8-4
少し眠り、起き、まどろむ時間を過ごした。
高い位置にある小窓から、月明かりが射しこむ。あぁ、あの窓があんなに高いのは、逃げられないようにするためか、とレイカは今さらになってそのことに気がついた。月が見えなくて、寂しい。ギャンなら、外が見える窓を望んだら、すぐに作ってくれるだろうに、と思った。
もう、随分と時間が経っているに違いない。レイカは横になったまま、あたりを見渡した。ドアの向こう側にいる見張りが「どうしたの?」と話しかける。
「いや……」
時間は、と聞こうとしたがやめた。案外時間が経っていなかった時の落胆を味わいたくは無いからだ。
レイカは、見張りに背を向けた。手が痛い。怪我人の手を拘束するなんて、あいつも酷いことをする。
目を瞑ると、そう言えば夢にアクルが出てきたことを思い出した。
ユーナギも出てきたか……エストレージャの屋敷を出るときに見せた、ユーナギの不安げな視線が、夢の中で再生されたのだ。
ところどころしか覚えていない。よく考えると、全員出てきた気がしなくもない。
だめだ、また泣いている。レイカは首を何度かふったが、それで涙が止まるはずもなかった。涙を手で拭えないのは辛い。どんどん、とめどなく溢れて行く。
一度で始めると、涙は止まらなかった。
もう、何年分の涙を流したのだというほど、今日は泣いたのに……。
会いたい。
みんなに会いたかった。
あの家に戻りたかった。
もしかしたら、アクルが、今必死になって私を助ける作戦を練ってくれているかもしれない。そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。
ひどく受け身で、弱々しい。
サキ様が危険にさらされるのを食い止めるために――ついてくるなと、言ったのは自分自身だ。アクルが助けに来てくれないかと願う反面、そんな危険なことを頼むからしないでくれ、と思うのも確かだった。
彼の、最後に見せた絶望にそまる表情。
あんな表情をさせた――もう、彼は私のことを、嫌いになってしまったかもしれないのに。助けに来てくれるかも、なんて、虫のいい話だ。
嫌いになってしまったかも。
そうか、そういう可能性も、十分にあるな。思って、レイカはきつく目を閉じた。
あんなに慕ってくれていた皆を――彼を、私は裏切ってしまったのだ。
考えたくは無い。それでも、考えてしまう。悪い想像と良い想像ががんじがらめになって、レイカを傷つけていく。
しばらく横になっていると、やっと涙が止まった。目を閉じたまま、しばらくまたまどろむ。
「レイカさん」
と、声がして慌てて飛び起きた。アクルの声だ。後ろを振り向くが、誰もいない。
「………………アクル?」
返事は無い。ただの夢だ、懐かしい夢だ。随分と前……ボスと呼ばれる前の出来事だ。
レイカさん、と、名を覚えてくれた彼はそう言って照れたように笑っていた。
それよりもう少し前は、話をしてもくれなかった。恰好つけて、ブルームーンをくれた。出会いの時だ。
また涙が出てきた。レイカは嫌になった。これ以上ないのではないか、と思うぐらいの孤独感と寂しさが押し寄せてくる。動かない手で、それでも必死に体をひねり、毛布を体に巻き付けた。
彼の名を小さく呼ぶ。彼の、絶望の表情を思い出し、違うのだと、もう一度すがるように名を呼ぶ。その声は、虚しく寝室に響くだけだ。
どれくらい時間が経ったろう。廊下から足音が聞こえた。ドアが開く。きっとローシュだ。慌てて寝たふりをしたが、ローシュが歩み寄り「……寝てないじゃんね」と肩をゆすった。
「寝られないの?」
どうして眠れないか、一から十まで知っていて尚、自分にこんな言葉をかける。
こいつは、こいつが楽しいだけなのだと、レイカは痛感した。皆を楽しませたいんじゃない。自分が楽しい状況を作り、皆もその中で楽しさを見つけろと、そんな風に思っているだけだ。
やはりこいつのやり方は――エストレージャとは似ているようで、全く違う、別のものだ。
「あのさぁ、扉の前に、見張りがいるの。男の名前呟きながら泣いてたんでしょ? 苦しいの? アクルって、あの白髪の男だよね? 君と同じような……」
ローシュは、最初面倒くさそうな声をあげていたが、やがてあぁ、と発した声は、とてもわざとらしい、楽しそうな声だった。ぐいと、レイカの髪の毛が引っ張られる。
「君と同じような、髪の毛だ。白髪に、毛先だけ黒。たしか彼は前髪だけ黒かったね? おそろいなの?」
きっとこいつは、分かって言っている。レイカは枕に顔を押しつけたまま沈黙を守った。泣き顔を見られたくはないし、こいつにかまっている心の余裕もなかった。
忘れられないの? と言って、ローシュはレイカの髪の毛を何度も引っ張った。そうだと言って、泣いてほしいのだろうか。そうではないといって、抱きついてほしいのだろうか。こいつは何を――望んでいるのか。
「アクルのこと、忘れられないの?」
ローシュは、レイカの耳元でそっと囁いた。
体がかっと、熱くなる。レイカは飛び起き、目を丸くしているローシュのことを、思い切り蹴り飛ばした。あくまで冷静に攻撃を受けたローシュは、はは、両手が自由じゃないのにさすがだね、と笑っていた。
「別に逃げないから、これ、外してくれないか?」
レイカは、静かにそう言った。はっ、とローシュは鼻で笑う。
「俺を蹴り飛ばすくせに、逃げないとか、どうだかね」
その後、レイカがいくら本当だと説得しても、ローシュはにやにや笑ったままその拘束をほどこうとはしなかった。明日にははずしてあげるから、と言って部屋を出て行ったが、どうだか、とレイカは心の中で悪態をついた。
「いいよな」
ローシュが出て行ったあと、見張りがどろんとした目つきでレイカにそう言った。目いっぱい睨みつけるも、ひるむ様子は無い。
「お前、嘘が見分けられるんだろ。生まれつきの能力でさ、可愛がられて、羨ましいよ」
「……お前はあいつに可愛がられたいのか?」
「当り前じゃないか」
ふう、とため息をつくと、見張りはむこうを向いてしまった。
そうか、可愛がられたいのか……レイカはベッドに戻りながら、その言葉の意味を考えようとしたが、息つく暇もなくローシュは戻ってきた。手には、コップが握られている。
薬だと、彼は言った。いらないといったが、ローシュは強制的にレイカに薬を飲ませた。力づくで――見張りの手を借りて。見張りの彼は、見かけに寄らずとんでもない力を持っていたのだ。足を押さえられ、強制的に錠剤を口に入れられる。
コップの水も無理やり口の中に流し入れられる。
「飲まないとチューするよ」
ふざけた口調で警告をしてきたが、明らかにレイカを脅していた――こいつには、もう見ぬかれている。レイカは薬を飲みこみながら、悔しくて表情を歪ませた。
好きな人にキスをしてほしい、それ以外はいやだ、という、少女のような願いをレイカが秘かに抱いていることに、気づかれてしまっている。
きっと、私の今までの反応を見たことにより、その仮定は彼の中で確信に変わっているのだろう。脅し文句として、これからも使っていくに違いない。そうして、私は多分、それにしばらくは――脅されるのだ。
薬が体内に入る。意識がもうろうとして、体が重くなっていった。
「おやすみ、レイカ」
ローシュははそっとレイカの髪をかきわけ、額にキスをした。止めろ、なんてことをするんだ、お前は……そう怒鳴ってやりたかったが、もう、体に力は入らなかった。
レイカの頬を、涙が一粒流れ落ちた。
深い眠りに落ちる直前、レイカが思い出したのは、アクルの絶望的な表情だった。
彼の名前を呼ぶことすら、出来ないのかもしれない。
悲しみと絶望の底に落ちて行くような感覚に引きずられ、レイカはそっと目を閉じた。
アクル。
あなたに、キスをしてほしいと、何度思ったか知れないのに。
「ごめん……」
暗闇の中、レイカは静かにそうこぼした。