7-3
元同業者だ。彼の名前を言って、アクルはあ、と声を出した。思い出したか、とギルが言う。
「思い出した……リッツがニールを攫おうとした際に、雇い損ねた奴だ」
「そうだ、ディーディーが絡んでたって、ヤツキの報告をボスから俺が聞いたときに、ボスが言っていた。お前も個別にボスから聞いたろ?」
ギルは、眉間にしわを寄せたまま、頷いた。アクルは足を組み直す。
ニールがエストレージャに入ったばかりのころ、まだニールが何か隠しているのではと疑い、サキのことを秘密にしていたころ、アクルは情報を探るためにヤツキと二人でこっそりとリッツのアジトであるビーノハウスに侵入した。
そこで、ヤツキは男女の怒鳴り合いを聞いた。
人専門の泥棒である「ディーディー」に、金だけ取られて逃げられたためだ。
その情報から、エストレージャ側は「リッツがニールをエストレージャから攫ってしまおうと考えていること」に加え、「エストレージャにニールの能力の解析を期待しており、それが済んだところでニールを攫おうとしていること」を推測することができた。
若者集団から、まんまと金を貰ったあげく逃げてしまうなんて、ディーディーはとんだ悪党だな、とアクルは思ったぐらいだ。
「ディーディーが……第三者?」
「あのディーディーが、リイビーノと繋がっているかもしれない。リイビーノのことが分かるかもしれない」
ギルは立ち上がり、さっそく連絡してみると意気込んだ。おい落ち着け、とアクルがギルの手を引く。不満そうな表情を浮かべるギルに、思わずアクルは叫んだ。
「俺は情報を元に作戦を立てるのが得意、お前は情報を元に情報を組み立てるのが得意!」
「……すまん」
アクルの言葉に、ギルは苦笑した。ギルが椅子に座りなおすと、アクルが拗ねたような表情でベッドに座りなおした。悪かったって、とギルの表情が緩む。そんな彼を見て、こいつ何か掴んだな? とアクルは察した。表情がだいぶ柔らかくなってきているためだ。
「ディーディーは、リッツの金をとって逃げただろ」
「そうだな」
「あのとき俺はまだ知らなかったが、リイビーノがリッツの上にあると知った今、リッツの金はつまり、リイビーノの金だという事も分かる」
「ふむ……あぁ」
分かったか? とギルがにやりと口の端を上げた。
「リッツが騙されて金を取られたってことは、リイビーノが金をだまし取られたってことだよな。それなのに、リイビーノがディーディーに接触しないわけがない?」
アクルが言うと、
「そのとおりだ」
とギルは頷いた。その後、よし、と立ち上がった。
「ディーディーは、リッツを騙したとして、もう殺されているかもしれない。でも、ディーディーの痕跡はあるだろ――どこかしらに。ディーディーに会えたら万々歳だ。リイビーノのメンバーになってるかもしれない……とにかく、情報収集だ、彼を探そう、それがリイビーノへの、一番の近道かもしれない」
「オッケー」
すぐに調べる、とギルは勢いよく立ち上がり、アクルが言葉をかける前に部屋のドアを開けた――そこで、わっ、と声をあげる。ギルの声と同時に、女性の叫び声も聞こえた。同タイミングでドアを開けたらしく、バランスを崩して前につんのめっている。
「ヤツキ!」
アクルが叫ぶと、ヤツキはギルに目もくれず、涙目でアクルを睨みつけた。どうしたんだよ、とヤツキに言いかけたところで、ヤツキはアクルにつかつかと歩み寄り、思い切りアクルの横っ面をはたいた。
突然の出来事に、ギルもアクルも硬直する。アクルの左頬が、じんじんと痛んだ。
「ライン兄さんも一発殴らせていただきましたよ!」
涙声で、ヤツキは言った。アクルの胸倉をつかみ、声を張り上げる。
「何で力づくで止めなかったんですか、何でボスをそのまま行かせてしまったんですか、何で……!」
ヤツキは歯を食いしばり、そこで糸が切れたようにぼろぼろと泣きだした。
「なんでこんなに、皆冷静になっちゃってるんですか――! 何考えているんですか! 帰ってきたらボスがいなくなってて……混乱している私の方がおかしいんですか?」
ヤツキ、とギルが落ち着いた声で話しかけるも、ヤツキはギルの言葉には答えなかった。ただ、アクルを睨みつけている。
「みんな本当は、ボスがいなくなっていくのを黙って見ていた二人をっ……っ……殴りたいんですよ! 分かってます、二人の気持ちは……痛いほど分かるけど! でも! でもどうして……!」
わっ、と声をあげ、ヤツキはその場に座り込んだ。じんじんと痛む頬を押さえながら、アクルは静かに、ベッドから降りた。
「……ヤツキ」
返事は無い。ただ、わなわなと震える小さな肩に、アクルはそっと手を置いた。
「ごめん、俺、混乱してて、あのときすぐにでもボスを追いかければよかったのかもしれないって、思ったよ。でも、サキ様も心配で……でも、ボスも同じように心配で、だから、絶対にボスを取り返すから……」
「ヤツキは間違ってないよ」
と言ったのは、ラインの声だった。アクルが顔を上げると、やぁ、とラインが包帯でまかれた手をあげた。左頬を押さえているところから、どうやらラインも同じように、思い切りはたかれたらしいことが分かる。
「ごめんね、ヤツキ」
ラインは、泣き崩れるヤツキの頭をそっと撫でた。顔を両手で覆いながら、ヤツキがぶんぶんと顔を横に振る。
「……ごめんなさい……でもっ……分かんなくて……」
「――確かに、俺がヤツキの立場だったら、みすみす逃がした奴を殴るわ」
アクルはふう、と一つため息をついた。
「むしろ、今まで殴られなかった方が不思議だな」
「そうだね」
と、ラインも同意し、殴られた頬をさする。
激昂していたヤツキだったが、泣いてしまったことで落ち着いたのか、ごめんなさいと泣き続けていた。先ほどまでの気迫はどこへいってしまったのだ、と思うほどに弱々しい。
「いいよ、ヤツキは、俺たちの気持ちも、分かってくれるんだろ?」
アクルの言葉に、はい、とヤツキは頷き、顔をあげた。
「私がアクル兄さんとライン兄さんの立場だったら、どうしていたかなんて分かんなくて――でも……でも私その場にいなくて……悔しくなって……私なら、ボスを追いかけられたのにっ……」
あぁ、そういうことか、とアクルは納得する。
気配を消せる彼女なら、ばれずに追いかけられたのに、と、彼女は悔やんでいるのだ。
「そんなこと、言わないで、ヤツキは何にも悪くないのに」
ラインがゆっくりと、ヤツキを抱きしめる。必死に泣くのを止めようとしながら、ヤツキは何度もごめんなさい、と繰り返した。
「ヤツキ、すぐに帰ってきてくれてありがとう」
アクルの言葉に、え? とヤツキは首をかしげる。
「情報調査に、ヤツキがいると本当に助かるんだ。これから、ボスを助けるために、情報がたくさん必要だ」
アクルの言葉に、ヤツキは両手で涙を拭い、静かに目を瞑ると、くっと顔を上げた。
そうして、開いた目は、凛と輝いていた。
「……なんでも、なんでもします!」
「うし!」
アクルは、ヤツキの目の前に拳を突き出した。ラインがそっと、ヤツキを抱きしめていた腕を緩めると、ヤツキは前に乗り出し、アクルの拳に自分の拳をぶつけた。
「よし、じゃぁギル、早速頼む」
おう、とギルは拳を軽く上にあげ、そのまま部屋を出て行った。
「ラインさん、ギルと話していて、ある仮定が浮かびました。いまから、それを伝書鳩で皆に伝えますね」
アクルはそう言って、さっそく今までのことを紙に書き始めた。
あくまで仮定だ。
それでも、ボス、あなたを助けるために、俺はなんだってしますよ。
アクルは、文字を走らせながら、そんなことを考えた。
ヤツキに殴られたひょうしに、押さえつけていたひとつの感情が少し、緩んでしまった気もしていた。
心配で心配で仕方がない。
ボスは――彼女は、無事だろうか。
どうか怪我もなく、無事でいてくれますように。
報告書を伝書鳩で送った後、アクルはずっと、ボスのことを考えていた。
その夜は、うまく眠ることができなかった。