、レイカは彼女の言っていることが間違っているようには聞こえなかった。


「……とは、思いませんか? 私は、常にそう思っています。


 ローシュさんは、間違っていない。私も、あの方に拾ってもらった身です。日々感謝し、彼の傍にいて、与えられた仕事を確実にこなし、生かされています」


「生かされているのか」

「そうです」


 大分よくなりましたか? とクレアはレイカの腕を曲げ、確認した。大分、とレイカは頷く。よかった、と微笑むクレアは、とても綺麗だとレイカは思った。


「例えば植物や家畜の肉を食べ、私たちが生かされているように、ローシュさんに仕事を与えられることで、私たちは生かされているのです。そこに、正しいも間違っているも、楽しいも苦しいもありませんよ」


 クレアは、感情を殺しているように、いや、むしろまるで最初から感情がないかのように、淡々と告げた。

 表情はあるのにもかかわらず、だ。まるで、サキ様と真逆だ、とレイカは思う。


「感情が、無いみたいだ」


 思わず漏らすと、ふ、とクレアは小さく笑った。乾いたタオルで、レイカの腕を優しく拭く。


「あなたにはこうして説明したら、一番納得がいくだろうと考えたんですけど、駄目でした?」

「……まぁ、納得しないわけではないと言うか、一理あるような意見ではあると思ったが」

「もういい加減エストレージャのことは忘れて、彼のもとで生かされながらこれからの日々を過ごしてほしいと思ったんです。ですから、私の感情的では無い部分を話したまでのことです」

「ということは、感情的な部分もあるのか?」


 レイカが訊ねると、クレアはあら、と少し困ったように笑った。


「私はローシュさんのことを愛してしまっていますけれど、そんな話はあなたに必要ありますか? 彼に抱かれると最高ですよ、とか」


 レイカはぎょっとする。


「なんだ、二人は恋人同士なのか?」

「違いますよ? だって、今ローシュさんはあなたを口説いているでしょう」

「……別れたのか?」

「……案外ピュアな恋愛しかしたことが無いタイプですか?」


 なんだと! と思いつつ、図星なのでレイカは眉を吊り上げる。その反応を見て、クレアはいいですね、と言った。羨ましいのではなく、そんなこともあるんだ、と言いたげなニュアンスだ。


「残念ながら彼は遊び放題ですし、女性も選び放題です。ここに来る途中に、服屋や病院にも寄りませんでしたか?」


 レイカは、服屋のスァンと女医のヴァネサを思い浮かべる。あぁ確かに、と納得した。彼女たちは(レイカにとっては理解できないことだが)ローシュのことを好いていた。


「遊ばれているのを承知で、私を含め、彼と夜に戯れて楽しむんですよ。でも、あなたはローシュさんに惚れる気配はありませんからね、理論で諭したまでです」


 レイカの腕を綺麗に拭きとると、ですから、と最後にクレアは付け足した。


「もう、諦めてくださいって、つまりはそう言う事です」

「……そのうち慣れるよ」


 自分に言い聞かせるようにレイカは言うと、ありがとう、とクレアに向けて微笑んだ。どういたしまして、とクレアも笑う。ローシュさんの部屋に向かってくださいねと言われ、レイカは逆らわず、すぐに彼の部屋に向かった。


「腕、平気?」


 ローシュは、部屋のソファに座って本を呼んでいた。レイカを見るなり本を閉じ、心配そうに歩み寄ってくる。

 この言動、この行動も、嘘をついているのだか本心なのだか、レイカには分からない。

 出会ったときから、彼には騙されっぱなしだったのだ。彼の嘘つき具合を知っているからこそ、彼を恋愛対象として見ることができないのかもしれない、とレイカは考えた。

 いつ嘘をつかれるか分からない、という経験は、レイカにとっては「異常事態」そのものだった。こんなこと「普通」じゃない。

 ――でも、アクルの気持ちはだんだんと分からなくなっていったんだっけ、とレイカは思う。それでも、彼に嘘をつかれてもいい、と思えた、このことこそ私の中ではさらに異常事態なのかもしれない、と考える。

 挨拶もせず、返事もせず突っ立っていたレイカを見て、ローシュは面白そうに首をかしげた。


「どうしたの?」


 その言葉に、はっとレイカは我に帰る。


「いや、なんでもない――おはよう。腕は、大丈夫だ」

「なんでもなくないね?」


 確信をもった言葉に、レイカは顔をそむける。嘘つきで、嘘を見ぬくのが得意な彼を、レイカははっきりと、苦手だと思った。合わない、合わない。どうか私を気に入らないでくれ、と思うが、しかし、ローシュはレイカの気持ちをくみ取らない。


「アクルのこと、考えていたね?」


 レイカの表情が歪む。返事は無い。返事をすることができない。ふうん、とローシュは満足そうな、それでいて不満そうな表情をレイカに向けた。


「――レイカ」


 ローシュは歩み寄り、レイカの真ん前に来ると、そっとレイカの両手を取った。




「エストレージャが、ここを見つける確率は大いにある」


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