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言って、ディーディーは地図を描き始めた。先ほどよりさらに少し時間がかかった後、はいどうぞと紙が渡される。今度はそれをギルが受け取った。アクルが横から覗きこむ。随分と広い敷地のようだ。
入ってすぐ左に「三階建」と書かれている建物がある。最上階がローシュの部屋らしく、ディーディーが分かる限りの情報が書かれていた。一番奥の部屋が交渉部屋のようだ。机とソファが並んでいる。その横の部屋はローシュも知らないようだが、おそらく彼の部屋、と書かれていた。三階はほぼ、ローシュの部屋のようだ。
敷地の真ん中には五階建ての建物があった。その横に、二階建の建物が二棟、その奥に同じような建物がもう一つあり、三棟はおそらく宿舎、と書かれている。五階建ての建物はよく分からないようで、クエスチョンマークが書かれている。
地図の端には、波線の後にクエスチョンマークがかかれていることから、ディーディーでも知らない場所があることが分かる。なるほど、とアクルは頷いた。思った以上に情報はたくさん得ることができた。
「出入り口はここだけか?」
ギルはそう言って、地図に描かれている門の場所を指差した。そうですね、とディーディーが頷く。
「奥に裏口があるかもわかりませんが、私が知っている出入り口はそこだけです。随分質素な門があります。一応、門番もいるようですが、いつも暇そうですよ」
「なるほど……ローシュの他に、知っている人物はいるか?」
「ローシュの秘書、名前はクレアと言います。眼鏡をかけている、黒髪の女性で、目は青だったと記憶しています。後頭部に髪をひとつにまとめて、いつもせわしなく働いていますよ」
「なるほど、他には?」
「申し訳ないのですが、私がリイビーノで関わったことのある人物は、その方々と、あとはリッツのティラと彼女の部下数名のみです」
「そうか……ローシュは普段、本部にいるのか?」
「えぇ、私の知る限りですと、彼は本部で指示を出していることが多いですよ。スカウトとなると、自分から赴くことも多いようですが」
「……何でだ?」
と訊ねたのはアクルだ。何でだ、とは? とディーディーが問い返す。
「何で、部下にやらせないんだ?」
「……これも私の予想となりますが」
前置きをして、ディーディーはにっ、と歯を見せて笑った。
「彼の性格上、勧誘という仕事はとても楽しい。彼はいつだか私に言いました。『つまんねぇんなら楽しくすればいいと思わないか』とね……『つまんねぇつまんねぇ言うだけの奴は嫌いだから、俺が楽しい仕事を与えてやってるんだ』とも。傲慢な考えかもしれませんが、彼の行動理念はどうやらそこが根底となっているようです。私は彼のそういうところが、嫌いでは無い」
おかげでこちとら大迷惑だ、とぼやくアクルを、まぁまぁとギルがなだめる。
「ローシュのことが判明したのは、こちらにとって大きな利益となった……感謝するよ」
ギルが軽く頭を下げると、こちらはそれだけの料金を頂いていますからね、とディーディーは言って笑った。いつでもにやにやと笑っている奴だなぁ、とアクルは思う。何を考えているのか分からないのは、こいつも同じことだった。
「最後の質問だが、エストレージャにリイビーノの情報を開示したこと、君はローシュに伝えるか?」
ギルの問いに、いいですね、とディーディーがさらに意地悪な笑みを浮かべる。
「そういう質問、大好きです。答えはイエス。全て報告するように言われています」
やはりか、とギルとアクルは同時にため息をついた。
自らの情報を開示させないための契約とは別に、開示してしまった場合にそれを報告するように契約している……警戒心が高い証拠だ。人貸しという特殊なことをしているため、当たり前といえば当たり前かもしれない行動だった。
「では、エストレージャ側からさらに交渉だ」
ギルが、沈んだ声で切りだした。アクルも同じ心境だ。
やはり、サキ様が言っていた通り――金が何倍もかかってしまう。
「ひとつは、エストレージャが君からリイビーノの情報をもらった、ということをリイビーノに知らせないこと。もうひとつは、エストレージャの情報一切を、誰にも漏らさないこと」
「後者に関しましては、リイビーノと同じよう、契約金以上の開示金を受け取った場合、開示しますけれど」
「あぁ、大丈夫だ。それと……情報は、金になると言っていたな」
「はい」
「情報を金と同等のものとすることは可能か?」
ギルの質問に、そうですね、とディーディーは眉をひそめた。いつも浮かべていた笑顔が、少しだけ小
さくなる。
「――基本的に、私の仕事に関係することでしたら、情報は金と一緒と考える場合もあります。例えば人を盗む場合、情報をいただいて調査時間の短縮に繋がる場合、資金がある程度安くなる場合はあります。
しかし、今回の場合は、私の仕事はほぼ終了していますので……そちらからどんな情報を頂けるかは分かりませんが、情報が金とイコールになる事例は、少なくとも私の中では思いつきません」
「だよな、俺も」
と言ったのはアクルだ。あぁ、とギルも頭を抱える。そんな二人の様子を見て、ディーディーは明らかに困った表情を浮かべた。何を言いたいんだ、と言いたいのを必死に我慢しているようにも見える。
「やっぱり、不利になるだけのような気がする」
「俺もだ、アクル」
「でもなぁ、だからって『覚悟の表れ』って言われたらそれまでで……」
「尊重したいし……逆らえんぞ……というかそもそも、俺たちの権限で金は動かせん」
「あぁ、そうだな、そうだった……」
あぁ、とため息を同時に吐き、よし、と二人は同時に顔をあげた。
「交渉場所を移そう」
言ったのはギルだ。なぜ? とディーディーが首をかしげる。
ギルは、ディーディーの笑顔によく似たにやつき顔で、投げやりに言った。
「エストレージャのトップの部屋に向かう。直々に君と話がしたいそうだ」
ディーディーの表情から笑顔が消えた。驚いて目を丸くする。
「……それぶん、料金が上乗せになる気がするのですが」
と彼らしくもない警告をしたのは、よほど驚いたからだろう。
「俺は考えるのが大好きだが、それでもよく分かんないこともある。多分それは、作戦とかそういうのを超越した、信頼とか覚悟とか、そういうことが関係してるんだ」
アクルは苦笑し、立ち上がった。
暗く狭い階段を、三人は静かに上って行った。誰も口を聞かなかった。ディーディーはきょろきょろと観察するようにあたりを見回していたが、顔は少しだけこわばっていた。エストレージャのトップと聞いて、少しひるんでいるのかもしれないとアクルは思った。あんな華奢な女性がでてきたら、こいつは何と言うのだろうか――考えながら、それでも後戻りしたい気持ちもあった。
サキ様、どうして自ら危ない橋を渡ろうとするんですか……と、聞いておけばよかった。アクルは小さく唇を噛んだ。あまりに唐突な提案だった――「いい、そのディーディーとやらがそれ以上の金額を要求してきた場合は――私の部屋に来て、私と直接交渉させてちょうだい」なんて、言われるとは思ってもいなかった。
今まで、何があっても、じっと隠れていた人だ。
それが、どうして――いや、アクルにもギルにも、ラインにも、彼女が行動的になった理由はよく分かっていた。
レイカが連れ去られたからだ、決まっている。
それでもやはり……考えているうちに、彼女の部屋の前まで来てしまった。
ギルも同じようなことを考えていたんだろう。目を合わせると、肩をすくめた。お手上げなのだろう。
ギルが、ゆっくりと手を挙げて、ドアを二度ノックした。はい、と答えたのはラインだ。
「ディーディーを……連れてきました」
はい、と中でラインの返事がし、数秒後、ラインが扉を開けた。ちらりとギルとアクルの後ろに目をやる。ディーディーを観察するように見つめたラインは、どうぞ、と三人を部屋に通した。
「意外と早かったのね」
そこには、医者のルークと、椅子に座って診察を受けていたサキがいた。診察は終わったようで、ルークが機材を片づけているところだった。
サキはゆっくりと立ち上がると、ディーディーに歩み寄った。
「はじめまして、ディーディー。エストレージャの一番上……ボスよりもっと上の立場にいます、サキ・ヒトツボシです。エストレージャ最大の秘密よ」
そう言って、無表情のまま、細い手を差し出した。随分と背差がある。サキの頭のてっぺんは、ディーディーの肩にも届いていない。
しかし、ディーディーは、目を大きく見開くだけで、表情をほとんど失っていた。
驚いているのか、緊張しているのか、恐怖しているのか分からない彼は――それでもゆっくりと手を差し伸べ、大きな手でサキの手を握った。
「……ディエゴ・ドラードと言います」
今度はギルとアクルが目を丸くする番だった。
ディエゴ・ドラード。頭文字をとってディーディー……D.D.だったのか、と考えたものの、なぜ彼がそのことを急に口に出したのか、アクルもギルも分からなかった。
ただ、サキだけが悠然とそこに立ち、こちらへ、と彼を部屋の中へと招いたのだった。