9-2
次の日、アクルは六時半にバーについた。
彼女の属している集団について考えては見たが、いまいちあの説明だけではよく分からない。今日はそのことを聞いてみよう、と思っていた。
それが建前であることは、彼もよく理解していた。
単純に、あの女性に興味があるのだ。レイカ、なんとかさん。
レイカは十分前にバーに現れた。白い姿は本当によく目立ち、アクルは彼女が店に入ってくると同時に見つけることができた。レイカも真っ先にアクルを見つけ出したようで、すぐに表情を輝かせ、早足で歩み寄ってきた。
「アクル! 来てくれたんだね」
「どうも、レイカ……何さんだっけ」
「ツキカゲ!」
ツキカゲ。聞かない名字だ。アクルは何度もその名字を呟く。
「来てくれるだろうとは思ってたけどさ、正直今日来てくれるのは予想外だった、嬉しいよ」
レイカはにこにこと笑いながら、アクルの隣に座る。まだ客は少なく、空席が目立った。それなに、こんなに近くに座る。当たり前だが、アクルは急に恥ずかしくなり、ふいと視線をそらしてしまった。
「気になって……あんたの話しが」
「ありがとう、今日はおれのおごりだ」
その言葉に、あっとアクルは顔をあげる。
「昨日はやってくれたよね」
「どうもどうも」
ごちそうさま、とレイカは微笑み、さっそくバーテンダーに注文をした。
「ミモザを」
「俺も、それで」
「ミモザふたつ」
レイカはブイサインをつくった。かしこまりました、とバーテンダーが微笑む。
「今日は飲むぞー!」
と言って、レイカはその日に本当によく酒を飲んだ。最初は、エストレージャについての説明を可能な限りアクルにしてくれた。
もっともその時は、エストレージャという名前も出さず、どういった人がいるのかも一切触れなかったが、それでも、大きな屋敷に全くの他人が住んでいること、皆身寄りがないこと、同じような境遇の人を探していることを、彼女は分かりやすく伝えてくれた。
二時間ほど、二人は話していた。レイカが属している集団のこと以外の話もしたが、大抵はその集団についての話だった。だいぶ酒が回ってきたのか、レイカは頬を赤らめながら、頬づえをついていた。目は少し、とろんとしている。
「大丈夫かよ」
「お前だって頬赤いじゃねぇかよ」
うるせぇ、とアクルは慌てて頬を押さえる。
「大して酔っぱらってねぇよ、レイカさんの方が酔っぱらってるだろ」
「大丈夫大丈夫、やばかったら迎えに来てもらうもん、ラインに」
「なんだか、家族みたいだな」
少しだけ酔っているアクルは、小さな声でそう言った。家族かぁ、とレイカが笑う。
「家族なぁ……」
どうだかなぁ、と言ったような口調に、アクルは顔をあげた。レイカを見ると、少しだけ表情が寂しそうだ。
「すまん……嫌な言葉だったら」
「嫌じゃないない、でもなぁ、家族は、そうだなぁ」
うーん、とレイカは首をひねって「難しいな」とだけ言った。その言葉の意味について、考えているようだ。
難しい、か。
「少し、安心した」
アクルが言うと、ん? とレイカは微笑んで首をかしげた。無防備なその姿に、思わずアクルは笑う。
「いや、家族ごっこしてたらって思って、かまかけてみただけ。そういうの、別に嫌いじゃないけど、俺、家族とかよくわかんねぇから、もし皆が家族みたいに生活したいんだったら、ちょっと合わないかもなぁ、と思って」
「興味、持ってくれてるんだな」
「まぁな」
「顔に書いてある」
よくある比喩表現に、アクルはそうか、と顔をこすって見せた。猫みたいだ、とレイカは笑う。
「家族じゃないんなら、恋愛とかもあるのか?」
聞いて、あ、とアクルは口を開けた。自分でも随分と間抜けな表情をしてしまったと後悔するが、それでも、してしまったものは仕方がない。
「ラインさんと、レイカさんってもしかして」
レイカは、アクルの言葉に目を丸くさせると、きゃらきゃらと笑いはじめた。あまりに大きな声で笑うため、ちょっと、とアクルは慌てて自分の唇に人差し指を持っていく。
「悪い、いや、ラインとつきあえたら、大したものだよ」
意味ありげな言葉と共に、もう一度レイカは笑った。今度は静かに笑ってくれたため、アクルはそう、と返事をするだけに留めて置いた。
そう、恋人じゃないのね。
よかった、と心の底で思っていたのは秘密だ。あんなに色気のある人が恋人だったら、勝てる気がしない。金色の猫目を思い出す、男の俺でもぎょっとする色気だ、女性が一瞥されたら、ひとたまりもないのではないだろうか。
そんな彼をタクシー代わりに使う彼女もまた、凄い人なのかもしれないが。
「恋愛かー、俺は無理かなー」
「無理?」
あ、とレイカはわざとらしく手を口にあてた。にやにやと目が笑っている。
「なんすか、レイカさん」
アクルは笑って、カクテルを飲みほした。随分と甘い、次は少し甘さ控えめにしようかな、なんてことを考えながら、レイカの言葉の続きを待つ。
「秘密だよ」
子どもみたいな言い方に、アクルは笑いながら、はい、と頷いた。
「秘密で」
「恋愛な、無理なんだよ」
さきほどまでの明るい表情はどこに消えたのか、レイカは急にしゅんと寂しそうな表情になった。どうしたんだ――アクルの顔からも、笑顔が消える。
寂しそうな横顔で、レイカは言った。
「俺はさ――…………」
「……やっぱ、わけわかんねー」
アクルは、頭を押さえた。あぁ、もう、何度思い出したか知れない、あの記憶。どうして今でも鮮明に覚えているのやら。
「あーもう」
結局、その日はよく眠れないまま、外が明るくなったのと同時にアクルは起床した。何時間も、いろいろなことを思い出していた。ボスとの出会いについて、思い出して、考えたのはもう三度目だ。いいかげんに止めよう、と頭を何度も横に振る。やめろやめろ、やめろ! 窓を開け、まだ明るくなりたての外を見る。
何が起こっても、平等に、朝はやってくるのだと、何度も歌われたであろうことを思いながら、アクルはうんと伸びをした。
だれか他に起きているだろうかと思い、部屋をでると、医務室から出てきたルークと目があった。ルーク、とアクルは駆け寄る。
「眠れたか」
「……いまいち」
「俺もずっと医務室にいた……何かあったらと思うと、気が気じゃなくてな」
「ニールは医務室に?」
「あぁ、アズムと俺がずっと見ていた――それと、サキ様も心配でな」
サキ様がどうかしたのか? アクルは胸騒ぎがした。いや、とルークは首を振る。
「何があったってわけじゃない、でもな、気丈に振る舞ってはいらっしゃるが……内心は大変なことになってるだろ。ラインに傍についてもらっているが、やはり心配だろ、ただでさえ、心の病を患ってるんだから」
「……サキ様は、昔ご両親に捨てられたんだよね」
「あぁ、その時に表情が消えてしまったんだ」
そう、とアクルは俯いた。どうしたんだと思いつつも、何か言いそうなアクルを前に、ルークは黙ったまま立っていた。
しばらくして、アクルが苦笑する。
「俺さ、ずっと考えてたんだけど、実はサキ様のこと、何でも知ってるわけじゃない」
「ん?」
「あんまりさ、深入りできないだろ。ご両親はどんな方だったかとか、そういうのを知ってるのは、サキ様のほかに、実際に会ったことのあるボスとラインさんだけ」
「……あぁ、そうだな。俺も、聞いた限りでしか知らん。お前の過去もだぞ?」
「そう、そうなんだよ」
アクルは、寂しそうな表情を浮かべ「ボスのことも、よく知らないなと思って」と言った。ふむ、とルークは曖昧な返事をする。
「ボスも、同じように、俺のこと、知ってることしか知らない。全部は知らない。俺も、ボスのことを知らない」
「……そうだな、皆そうだ」
アクルは、視線を上にあげた。ルークの青い目を、しっかりとアクルの灰色の目が見つめる。
「家族だったら、全部知ってるもん?」