8-3
「趣味は?」
治療の後、結局ローシュに連れられ、レイカはローシュの部屋にいた。ソファに座り、ローシュはジュースを飲んでいる。レイカは窓際にある椅子に腰かけ、ずっと窓の外を見ていた。よい景色では無いが、ローシュと顔を突き合わせているよいマシだった。
「……何人、ここで働いているんだ」
レイカは、質問に答えず、ローシュに質問を返した。
「そんなの君はまだ知らなくていい」
と、ローシュはそう言って口の端で笑う。そうか、とレイカは小さくつぶやき、それ以降口を開かなかった。そんな様子を見て、はぁ、とローシュはわざとらしいため息をつく。
「来たばっかりで不安だろうけど、どうせなら楽しくいこうよ」
「あいにくネガティブな性根でな」
「そんなこと言って……」
楽しくないなら、楽しくするってのが俺のモットーなんだけどなぁ、とローシュは独り言のように呟いた。ふうん、と思わずレイカは返事をしてしまう。
楽しくないなら、楽しくするのがモットー……か。
「楽しくなかったから、こんな会社を作ったのか」
レイカの問いに、そうかもね、とローシュは曖昧な返事をした。
「少なくとも、俺に出会って人生楽しくなった人はたくさんいると思うよ」
「さっきここでがたがた震えていた女の子、とかな」
「ねぇ、仲良くなろうよ」
ローシュは困ったように眉を吊り上げると、立ち上がり、レイカに歩み寄った。
「どうしてそう、つっけんどんとしてるのかなぁ」
「……人見知りが激しくてね」
「あぁ、じゃぁ、俺のことを話せば、仲良くしてくれるかな? 感情移入ってやつ?」
はは、とローシュは乾いた声で笑うと、レイカの横にそっと立ち、同じ方向を見つめた。日は沈みかけ、町が夕焼け色に染まっていた。
「俺は、本当に、楽しくするのが好きなだけ、つまんねー、つまんねー、言うだけの奴が大っきらいなんだよ。楽しくすればいいんだよ、自分で。俺は、楽しみたくてこの会社を作ったし、一人でつまんなそうにしてるやつを見つけては、仕事を与えて楽しくさせてあげてるつもり」
「……そうか」
「何か分かった?」
レイカは、沈む夕日を見つめたまま、あぁ、と小さく頷いた。
「そうか、そんな方法、考えつきもしなかった。ただ、私は自分と同じような境遇の人を、救いたいと思っただけで――たくさん集めて見つけ出す、か、リッツのように――」
「……何の話?」
「いや」
何でもない、とレイカは立ち上がり、くすりと微笑んだ。
「そんな器用なこと、私には無理だ。お前は案外、凄い奴なのかもしれない、と思ってな」
「……何の話だよ」
「でも、私は楽しくないぞ」
ふん、と笑って、レイカはくるりと窓に背を向けた。
「――楽しいものか」
「……どこ行くの」
すぐ戻る、とレイカは振り向かずに言った。
「壁殴りに行くの?」
「サングラスを取りに行くだけだ」
「ベランダから行けばいいのに」
「夕日が目にしみてね」
外に出て、夜が近い、少し冷えた空気を、レイカは目いっぱい肺に入れた。
泣き声を必死に飲みこんだ。
私にとっての楽しいは全てエストレージャだった。
私にとっての楽しい居場所は全てあそこにあった。
特に、あなたの隣。
あなたが微笑んでいる隣。
楽しくすればいいんだよ、自分で。
確かにそうだ、とレイカは思った。
十分に楽しすぎて、幸せすぎて、手を伸ばすのが怖かっただけだ。
離れてから、こんなにも愛おしい。
「アクル……」
レイカは駆けだしていた。
ただ、逃げたいと思っただけだ。無我夢中で走っていた。逃げられるかどうかは関係が無かった。ただ一刻も早く、ここから逃げなければと一心不乱に走り続けた。
途中で、あっけなく捕えられた。クレアと、見たことのない男性二人とはち合わせたのだ。
「捕まえて」
クレアは、レイカを見つけるとすぐに、男性二人に言った。はい、と男が答えた時点で、レイカはすでに両手を挙げていた。
すぐに降参の意思をしめすと、男は怪訝な顔でレイカを見つめ、両側からがっしりと腕をつかんだだけだった。
「レイカさん、あなたは聡明な方でしょう」
いつもどたばたとしているクレアは、冷静な声でそう言った。眼鏡の奥からレイカを見る目は、冷たいものだった。
「ここから逃げられるわけがありません。仮に逃げられたとしても、ローシュさんとの約束を破ったことになりますよね、あなたの大切なものが、傷つくんですよ」
「……そうだな」
「私たちの手を煩わせないでください。見つけたのが私でよかった。他の人だったら、どうなっていたと思います」
クレアは、きつい口調で、責めるようにレイカに問いかけた。確かにな、とレイカは力なく笑う。
「いきなり現れて、ローシュに気に入られた奴が、それでも逃げようとしている――逃げていることを理由に、本当は腹いせに、取りあえず殴り倒すかな」
「そんなところです」
言って、クレアはレイカに歩み寄ると、ぱんと思い切りレイカの右頬を平手で叩いた。レイカが目を見開く。この野郎――「もしもし、ローシュさん」
レイカがクレアを睨み返した時にはすでに、クレアはローシュに連絡をしていた。
「レイカさんが――はい、そうです、はい。え? ……はい、かしこまりました」
クレアはぺこりと頭を下げると、携帯電話を閉じ、軽い処罰よ、とレイカに微笑んだ。
「今から明日の朝まで、部屋から出るなとのご命令です」
部屋に戻ると、少し不満そうなローシュがそこで待っていた。クレアに平坦な口調で「食事を」と命じ、無言で二人は食事をとった。レイカは、味をほとんど感じなかった。黙々と食べる中、ファインの料理を食べるときはいつだって本当に楽しかった、と思い返した。
皆、ちゃんと食事は取っているのだろうか。
知るすべは無い。
「食休みだ」
と、食後三十分ほど二人は無言の時間を過ごし、その後、クレアは拘束具を持ってきた。拒否権なく、レイカはそれを着させられる。
上半身が動かない。
「もう、逃げようなんて思わないで。今日はそれで、頭冷やしなよ」
見張りをつけておくから、そう言って、小柄な男性を置いて、ローシュはレイカの部屋を出て行った。レイカは、ベッドに寝転がり、だまって時間が過ぎるのを待っていた。