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その後、二人は準備をし、十時ちょうどに車に乗り込んだ。深い紫色の、ギルの車だ。門に向かうと、ユーナギが門の傍に立って二人を待っていた。心配そうな面持ちだ。ギルは窓を開け、顔をのぞかせる。
「何かつかめそうなのか」
ユーナギの質問に、えぇとギルは頷いた。そうか、と少しだけユーナギの表情が緩む。伝書鳩で連絡はいっているのだろうが、きっと実際に聞かないと確証が得られなかったのだろうな、とアクルは思った。
「気をつけて、二人で平気か?」
「大丈夫、いきなり戦うような相手でもないだろうし。留守中は、よろしくお願いしますね」
「あぁ」
ユーナギは小さく微笑むと、健闘を祈る、と言って部屋に戻った。数秒後、門がゆっくりと開く。ギルとアクルはユーナギに手を振って、屋敷を出た。
二時間半後、二人は約束の場所についた。ベルという駅はとても賑やかな駅だった。駅前には多くの店が並び、客寄せの声が響いている。
「少し早く着いたな」
アクルが言うと、そうだな、とギルは腕にしている時計に目をやった。時刻は十二時半だ。
「飯、買ってくるよ。何がいい?」
「ありがとう。何でもいい」
「じゃぁハンバーガーかサンドウィッチで」
アクルは行ってくる、と車を降りた。あたりを見渡す。少し遠くに、ファーストフード店の看板を見つけた。アクルは人を避けながら、その店に行き、ハンバーガーのセットをふたつ頼んだ。商品が入っている紙袋を手に取り、さて、と店を後にしようとした、その時だった。
「あー、お兄サン」
後ろから声をかけられ、なんだ? とアクルは振り向いた。
アクルの後ろには、随分と背の高い男性が立っていた。茶色の長いコートに、真黒な帽子をかぶっている。アクルと同じ紙袋を手にしているその男は、袋を持っていない方の手をひらひらと振って見せた。その手にも、彼は黒い手袋をつけていた。見るからに怪しげだ。
「俺か?」
アクルは身構えながらも、なるべくそれがばれないように気さくな返事をした。
「えぇ、可愛いお嬢さんじゃなくて、ゴメンネ」
少しかたことな口調の男は、にやりと笑った。長い人差し指が、ひょいと帽子を上にやり、今まで見えなかった顔が顕わになる。
男は、楕円の眼鏡をかけていた。目は赤茶だ。覗いている前髪は、目よりも赤い――まるで赤いルージュのようだ。どうやって染めているのだろう、とアクルは思わず考えてしまった。
「駅を、ご存知デ?」
「駅? ベル駅?」
「ハイ」
「あぁ、知ってるよ、ここから近い」
アクルは店から出て、来いよと男を手招いた。背の高い男は帽子を押さえながら、ひょこひょことアクルについてくる。
「あそこ」
しばらく歩き、駅が見えるところでアクルはほら、と指差した。男は顔を挙げ、あの? と同じように指を向ける。
「大きな時計があるだろ、あれがベル駅」
「改札はひとつデ?」
「あー……確か。すまん、俺も初めて来たんだ、分かんなかったら駅員にでも聞いてくれ」
「オウケー、しかし、あなたはいい人デスネ」
あん? とアクルが振り向くと、頭一つ高い位置で、男はにかりと白い歯を見せた。
「俺、いい人は大好きデスヨ」
「……おう?」
「いい人がいる組織は、きっといい人がたくさんいる、自分の持論ネ」
「……そうかもな」
「そう、きっとそう」
両手を合わせ、男は少年のような笑顔を浮かべた。
「きっと、エストレージャもね」
アクルはぎょっとする。エストレージャもね、だと? こいついったい何者だ――まさか、リッツ関係か? 考えつつ、アクルは条件反射で、腰につけている銃に手をやった。わお、と男は驚きの表情を浮かべる。
「待って、待って、分かった、冗談やめるよ、悪かった」
男の口調が急に変わった。かたことではなく、流暢な言葉に、アクルはますます警戒を強める。
「お前、何だよ?」
「ディーディーだよ」
今度はアクルが驚く番だった。ディーディー、とその名を呟く。
「ごめんね、俺、人種差別する人とは問答無用で仕事はしないって決めてるんだ。だから、こうやって最初に依頼人を試すの。たまにいるんだ、かたことの言葉で話しかけると、嫌がる奴ってね」
アクルは、相手の話を聞きながら、そっと銃から手を離した。相手を改めて眺める。こいつがディーディー……か。じっと眺めても、頭の先から足の先まで地味な色の服で染められていて、どういう見た目なのかは全く分からない。
「人種差別は、エストレージャには無いよ」
「他の差別もないことを祈るよ。俺、差別が大嫌い」
「ないない。個性こそが全てだろ」
アクルが言うと、そうかい、とディーディーは満足そうに微笑んだ。
「君とはいいビジネスができそうだ。よろしくね」
ディーディーは手を差し伸べたが、アクルはそれには応じなかった。変わりに、ひとつ質問をする。
「……証拠を、お前がディーディーだって、証拠を」
アクルの対応に、ふう、とディーディーは少し困ったような表情を見せる。
「警戒心が高い」
「褒め言葉をどうも」
ディーディーはためいきをつくと、ポケットから携帯電話を取りだした。何度かボタンを押し、しばらくそれを耳に当てる。アクルは黙って、彼の横でその動作を全て見ていた。少しでも怪しい動作をしたら、すぐにでも銃を突きつけてやる――。
「もしもし? ディーディーです。はい、もう駅に、はい、すぐそこです。あ、ちょっと待ってくださいね」
ディーディーははい、とアクルに携帯電話を差し出した。なんだよ、とアクルが言うも、いいから、とディーディーは電話に出るように促すだけだ。仕方がない、とアクルは携帯電話を耳に当て、もしもし、と神妙な声で電話に出た。
「もしもし」
と、同じような声のトーンが返ってくる。
よく聞く声だ。
「ギルじゃねぇか……」
「あ? 誰だお前」
「アクル」
「……あん?」
「あー、すまん、説明すんのが面倒だ……ディーディーと一緒に、今からそっちに向かうわ」
ギルの返事も聞かず、すぐに電話を切ると、アクルはおい! とディーディーを見上げた。何か? とディーディーは笑顔を浮かべている。
「言えよ!」
「何を? 証拠をって言ったじゃないか」
「そうだけどよ……なんか恥ずかしかっただろうが!」
「あはははははは、いいなぁ、面白いなぁエストレージャ」
ディーディーは楽しそうに笑いながら、じゃぁそろそろ、と帽子を下げた。
「案内してくださいますか?」
「……ついて来いよ」
アクルはムスッとした表情を浮かべながら、ずかずかと歩き出した。
なんだか……変な奴だ、というのは、心の中で思うだけに留めておいた。