10-1
10
ギルの部屋に入ると、ギルは携帯電話を耳に当て、机に向かっていた。電話の向こうにいる相手と話しながら、ギルはちらりとアクルを見て、軽く片手を挙げた。アクルも同じように手を挙げて返すと、黙ってギルの電話が終わるのを待っていた。
一分もかからないうちに電話は終了した。ありがとう、とギルが言い、メモにペンを走らせる。電話を切った後、ギルはアクルに向かって小さく笑った。
「ディーディー、だんだんと分かって来たぞ」
「まじかよ!」
「多分あと二、三本の電話で辿りつける。ちょい、そこで待っててくれ」
ギルはそう言って、簡素なベッドを指差した。アクルが座る前に、ギルは携帯電話のボタンを押し、誰かと話を開始する。アクルはそれを、身を乗り出して見ていた。
「もしもし、あぁ俺だ、久しぶりだな。朝早くからすまない……そう、そうだ、あぁ払えるよ、うん……九、九、九、八の、アポロな……ありがとう」
右手でメモを取りながら、左手で電話を切り、再度別の人にかけ直す。
「もしもし、ジーアイエルだ、ジー、アイ、エル。数年ぶりだ、良く覚えてはいないよ。九九九八、アポロで。あ? そうだよ、徹夜作業だ……ん? いやだね、秘密事項だ……はは。あぁ……大丈夫、待ってるよ………………」
ギルが何を話しているのか、アクルは全く分からなかった。番号に、謎の単語。おそらく暗号だろう。ジーアイエルはギルの仮名だろうか。情報屋の繋がりを利用しているのかもしれない。
アクルがいろいろ考えているのが、ギルにも分かったのだろう。ギルは小さな声で、アクルに言った。
「俺は、本当は全部一人で調べちまうたちなんだが、急を要するからな、久々に情報屋のネットワークを使ってる……あ、もしもし」
ギルの表情が急に険しくなる。
「ジーアイエルだ」
険しくなっていた表情が――にやりと、笑った。アクルを横目で見て、親指をつきあげる。
「はじめまして――ディーディー」
よし! とアクルも小さくガッツポーズをする。リイビーノを知っているかもしれない輩に、辿りついた……!
「早朝から申し訳ない。さっそくだが話をしたい……リッツについてだ」
言って、少し黙り、その後ギルはえ? と眉を吊り上げた。不穏な空気に、思わずアクルも不安になる。
「知らない、だって?」
なんだって! アクルは思わず声をあげそうになる。知らないはずは無いだろ! ヤツキの盗み聞きが間違っていた? いや、そんなはずは――「なんだ、知らないのか、まあいい」
ギルはアクルに目配せし、さらににやりと笑った。
なぜ笑う? アクルには全く分からなかった。いったいギルは何を考えているのだろう?
「いいんだ。それを抜きにしても話がしたい、あぁ、できるだけ早く。ん? もちろんだろ、そのぶん金は弾むさ……オーケー、用意しよう。今日の二時、ベル駅で。あぁ、大丈夫だ、そんなに遠くないよ。ついたら連絡をする。番号は――」
番号を聞き終え、じゃぁ、とあっさりギルは電話を切った。おい、とアクルは身を乗り出す。
「そいつ、偽物じゃね? 本物のディーディかよ?」
ヤツキの情報が間違っていないのなら、考えられるのはそれぐらいだ。アクルの意見に、いや、とギルは首を振る。
「俺が取り次いでもらったところは優秀だ、間違いなんてのはない。ちゃんと人攫い屋のディーディーだって確証はある。こいつは隠してるんだよ、おそらくだが」
「……隠してる?」
「知っている情報を言わない、そりゃ隠してるんだ、言うなって言われてね」
「言うなって言われたら言わないのか?」
「正確には金を貰って黙ってるんだ。情報保守してるんだよ、よくあるパターンだ」
なるほどね、とアクルは俯く。
「リッツから金を盗んだ奴が、リッツについて隠してる。つまりはリイビーノが上から圧力をかけてるんじゃないのか?」
「あぁ、それが濃厚だろうな……じゃ、どうやって聞きだすんだ?」
簡単だよ、といってギルはあくびをした。
「リイビーノが払った金より多い金を払って、吐かせるんだ」
「……なるほど」
「こいつは金で動くタイプだね、すぐに話がしたいって言ったら、その分金は払えよってすぐに金の話しを持ちだしてきた。こういうやつは話が早くて助かるよ」
ギルは立ち上がると、どけどけとアクルをベッドから追いやった。アクルが立ち上がった瞬間、ギルはベッドに倒れ込む。
「俺は寝る……今五時ぐらい?」
「あぁ、五時半」
「じゃぁ八時まで寝よ……八時半にサキ様の部屋に行くから、アクルもついてきて……おやすみ」
言うだけ言って、ギルはすっと眠りについてしまった。一瞬だ。アクルが返事をする間もなかった。
ふと、ギルの机に目をやる。たくさんのメモと、おびただしい数のバツ印が見える。
「……ありがとよ」
「………………おまえの、ためじゃねぇ」
寝ぼけた声で、ギルは言った。もう寝ているのかと思っていたアクルはびくりとしたが、もうギルの呼吸は一定だ。もしかしたら寝ぼけて言ったのかもしれない。
ふ、とアクルは笑った。
ギルが起きるまで、あと二時間半。きっと七時に食堂に行けば、ファインがご飯を作ってくれているはずだ。その間の一時間半、何をしようかとアクルは考えた。サキ様の部屋に行こうかとも考えたが、彼女はもしかしたら眠っているかもしれない。起こすのは申し訳ない。彼女にはラインがついていると言っていたし……。
結局、アクルは部屋に戻り、また悶々と思考を繰り返していた。
仮定を作っては消して、消しては作る。こうだった場合はこうして、こうしたときはこうして――自分の癖に呆れながらも、様々なパターンを想像しては、その打開策を練っていた。
七時になり、彼は大食堂に向かった。中にはファイン以外の人はいなかった。たくさんの種類のパンがテーブルに並べられ、大きなテーブルの一番隅の席で、ファインは静かに目を伏せていた。アクルが入ると、顔を挙げ、慌てて笑顔を作った。
「おはようございます」
「……寝不足か」
「夜通しで料理していました。落ち着かなくて」
なるほど、それでこの豪勢な朝食か、とアクルはテーブルの上を改めて見わたした。パンの種類はざっと二十種ほどある。加えて、綺麗に切ってあるフルーツを並べた大皿に、ヨーグルト、シリアスも綺麗に飾られている。
「寝ときなよ」
「朝食が終わったら、寝れそうです。この量でしたら、昼食にもなりますしね」
困ったようにファインは笑った。そうだな、とアクルは返す。
いつもの席に着き、いただきますとアクルは食事を始めた。しばらくは無言で食べ続けた。ときどきファインに目をやったが、放心状態になっているようで、俯いたまま動かなかった。
「リイビーノへの手掛かりとなりそうな人物に、会えるかもしれないんだ」
唐突に、アクルは言った。独り言のような声の大きさだったが、ファインはその言葉にはっと顔をあげた。アクルは、ファインの方をちらりと見た後、目の前のパンに手を伸ばした。砂糖がまぶしてある小さなパンだ。
「多分、俺とギルとで話す。上手く、リイビーノの手掛かりをつかんで見せるよ。だから、寝てくれ。コックが倒れると、俺達動けなくなるよ」
ファインは、その言葉を噛みしめるようにゆっくりと一度頷いた。いつものように、笑顔を浮かべてはいない。震える声で、ファインは言った。
「よろしくお願いします……」
「おう」
ファインは目頭を押さえると、失礼と一言言ってキッチンの奥に行ってしまった。結局その後、ファインがアクルのまえに現れることは無かった。アクルは気にすることなく、食事を済ませた。皿は、キッチンには持って行かず、そのままにしておいた。
時計を見ると、七時二十分だ。あと四十分でギルが起きる。アクルはまた、部屋に戻り、悶々と思考と対峙する時間を過ごした。