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自らをボスだと名乗っていたあの女性から渡された名刺を見て、何度も確認する。地図に描かれている場所は、ここで間違いないはずだ。
屋敷の前にある茂みに隠れながら、どれ、とアクルは双眼鏡を覗いた。夜の闇に溶けるようなその屋敷は、どうやら黒く塗りたくられているようだ。
アクルはごくりと唾を飲む。正直――
「趣味悪ぃ……」
アクルは言いながら、屋敷をくまなく観察した。窓から光は見えない。もう寝ているのか、はたまた遮光カーテンが完全に光を外に漏らしていないかのどちらかだ。大きな門はあることにはあるが、門番は見当たらない。
おいおい、とアクルは静かに呟く。
この屋敷、忍び込み放題なんじゃないのか?
「………………」
アクルは静かに立ち上がると、物音をなるべく立てないようにしながら、屋敷の右側に向かって走った。
「………………」
おいおい、と今度は心の中で小さく呟きながら、目の前にある高い木を見上げる。上まで登れば、屋敷をぐるりと囲んでいる塀などすぐに飛び越えられてしまう。
まるで登ってくださいと言っているような木だ。罠か? と思いアクルは双眼鏡を目に当てた。横にあるダイアルを動かす……様々な仕掛けが映るようになっているゴーグルに、それらしきトラップは映らなかった。
まじでただの木かよ。
びっくりしながら、アクルは木を登り始めた。登りやすい木で、すぐに一番上まで到達してしまう。塀は随分と厚いもので、先には槍のような装飾が施されているが、アクルは気にもしない。
アクルはぐるりとまわりを見渡す。塀の中にも木が植えてある。さらに観察し、中の木まで辿りつけそうなルートを頭の中に描く。
レイカさんに教えてあげないとな、と思いながら、アクルは木から木へと身軽に飛び移った。数分後、アクルは屋敷内の木の下にすとんと降り立つことに成功した。
入れちゃったぞ。おい。
最近はこういう無防備な屋敷も減ったんだけどなぁと思いつつ、アクルは静かに腰を下ろした。随分と静かだが、耳をそばだてると聞こえてくる――声が複数。聞こえてくるのは一階だ。
じゃぁ二階に登ってみるか、とアクルは屋敷を見上げた。木を登り、屋根から易々と侵入できそうだ。
特に深い理由は無く、盗みを働こうとするでもなく、ただアクルは好奇心に突き動かされるがままに、屋敷へと侵入した。空き巣は彼の趣味であり、癖でもあった。数か月に一度だったが、彼は過去に何度も、こうやって「ただ侵入する」という行為をしたことがあった。ただ入り、探索し、帰る。美術館に侵入したこともあった。保育園に入ったこともある。人がいた場合も、いない場合も、興味本位でふらっと立ち寄ることが何度かあったのだ。
今回の彼の行動は、そういった彼の癖の一環だった。
まるで動物のように身軽な動きで、アクルは屋敷の屋根に飛び乗った。静かに移動し、屋根の端に行く。下を覗くと、窓が見えた。胸ポケットに手をやり、筒型の機械を取りだす。移動し、窓の真上にくると、アクルはその筒を窓に押し付けた。筒の尻についているボタンを静かに押す。キキキ、と小さな機械音がし、しばらくすると押したボタンがかち、と戻った。よし、とアクルは機械を外す。窓には、手がぎりぎり入るほどの穴があいていた。そこに手を入れ、内側から鍵を開ける。窓がゆっくりと開いた。
屋根に手を引っ掛け、くるりと体を回して屋敷の侵入に成功する。暗いが、部屋の中はなんとか見ることができた。何の部屋だろうか……とじっと見て、分かったところで思わずアクルはわぁ、と声を漏らした。
壁中に本が敷き詰められている。ここは書斎だ。奥まで続いている、随分と大きな部屋だ。
「いいなぁ、エストレージャ」
アクルはそう言いながら、ドアを探した。基本的に、様々な部屋を見て回るのが好きな彼は、ドアを見つけると、すぐにその部屋を後にした。
静かな廊下に、思わず背筋が凍る。暗い廊下なのではない――この廊下も、屋敷の外壁どうよう、真黒なのだ。
趣味なのだろうか。アクルは首を小さく横に振った後、静かに歩み始めた。耳をそばだてるが、自分の足音しか聞こえない。部屋はいくつもあるようだった。出てすぐの部屋に入ってみたが、空き部屋だ。その隣の部屋も空き部屋だった。
二階は使っていないのか……? と思いつつ、屋敷の真ん中まで移動すると、扉が見当たらなくなった。一定の間隔を開けて存在していた扉がピタッと無くなったのだ。随分と遠くに扉がひとつだけ見える。アクルはじっと目を凝らした。扉の奥側に、さらなる扉が見える気配もない。
ということはつまり、大きな部屋だな? 思って、アクルは壁にそっと触れた。おそらくぽつんとあるあの扉の向こうに、とても大きな部屋がある――先ほどの書斎よりも大きいかもしれない。
いったい何があるのか? シアターか? アトリエか? ダンスホールかもしれない。
アクルは静かに扉に近づいた。そっと、その扉に耳を近付ける。音はしない。アクルはそっと、ノブをひねった。ゆっくりと押して――部屋を見渡した。右端に明かりが灯っていた。アクルはどきりとする。誰かいたのか――?
「レイカ?」
やばい、と思ったときにはもう遅かった。
小さな少女が、部屋の奥から現れた。目が合う。アクルは混乱していた。どういうことだ、誰だ、どうしよう、叫ばれたら――「違うんです、何もしません!」
アクルは部屋に入り、静かに扉を閉めた。手を挙げ、何もしないことを主張する。
少女の対応はアクルと対照的に迅速だった。座っていた椅子を蹴り、後ろに移動すると、カーテンに手を伸ばし、それを一気に引きちぎった。素早く体に巻きつけ、自分の姿を見えなくしたうえで――細い手だけが、カーテンから出ていた。その手には、しっかりと銃が握られていた。よく見ると、少しの隙間からこちらを睨みつけているようだ。
「手を挙げ続けていて。質問に答えなかったら撃ちます、あなたは誰」
少しだけくぐもって聞こえる少女の声に、アクルは素直に頷いた。
「アクルと……言います」
「アクル?」
銃口が少しだけ下がる。少女は驚いているようだった。
「あなたがアクルね。アクル……あーっと、エモニエさん、武器は持ってる?」
「いえ……」
「信じるわ」
てきぱきとした口調で少女は答えた。その声には迷いがない。彼女はいったい何者なのだろう。アクルはごくりと生唾を飲んだ。
「ねぇアクルさん、あなた、エストレージャに入りたい? それとも入りたくない?」




